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二俣城
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ふたまたじょう
ふりがな文庫
“
二俣城
(
ふたまたじょう
)” の例文
交通路の確保にはもっとも注意し、十月の末近くまでに、その方面の守備をととのえ、また天龍川の
二俣城
(
ふたまたじょう
)
の抑えに、援軍と軍器食糧などを増派しておいて
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
長篠の合戦に勝った徳川家康は、この機会に武田氏の勢力を駆逐すべく、軍をめぐらして
二俣城
(
ふたまたじょう
)
を攻め、光明寺城を抜き、七月には
諏訪
(
すわ
)
ノ
原
(
はら
)
城
(
じょう
)
を陥しいれ、さらに高天神へと
鉾
(
ほこ
)
を向けた。
日本婦道記:萱笠
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
信玄はその本陣を
江台島
(
えだいしま
)
にうつし、一方、
伊奈
(
いな
)
四郎勝頼、
穴山梅雪
(
あなやまばいせつ
)
などの一手を、
二俣城
(
ふたまたじょう
)
へ向けて
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“二俣城”の解説
二俣城(ふたまたじょう)は、遠江国豊田郡二俣(静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)にあった日本の城(山城)。天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られる。城跡は国の史跡に指定されている(指定名称は「二俣城跡及び鳥羽山城跡」)。
本項では二俣城攻略の際に付城として築かれた鳥羽山城についても記述する。
(出典:Wikipedia)
二
常用漢字
小1
部首:⼆
2画
俣
漢検準1級
部首:⼈
9画
城
常用漢字
小4
部首:⼟
9画
“二俣”で始まる語句
二俣
二俣尾
二俣川
二俣村
二俣榲
二俣小舟