“尊良親王”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
たかながしんのう | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「一ノ宮尊良親王を、土佐へ」
“尊良親王”の解説
尊良親王(たかよししんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族・歌人・上将軍。一品中務卿親王(いっぽんなかつかさきょうしんのう)とも呼ばれる。後醍醐天皇第一皇子。母は二条為世の娘で二条派を代表する歌人の二条為子。瓊子内親王および征夷大将軍宗良親王の同母兄。
嘉暦元年(1326年)、従兄弟に当たる皇太子邦良親王が急逝したため、現任天皇の第一皇子として、父帝の推薦によって次の皇太子候補者に選ばれる。しかし持明院統との政争に敗北し、次の皇太子になったのは量仁親王(のちの光厳天皇)だった。その後は後醍醐後継者の地位こそ、高貴な生母を持ちより政治的資質のある異母弟の世良親王に移るものの、引き継ぎ後醍醐朝の有力政治家として信任され、元徳3年(1331年)1月には一品親王に叙された。
(出典:Wikipedia)
嘉暦元年(1326年)、従兄弟に当たる皇太子邦良親王が急逝したため、現任天皇の第一皇子として、父帝の推薦によって次の皇太子候補者に選ばれる。しかし持明院統との政争に敗北し、次の皇太子になったのは量仁親王(のちの光厳天皇)だった。その後は後醍醐後継者の地位こそ、高貴な生母を持ちより政治的資質のある異母弟の世良親王に移るものの、引き継ぎ後醍醐朝の有力政治家として信任され、元徳3年(1331年)1月には一品親王に叙された。
(出典:Wikipedia)
“尊良”で始まる語句