“尊雲法親王”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
そんうんほっしんのう | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“尊雲法親王(護良親王)”の解説
護良親王(もりよししんのう、もりながしんのう呼称については、後醍醐天皇の皇子の名の読みを参照。)は、鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍。還俗前の名は尊雲法親王(そんうんほっしんのう)、通称を大塔宮(正式には「おおとうのみや」/「だいとうのみや」)ともいうkb 大塔宮。一般に後醍醐天皇の第三皇子とされるが、一宮(第一皇子)という説もある。母は民部卿三位で、北畠師親の娘の資子という説と、勘解由小路経光(広橋経光)の娘の経子という説がある。尊珍法親王の異父弟。興良親王の父。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)