“麾下:きか” の例文
“麾下:きか”を含む作品の著者(上位)作品数
吉川英治36
菊池寛5
中島敦3
幸田露伴3
坂口安吾2
“麾下:きか”を含む作品のジャンル比率
文学 > ドイツ文学 > 戯曲50.0%
文学 > 日本文学 > 小説 物語1.9%
歴史 > 伝記 > 個人伝記0.9%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
——この者どもは扶持ふちにも離れかけたが、しかし浮浪にまではならずにそのほとんどが新田義貞の麾下きかにかかえられた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播磨はりま因幡いなば但馬たじまに散陣していた秀吉の麾下きかは、二月中に、はやくも姫路に集合を命ぜられていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「丞相丞相。もう恐れ給うことはありません。ご麾下きか徐晃じょこうです。徐晃これにお待ちしていました」と、さけぶ。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
少ないのは覚悟のまえであった。馬上になった義貞は、すぐ鞭を西北へして「行くぞ」と、麾下きかの将士へ目合図を配った。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかも麾下きかには、万余の新軍勢を加え、山門の衆徒三千、さらに園城寺おんじょうじの大衆までをかぞえてみると、義貞すらが、
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
——きのう秀吉の本軍が富田とんだ大塚附近まで進出すると、麾下きかの諸将はみなまッ先に、この山に目をそそいでいた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蜂屋隊に代って、神戸信孝の麾下きか峰信濃守みねしなののかみ平田ひらた壱岐いき守が、新手を出して、明智勢に当った。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と一語、麾下きかの士を励ますや、自身、旗、馬簾ばれんなどの先に立ってまっしぐらに、麓口ふもとぐちへ駈け降りていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どうかもう少しのびやかに稀れにはおくつろぎ下さるこそ、われわれ麾下きかの者も、かえって歓ばしくこそ思え、毛頭
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
従来の佐々木道誉も、麾下きかの一部将としてしか扱っていず、またそれ以上には眼の中においてもいない尊氏なのだった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
事実は、もっと数多い女性が、彼をとりまき、麾下きかの占領軍将士の間にも、似たような事実はいくらもあったのではないかとおもう。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「筑前どのの麾下きか浅野長吉ながよしどのとは、前々より面識もある。使者の見えたのを幸いに一書、託したいが、届けてくれるか」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かわってそれらの有縁うえんいて、秀吉の麾下きかにまとめたのも、専ら官兵衛の働きにあったことなので、
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「しかし父上。麾下きかの将士は皆、さようには解しておりませんよ。洛陽の指令はいつでも保守的な安全主義ときまっておるのですからな」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
次の日。——岐阜ぎふ中将信忠は、諸将をひきつれて、戦場を引き払った。残るは、秀吉麾下きかの八千だけである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
有様ありようは、関東へ下って、慶喜よしのぶ公の麾下きかに加わって、一働きいたそうとの所存と見え申す」
乱世 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
気負いぬいた彼の麾下きかは、その夜のうちにも新野へ迫って、一挙に敵の本拠を抜いてしまうばかりな勢いだった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして伊丹家なるものは、名ばかりの一族の端に置かれ、麾下きかのうちでも、ほとんど、列後に忘れ去られていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十虎というのは、謙信麾下きかの旗本の精鋭中からまた精鋭をって、誰かが十人を挙げて名づけたものである。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「織田の麾下きかさえ、意外であったらしく、味方と味方のあいだにすら、信長の意中がせぬと、すくなからず狼狽の者もありましたが」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
果たして、甲軍全体をおおう敗色の濃いものを見ると、信長は急に柵外への突出を命令し、家康もまた全麾下きかへ、
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それで麾下きかの将士はおちついたが、ただ佐々木道誉と尊氏とがこの数日交わしていた懸合い事は何だったのか。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は事々に、自国とこことを、見くらべた。徳川麾下きかの一般と、羽柴麾下の一般とを、比較し、反省していた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
徳川の麾下きか加藤忠景かとうただかげ丹羽氏重にわうじしげのふたりが、士卒わずか二百三十名ほどで守っている、岩崎の城であった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉が出て来さえしなければ、無論大崎氏葛西氏は政宗の麾下きかに立つを余儀なくされるに至ったのであろう。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ことし男子の三十歳ともなって、徳川家の一麾下きかとなり、三千石の知行をうけて、奉公にある身が——と慚愧ざんきせずにはいられなかった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本能寺が手狭てぜまのため、市中の宿舎に、わかれわかれに泊っていた麾下きかの士もかなりあったのである。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
