じょう)” の例文
執権高時の実弟北条泰家やすいえをあげ、その領袖りょうしゅうにも、塩田陸奥守しおだむつのかみ新開左衛門しんかいさえもんノ入道、安東高貞あんどうたかさだじょうノ越後守などの幾十将をえらび出し
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて、中でもいちばん勇敢ゆうかんなネズミが一ぴき、その穴の中にとびこんで、いまにもグリンミンゲじょうの中へ突入とつにゅうしようとしました。
たとえば薩摩薩摩郡みやじょう村大字柊野くきの、同高城たかき村字柊平くいひら、これらはその附近に久木野という無数の大字・小字がなかったならば、人はその字義を怪しんだかも知れぬが
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
紀州灘きしゅうなだ荒濤あらなみおにじょう巉巌ざんがんにぶつかって微塵みじんに砕けて散る処、欝々うつうつとした熊野くまのの山が胸に一物いちもつかくしてもくして居る処、秦始皇しんのしこうていのよい謀叛した徐福じょふく移住いじゅうして来た処
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
源十、時次郎、清七、甚七、「中学生」の俊次、松本重雄、新谷勝太郎、じょう三次。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
長篠の合戦に勝った徳川家康は、この機会に武田氏の勢力を駆逐すべく、軍をめぐらして二俣城ふたまたじょうを攻め、光明寺城を抜き、七月には諏訪すわはらじょうを陥しいれ、さらに高天神へとほこを向けた。
日本婦道記:萱笠 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
一たびこのところ決潰けっかいせむか、じょうはなの町は水底みなそこの都となるべしと、人々の恐れまどいて、怠らず土をり石を伏せて堅き堤防を築きしが、あたかも今の関屋少将の夫人姉上十七の時なれば
竜潭譚 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
じょうさんに敵はあったでしょうか」
もっとも、蛾次郎がじろうの身にとってみれば、甲府こうふじょう安危あんきよりは、この独楽一が大事かも知れない。だれか、かれを悪童あくどうとよぶものぞ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうして、いまでは、スコーネ地方でもグリンミンゲじょうのほかには、どこにも住むところがなくなってしまったようなわけです。
で、勅の告文は、秋田あきたじょうすけが代って拝受し、一行は、ひとまず定められた宿所に入った。しかし、執権ノ亭では、その間に
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ですから、ニールス・ホルゲルッソンがガンのむれといっしょにやってきたときにも、グリンミンゲじょうには人間はひとりもいませんでした。
そこで、路を代えた鐘巻自斎は、おにじょう峠を越えて梅迫うめさこから綾部を廻り、京都路へさして行ったらしいが、後の消息はこの地方に絶えてしまった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それに相槌打つかのごとく、近くに居流れていた佐介さすけ五郎、淡河兵庫おごうひょうご斎藤宮内さいとうくないじょうすけ師時もろときなども、酒気にまかせて
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐々と前田の戦争は、ことしも吉例のように四、五月頃から諸所に兵火をあげ、相互に、一じょうるいを奪いあって、馬蹄ばていにかからぬ田野でんやもなかった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兵法へいほうにいわく、天水てんすい危城きじょうたもつべし、工水こうすい名城めいじょうも保つべからず。——人体じんたい血脈けつみゃくともみるべき大事な一じょうの水を、掛樋でよばんなどとは築城ちくじょう逆法ぎゃくほう
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、お味方と見込んで、細川殿は将軍家の旨を帯び、その交渉に幾度となく、一乗谷のかねさきじょうへ見えられた。そしてわしの御主人とも、御懇意になった。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長崎円喜えんき、金沢ノ大夫たゆう宗顕そうけん佐介さかい前司ぜんじ宗直むねなお、小町の中務なかつかさ秋田あきたじょうすけ、越後守有時ありとき右馬うまかみ茂時しげとき相模さがみ高基たかもと刈田式部かったしきぶ、武蔵の左近将監さこんしょうげんなど、ひと目に余る。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この地方の、小木江おきえじょうの城主であった信長の弟、三七信興のぶおきは殺され、城は一揆の者に奪われていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
比丘尼びくにじょうだの、赤田城あかたじょうだの、堂ヶ峰城だの、正岡城だの、小淵城こぶちじょうだの、大野五ヵ城の一つという法天山城址ほうてんやまじょうしとか、その他、城主も地名年代も不明のものまで入れたら
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
せきじょう峰城みねじょう神戸かんべじょう、伊勢路までゆけば、蒲生がもうどのの軍勢もおり、お味方は充満しておる。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寿永元年、越後平家のじょう四郎しろう長茂ながもちが、都からの命で、木曾義仲を出撃に出たさい、恵日寺の乗円房も、ここの僧兵をひきいて、長茂を助け、義仲の軍と、横田河原で戦った。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう一ときの時をかしていたら、久原川の洲で、敵将足利直義ただよしを討ち取ってもいたろうに、せつなを、自軍の内からくつがえされて、じょう越前えちぜん、赤星六郎兵衛、ほか三十七人の旗本まで
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おたがいにこれが首尾しゅびよくいけば、呂宋兵衛るそんべえさまも一こくじょうあるじとなり、わたしや、おまえも秀吉ひでよしさまからウンとご褒美ほうびにありつけるんじゃないか、しっかりしなくッちゃいけないよ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土岐伯耆ほうき、芦名ノ判官、三浦若狭わかさ、千田太郎、じょう大弐だいに結城ゆうき七郎、小田の常陸ノ前司ぜんじ、長江弥六左衛門、長沼駿河守、渋谷遠江守、伊東前司、狩野七郎、宇佐美摂津ノ判官、安保あぼの左衛門
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は、浅井方の苅安城かりやすじょう長比たけくらべ(長競)じょう不破郡ふわごおり松尾山まつおやま長亭軒ちょうていけんの城など、味方にとって、最も怖るべき後方の諸城を陥し、前線と岐阜との通路と、その安全を確保するために、遅れたのであった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
場所は、野尻湖のじりこの東南で、越後信州の国境にあたり、山地ではあるが、北するも、西するも、南するもここを分岐点ぶんきてんとする交通の要衝ようしょうで、わりたけの嶮にって、越後勢のたてこもっている一じょうがある。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そう答えたじょうノ越前守へ、武敏がすぐ一令をくだしていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、対岸の、たけはなじょうを、攻めに寄せた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「秋田の延明えんみょうじょうすけ延明はいるか」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくじょう
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
じょうか」
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)