“かうてい”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
肯定23.5%
行程17.6%
校訂11.8%
孝悌11.8%
孝貞5.9%
考定5.9%
抗抵5.9%
校庭5.9%
香亭5.9%
高低5.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
吉之助はそれを否定も肯定かうていもせずに、少し濡れた顏を灯の中にあげます。
汽船で行けば一日で到着するほどの行程かうていだが、和船では中々さう早くは行かなかつた。
(新字旧仮名) / 田山花袋(著)
此書このしよ全部ぜんぶ六巻、牧之老人ぼくしらうじんねふりかる漫筆まんひつあづさまたざるの稿本かうほんなり。ゆゑ走墨乱写そうぼくらんしやし、また艸画さうぐわなり。老人らうじんしめして校訂かうていふ。
得るを神と云されば今此若者百姓にて耕作かうさくわざとし居ながら自然劔法のめうを得たる手練あり先刻大勢を相手に討合うちあふ有樣ありさま勿々なか/\凡人ならず加ふるに大力無双むさうにして正直正路に見え父兄おやあに孝悌かうてい
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
追返おひかへし不實のうへとがなき者を盜賊人殺と麁忽そこつうつたへをなすことはなはだ以て不屆ふとゞきなり屹度きつと曲事きよくじに申付べき所なれども娘菊が孝貞かうていに免じ汝が越度をちど差免さしゆるすなり落着らくぢやくの後は娘菊を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
こゝ江戸えど新吉原町しんよしはらまち松葉屋半左衞門まつばやはんざゑもんかゝへ遊女いうぢよ瀬川せがはをつとかたきうちしより大岡殿の裁許さいきよとなり父の讐迄あだまでうち孝貞かうていの名をあらは而已のみ遊女いうぢよかゞみたゝへられそれため花街くるわ繁昌はんじやうせし由來を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
是等は玩弄品ぐわんろうひんか裝飾品か貨幣くわへいの如き用を爲せしもの容易ようゐ考定かうていする事能はずと雖も、石鏃せきぞく本來の用及ひ主要しゆゑうの用は、此所にかかげたる名稱めいせう意味いみする通り
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
コロボツクルは植物性食物をもゆうせしに相違そうゐ無けれど、如何なる種類しゆるいの如何なる部が常食としてえらばれしや嗜好品として撰ばれしや、考定かうてい材料不足ざいりやうふそくにして明言めいげんする能はず。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
余は守る所を失はじと思ひて、おのれに敵するものには抗抵かうていすれども、友に對して否とはえ對へぬが常なり。
舞姫 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
ときかね校庭かうていやしなはれて、嚮導きやうだうつたいぬの、ぢてみづかころしたともひ、しからずとふのが——こゝにあらはれたのでありました。
雪霊続記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
香亭かうてい雅談に拠るに、冬嶺は山本北山の門人で、奚疑塾けいぎじゆくにあつた頃は貧窶ひんる甚しかつた。その始て幕府に仕へたのは嘉永中の事で、此より弟子大に進み、病客も亦蝟集ゐしふしたさうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
うらへ一時半じはんあひだのぼりであるが多少たせう高低かうていはある。くだりもある。喇叭らつぱく、くて棧道さんだうにかゝつてからだい一の停留所ていりうじよいたところわすれたが此處こゝ熱海あたみから人車じんしやりちがへるのである。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)