麾下きか)” の例文
大キュロスとカッサンダネとの息子むすこ波斯ぺるしゃ王カンビュセスが埃及えじぷと侵入しんにゅうした時のこと、その麾下きかの部将にパリスカスなる者があった。
木乃伊 (新字新仮名) / 中島敦(著)
くだんの両人相親しむ時は余らは皆その麾下きかに属してさまざまなる悪戯をして戯れしが両人仲違なかたがひしたる時は余らもまた仲間割れをせり。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
淙々そうそう、風蕭々しょうしょう、夕闇とともにひどく冷気も迫って、謙信の胸は、なお帰らぬ麾下きかの将士のうえに、いたかなしまずにはいられなかった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
マックアーサー元帥麾下きかのアメリカ軍が、マニラ入城の後、原子爆弾の第一弾が、日本に投下される約六カ月以前にさかのぼるのである。
総大将四郎時貞は相津玄察、下津浦の次兵衛と共に二百の麾下きかを従えて中軍に在った。陣中悉く白旗を掲げ十字架を画いた。
島原の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
秋山万三郎は高坂弾正(虎綱)の麾下きかにあって下平川口の外塁の攻撃に当った。戦は夜明けに始まり、烈しい矢だまの応酬から肉薄戦に移った。
石ころ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「……午後五時廿分、山際やまぎわ葛野くずの両勇士麾下きかの決死隊士によって光華門城頭高く日章旗が掲げられますと、伊藤中佐につづいて、……われわれ……」
キャラコさん:03 蘆と木笛 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
この砂漠に、醤麾下きかの最後の百万名の手勢てぜいが、炎天下えんてんかに色あげをされつつ、粛々しゅくしゅくとして陣を張っているのであった。
それに戦捷せんしょう当時のしかも第十三連隊麾下きかの私の村では在郷軍人会が発展して青年達は軍国主義的な気風と、私達細民階級に対する蔑視観念が強くなっていた。
あまり者 (新字新仮名) / 徳永直(著)
秀吉が出て来さえしなければ、無論大崎氏葛西氏は政宗の麾下きかに立つを余儀なくされるに至ったのであろう。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
彼は、門倉平馬が、彼にとっては、仇敵の総本山であるような、土部駿河守の麾下きかに、新しく属しているということを、一松斎がわざわざ囁いてくれたのを思い出したのだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
各〻の陣小屋の周囲には、それ/″\麾下きかの将卒の紋を染め抜いた陣幕がめぐらしてあり、小屋の入り口には制札が立てゝあり、旗、指物さしもの、長柄、などが幕の蔭に置いてあった。
楊完の麾下きか劉万戸りゅうまんこという者があったが、手兵を連れて突然趙の家へきた。愛卿は大いに驚いて逃げようとしたが、逃げる隙がなくとうとう捕えられて、万戸の前へ引きだされた。
愛卿伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
尾張は織田信雄のぶかつ、三河駿河遠江は家康の所領で、この両名は秀吉と干戈かんかを交へた敵手であり、現在は秀吉の麾下きかに属してゐるが、いつ異心を現すか、天下万人の風説であり、関心だ。
黒田如水 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
今打ち落した氏輝の首をいだいて走った志を家康感じて罰せず、麾下きかに列したとある(『野史』一二六)は自分の家から火を出しながら大睾丸の老爺を負って逃げたので褒美ほうびされたような咄し。
桃配りという名は、家康が桃を配ったからだというのは道庵一流のヨタだが、この地点に徳川家康が百練千磨の麾下きかの軍勢を押据えて、西軍を押潰おしつぶしたという史蹟は争えないものがあるのです。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それでも彼の成功を見て、その風を望んで麾下きかに馳せ参ずる者もあった。別に一派を起こそうとする者もあらわれて来た。それと同時に、川上一派に対していろいろの悪口をいう者も出て来た。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
殿様の身に運があれば、その麾下きかに人もある。
番兵はみな関羽の麾下きかである。この象山ぞうざんには例の烽火のろし台があり、陸路荊州まで斜めに数百里のあいだ同じ備えが諸所の峰にあった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
単于麾下きかの諸将とともにいつも単于に従っていた。すきがあったら単于の首でも、と李陵はねらっていたが、容易に機会が来ない。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
と真実をめて云った。家康はその熱心にうごかされ、伊忠のねがいをゆるして吉信を麾下きかに加え、かつ三郎信康に属せしめたのであった。いま信次が
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
博士の質問は、密使油にとって、はなはだ痛かった。当時、醤主席およびその麾下きか百万余名は、その重慶にも成都にも、はたまた昆明にも居なかったのである。
厳島合戦は戦国時代の多くの戦争の中で圧倒的な大勝であるが、其間に僥倖の部分は非常に少く、元就の善謀と麾下きかの団結と、武力との当然の成果と云ってい位である。
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
よってえいを逮捕し、都督宗忠そうちゅうをして兵三万をひきい、及び燕王府の護衛の精鋭を忠の麾下きかれいし、開平かいへいとんして、名を辺に備うるにり、都督の耿瓛こうけんに命じて兵を山海関さんかいかんに練り
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
当時筑摩家は門地もんちも高く、数ヶ国を領していた大々名であったから、屈辱的な降参ではない迄も、決して対等の和睦をしたのではなく、実は一閑斎の麾下きか隷属れいぞくしたのであろう。
尾張は織田信雄のぶかつ、三河駿河遠江は家康の所領で、この両名は秀吉と干戈かんかを交へた敵手であり、現在は秀吉の麾下きかに属してゐるが、いつ異心を現すか、天下万人の風説であり、関心だ。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