麾下きかの越後新田党といい、僻地へきちの東国武士などは、その大半以上が、都を見るのも初めてだった。
という有名な居合の名標語を吐いた人で、抜刀田宮一流の別派を興し、当時の達人ともいわれて、林崎夢想流麾下きかの第一人者と目されるに至った。
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
分ったのは、よほど後のことであるが、織田信澄麾下きかの新参で、伊丹わたるという者の妻なりと知れた。そしてその妻女の名は、菊とも聞えた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
番兵はみな関羽の麾下きかである。この象山ぞうざんには例の烽火のろし台があり、陸路荊州まで斜めに数百里のあいだ同じ備えが諸所の峰にあった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この砂漠に、醤麾下きかの最後の百万名の手勢てぜいが、炎天下えんてんかに色あげをされつつ、粛々しゅくしゅくとして陣を張っているのであった。
くだんの両人相親しむ時は余らは皆その麾下きかに属してさまざまなる悪戯をして戯れしが両人仲違なかたがひしたる時は余らもまた仲間割れをせり。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
と、指揮に当ると、彼の麾下きかはまたたくまに、秩序をとりかえし、を鳴らして包囲して来た。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「何をばさように恐れ給うか。曹軍の麾下きかにも張飛以上の者あることを、今ぞしかとご覧あれ」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
といわれ、その麾下きかには、いわゆる“菊池千本槍”の武名を持つ旗本の精鋭と、七千の兵があった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
将門は、このところ、ひどく神経質になっていた。誰か、麾下きかの将をやっても足りそうな事なのに、
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弟の恨みよりも、玄徳を麾下きかに加えておいたほうが、将来の利であると考え直してきたのだった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「鎌倉どのの侍大将、長崎四郎左衛門ながさきしろうざえもんじょう麾下きかの者だが」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この一手切てぎりの体当りをうけた甲軍の隊は、山県三郎兵衛昌景まさかげ麾下きかだった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清水宗治むねはる麾下きかは、宇喜田の兵が、城戸や石垣近くへ寄りたかって来るのを見ると、
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家康の神速と、同時に、長島からも、信雄の麾下きか、梶川秀盛や小坂雄吉たかよしなどが、駆けつけた。大野附近から蟹江へわたる布陣は、たちまち成った。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よってえいを逮捕し、都督宗忠そうちゅうをして兵三万をひきい、及び燕王府の護衛の精鋭を忠の麾下きかれいし、開平かいへいとんして
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
と、秀政などは歯がみをした。長久手以来、秀吉の麾下きかは、三河武士の手なみにふかくじたぞと、敵は、声を大にしてはやしているからだ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
報告書は麾下きか陳歩楽ちんほらくという者が身に帯びて、単身都へせるのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「いまは誰のために戦わん」といって、みな蜀軍の麾下きかへ、降人こうじんとなって出た。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、庁の守護兵、二百五十騎を追ッかけさせた。また、我から公綱の麾下きかを望む武者には、
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
博士の質問は、密使油にとって、はなはだ痛かった。当時、醤主席およびその麾下きか百万余名は、その重慶にも成都にも、はたまた昆明にも居なかったのである。
リット提督は、得意満面、大した御機嫌で司令塔上から麾下きかの艦艇をじっと見わたした。
浮かぶ飛行島 (新字新仮名) / 海野十三(著)
総大将四郎時貞は相津玄察、下津浦の次兵衛と共に二百の麾下きかを従えて中軍に在った。
島原の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
また。——南門にいた陳宮は、「南門を、死場所に」と、防戦に努めていたが、曹操麾下きかの勇将徐晃じょこうに出会って、彼もまた、捕虜の一人となってしまった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「……午後五時廿分、山際やまぎわ葛野くずの両勇士麾下きかの決死隊士によって光華門城頭高く日章旗が掲げられますと、伊藤中佐につづいて、……われわれ……」
キャラコさん:03 蘆と木笛 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
安芸の人、石井七郎末忠すえただなる者が、正成の麾下きかにあって戦死していた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こんな声が立つ所にも、尊氏と麾下きかの軍そのものとの内部的な亀裂が見える。直義党の残党と通じて、いつ寝返るか知れない者が、なお鎌倉の内にはいる証拠と見てよい。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
美濃守信房といえば、信玄麾下きかのうちでも有数な武将であり兵学の巧者であった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は、門倉平馬が、彼にとっては、仇敵の総本山であるような、土部駿河守の麾下きかに、新しく属しているということを、一松斎がわざわざ囁いてくれたのを思い出したのだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
厳島合戦は戦国時代の多くの戦争の中で圧倒的な大勝であるが、其間に僥倖の部分は非常に少く、元就の善謀と麾下きかの団結と、武力との当然の成果と云ってい位である。
