“てら”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:テラ
語句割合
衒36.3%
寺28.4%
照26.5%
寺院2.5%
輝1.6%
光0.6%
昭0.6%
相国0.6%
蘭若0.3%
観0.3%
寺刹0.3%
庵室0.3%
教会0.3%
映0.3%
映照0.3%
燭0.3%
自照0.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
傲慢を衒(てら)っていながら傲慢が三文の値にもならないことに気づいて、私は公園にでも散歩した帰りのような陽気なふうをして見せた。
「あの若者(わかもの)は毎日(まいにち)つっ伏(ぷ)したきり、物(もの)も食(た)べずにいる様子(ようす)だが、あのまま置(お)いてかつえ死(じ)にに死(し)なれでもしたら、お寺(てら)の汚(けが)れになる。」
一本のわら (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
是(これ)等が黄色な灯(ひ)で照(てら)されて居るのを私は云ひ知れない不安と恐怖の目で見て居るのであつた。終(しま)ひには両手で顔を覆ふてしまつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
門衛遽(あわただ)しく遮って、「こらこら、ここは寺院(てら)じゃないぞ。今日葬式(とむらい)のあるなあ一町ばかり西の方だ。」
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
北の方で、条(すじ)をなさぬ紅(くれない)や紫の電光(いなずま)が時々ぱっぱっと天の半壁(はんぺき)を輝(てら)して閃(ひら)めく。近づく雷雨を感じつゝ、彼等は猶頭上の雲から眼を離し得なかった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎、徳冨蘆花(著)
大国主神(おおくにぬしのかみ)が海岸に立って憂慮しておられたときに「海(うなばら)を光(てら)して依(よ)り来る神あり」
神話と地球物理学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
孝孺の此言に照せば、既に其の卓然として自立し、信ずるところあり安んずるところあり、潜渓先生(せんけいせんせい)が謂(い)える所の、特(ひと)り立って千古を睨(にら)み、万象昭(てら)して昏(くら)き無しの境(きょう)に入れるを看(み)るべし。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「どうだ、よう焼けをつたなあ。相国(てら)も焼けた、桃花文庫(ふみぐら)も滅んだ、姫もさらひそこねた、はははは」
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
此の里の二七上の山に一宇の二八蘭若(てら)の侍る。故(もと)は二九小山氏の三〇菩提院(ぼだいゐん)にて、代々(よよ)大徳(とこ)の住み給ふなり。
庄司も妻も面(おもて)を青くして嘆きまどひ、こはいかにすべき。ここに都の三二八鞍馬寺(くらまでら)の僧の、年々熊野(くまの)に詣づるが、きのふより此の三二九向岳(むかつを)の三三〇蘭若(てら)に宿りたり。
その不落をほこる城楼も巍峨(ぎが)たる姿だが、さすが霊山の華岳(かがく)はもっと神々しい。仙掌(せんしょう)ノ峰、雲台ノ観(てら)。斧(おの)をならべたような石峰。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、天子ご名代の入山予告はとうに観(てら)へ入ってる。儀式万端奉迎のしたくにおいても手落ちはない。——ただ驚いたのは寝耳に水の、到着だった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朕(あ)れ内典(ほとけのみのり)を興隆(おこ)さむと欲(おも)ふ。方将(まさ)に寺刹(てら)を建てむときに、肇(はじ)めて舎利を求めき、時に、汝が祖父司馬達等(しばたちと)便(すなわ)ち舎利を献(たてまつ)りき。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
この庵室(てら)ずまいをしはじめてから、かどわかされの女の子を預かる内職をはじめて、かなりああいう代物(しろもの)を手がけたが、あいつのように根性骨の突っ張った奴は、逢ったことがねえぜ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
「解ってらア、此処(ここ)の教会(てら)の狐野郎のことよ。祭壇の上で芝居をやる役者だろうじゃねえか。そだろう。おっ母ア」
反逆 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
月影はこんもりとこの一群(ひとむれ)を映(てら)している、人々は一語(ひとこと)を発しないで耳を傾けていた。今しも一曲が終わったらしい、聴者(ききて)の三四人は立ち去った。
女難 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
しかし、ものを書きつづけた夜の顏が、朝の光りに、机や窓硝子にうつつた時のあじきなさは、シヨーウインドに突然くたびれた全身を映照(てら)しだされたをりの物恥(ものはぢ)と匹敵する。
鏡二題 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
龐涓(はうけん)、果(はた)して夜(よる)、斫木(しやくぼく)の下(もと)に至(いた)り、白書(はくしよ)を見(み)、乃(すなは)ち(五五)火(ひ)を鑽(き)りて之(これ)を燭(てら)す。其書(そのしよ)を讀(よ)み未(いま)だ畢(をは)らざるに、齊(せい)の軍(ぐん)の萬弩(ばんど)倶(とも)に發(はつ)す。魏(ぎ)の軍(ぐん)大(おほひ)に亂(みだ)れ、(五六)相失(あひしつ)す。
無念、無想、無我の心で自照(てら)し出す。これこそ心の当体だぞと実地のやり方で体験的に示したのであります。そこで文殊は感心して「善き哉」と讃めたのであります。
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)