どうやら麾下きかの軍隊が、おかちになっておまけ
「それがしは、衛国えいこくの生れ、楽進がくしんあざな文謙ぶんけんと申す者ですが、願わくば、逆賊董卓とうたくを、ともに討たんと存じ、麾下きかに馳せ参って候」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小タマセセは、王及び全白人の島外放逐(或いは殲滅せんめつ)を標榜ひょうぼうして起ったのだが、結局ラウペパ王麾下きかのサヴァイイ勢に攻められ、アアナでついえた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
有様ありようは、関東へ下って、慶喜よしのぶ公の麾下きかに加わって、一働きいたそうとの所存と見え申す」
乱世 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
リット提督は、得意満面、大した御機嫌で司令塔上から麾下きかの艦艇をじっと見わたした。
浮かぶ飛行島 (新字新仮名) / 海野十三(著)
公と檜垣勢の聯合軍は敵を追って前進を続けたが、沿道の城主共はふうを望んで麾下きかに属する者が多く、月形城も亦それに呼応して明瞭めいりょうに叛旗をひるがえし、盛んに近隣を攻略し出した。
平安が馬歩兵ばほへい四万を率いて追躡ついせつせるを淝河ひがに破り、平安の麾下きかの番将火耳灰ホルフイを得たり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そして、麾下きかの将士と共に矢坂、野殿、野田を経、半田山はんだやままでくると、さきに引き揚げていた宇喜多主従が、岡山から迎えに出ていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
麾下きか数万の軍勢を見渡しながら、百年後にはこの中の一人も生残っていないであろうことを考えて涕泣ていきゅうしたというペルシャの王様のように、この少年は、今や
狼疾記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
此の頃の信長麾下きかの武将など、信長勢力の発展と共に、その所領は常にいろいろ変更されているのだから、近江で呉れたものを中国辺で呉れるものと思えば、心配することはないのである。
山崎合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
左近衛番長の正六位上英保純行あぼのすみゆき、英保氏立、宇自加支興もちおき等によつてもたらされ、下毛下総常陸等の諸国に朝命が示され、原告源護、被告将門、および国香の麾下きかの佗田真樹を召寄せらるゝ事になつた
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
ことし男子の三十歳ともなって、徳川家の一麾下きかとなり、三千石の知行をうけて、奉公にある身が——と慚愧ざんきせずにはいられなかった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
報告書は麾下きか陳歩楽ちんほらくという者が身に帯びて、単身都へせるのである。選ばれた使者は、李陵りりょう一揖いちゆうしてから、十頭に足らぬ少数の馬の中の一匹に打跨うちまたがると、一鞭ひとむちあてて丘を駈下かけおりた。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
二条城には幕府麾下きかの遊撃隊を初め、例の新選組、見廻り組、津大垣の兵など集っていたが、朝廷の処置に憤激止まず、また流言ありて、今にも薩長の兵が二条城を来襲して来ると云うので
鳥羽伏見の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
茂助吉晴は、いまでこそ、錚々そうそうたる羽柴麾下きかの一将だが、その青年期までは、岐阜ぎふの稲葉山つづきの山岳中に育った自然児である。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
身には数創を帯び、みずからの血と返り血とで、戎衣じゅういは重くれていた。彼と並んでいた韓延年かんえんねんはすでに討たれて戦死していた。麾下きかを失い全軍を失って、もはや天子にまみゆべき面目はない。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「織田の麾下きかさえ、意外であったらしく、味方と味方のあいだにすら、信長の意中がせぬと、すくなからず狼狽の者もありましたが」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
では、その勝頼をして、織田家の麾下きかにひざまずかせ、せめて信玄亡きあとの安全をはかろうとせん——これはできないことだった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
占領地の内政やら、城郭の大改築、軍の再整備などがすむと——七月の二十日、御著の官兵衛の麾下きかを誘い、総軍、因幡いなば伯耆ほうきへ入った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
直義の督戦とくせんとなると、麾下きかの将士はみな死神のむちを聞くように、武者肌をそそけ立てた。かならず、死人の山を越えさせるからであった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただこれ一人の老母を曹操にとらわれたため、やむなくその麾下きかに留まっていたものの、今はその老母も相果ててこの世にはおりません。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山東の道々は、予自身の軍をもって遮断しゃだんするから、劉玄徳は、その麾下きかをよく督して下邳かひより淮南わいなんのあいだの通路を警備したまえ
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「しかし父上。麾下きかの将士は皆、さようには解しておりませんよ。洛陽の指令はいつでも保守的な安全主義ときまっておるのですからな」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
麾下きか三軍の兵は、めどを失い、散々ちりぢり逃げ帰りもしたろうが、彼とすれば「何でおめおめ、この面さげて都へ」という感慨だろう。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)