“二俣城”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
ふたまたじょう | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
交通路の確保にはもっとも注意し、十月の末近くまでに、その方面の守備をととのえ、また天龍川の二俣城の抑えに、援軍と軍器食糧などを増派しておいて
“二俣城”の解説
二俣城(ふたまたじょう)は、遠江国豊田郡二俣(静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)にあった日本の城(山城)。天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られる。城跡は国の史跡に指定されている(指定名称は「二俣城跡及び鳥羽山城跡」)。
本項では二俣城攻略の際に付城として築かれた鳥羽山城についても記述する。
(出典:Wikipedia)
本項では二俣城攻略の際に付城として築かれた鳥羽山城についても記述する。
(出典:Wikipedia)