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
云うなと叱っても、二人は云いまないのである。また、佐藤兄弟が無念としている事は、この六条の邸に住む義経の麾下きかが今、こぞって不満としていることだった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小タマセセは、王及び全白人の島外放逐(或いは殲滅せんめつ)を標榜ひょうぼうして起ったのだが、結局ラウペパ王麾下きかのサヴァイイ勢に攻められ、アアナでついえた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
それでも彼の成功を見て、その風を望んで麾下きかに馳せ参ずる者もあった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「いやいや、そちなどは幼君のおそばにあって、どんな乱軍の中でも離れてはならん。したが新参の兵は、ことごとく、義貞の麾下きかへ廻してよこせ。先陣、または二ノ陣に加えよう」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関ヶ原の陣中にもいたであろう。一時は、徳川家と対陣した西軍のなかに。——いくさなかばからは味方の石田三成以下を裏切って、関東軍の一翼となった秀秋の麾下きかに。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
麾下きかを失い全軍を失って、もはや天子にまみゆべき面目はない。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「それがしは、衛国えいこくの生れ、楽進がくしんあざな文謙ぶんけんと申す者ですが、願わくば、逆賊董卓とうたくを、ともに討たんと存じ、麾下きかに馳せ参って候」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、その包囲力は直義をつつみ、さらに麾下きかの人数を寸断していた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
——わが軍の行くを迎えて礼する者は麾下きかに加えてぐうせん。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此の頃の信長麾下きかの武将など、信長勢力の発展と共に、その所領は常にいろいろ変更されているのだから、近江で呉れたものを中国辺で呉れるものと思えば、心配することはないのである。
山崎合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
荊州城の内外には、一夜のうちに彼の麾下きかなる駿足が集まった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どうして畿内の武士があげて正成の麾下きかにあつまるだろうか。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
各〻の陣小屋の周囲には、それ/″\麾下きかの将卒の紋を染め抜いた陣幕がめぐらしてあり、小屋の入り口には制札が立てゝあり、旗、指物さしもの、長柄、などが幕の蔭に置いてあった。
楊完の麾下きか劉万戸りゅうまんこという者があったが、手兵を連れて突然趙の家へきた。愛卿は大いに驚いて逃げようとしたが、逃げる隙がなくとうとう捕えられて、万戸の前へ引きだされた。
愛卿伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
どうやら麾下きかの軍隊が、おかちになっておまけ
これは織田のうちでも精鋭な佐久間大学の麾下きかのものだ。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、三ノ宮林まで陣座をすすめ、麾下きかの法師旗本へ、
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丹羽にわ、前田も、あまんじて麾下きかにひざまずく。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尾張は織田信雄のぶかつ、三河駿河遠江は家康の所領で、この両名は秀吉と干戈かんかを交へた敵手であり、現在は秀吉の麾下きかに属してゐるが、いつ異心を現すか、天下万人の風説であり、関心だ。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
尾張は織田信雄のぶかつ、三河駿河遠江は家康の所領で、この両名は秀吉と干戈かんかを交へた敵手であり、現在は秀吉の麾下きかに属してゐるが、いつ異心を現すか、天下万人の風説であり、関心だ。
黒田如水 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
呂布の麾下きか、高順の陣は、突破をうけて潰乱した。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
血と泥にまみれた将士は、追々に麾下きかへ集まった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桃配りという名は、家康が桃を配ったからだというのは道庵一流のヨタだが、この地点に徳川家康が百練千磨の麾下きかの軍勢を押据えて、西軍を押潰おしつぶしたという史蹟は争えないものがあるのです。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
平安の麾下きかの番将火耳灰ホルフイを得たり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
殿様の身に運があれば、その麾下きかに人もある。
公と檜垣勢の聯合軍は敵を追って前進を続けたが、沿道の城主共はふうを望んで麾下きかに属する者が多く、月形城も亦それに呼応して明瞭めいりょうに叛旗をひるがえし、盛んに近隣を攻略し出した。
劉備りゅうび麾下きかに青年孔明なるものがある)を、意識させられてからというものは、事ごとに、志とたがい、さしもの曹操もついに、身の終るまで、自己の兵を、一歩も江漢へ踏み入らせることができなかった。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われわれ麾下きかの大将は
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ときを合せて、加賀、能登、越中の賊兵も、名越太郎時兼の麾下きかに、善光寺だいらへ打って出て、ために土地ところの守護国司らの官軍は、千曲川そのほかの戦場でことごとく打ち破られ、はや、手のくだしようもありません」と。
魏延に賞を賜うなど以てのほかです。彼、もとより韓玄とは、何の仇あるに非ず。かえって、一日でもそのろくみ、かりそめにも、主君とたのみ、仰いでいた人です。それを、一朝の変に際し、たちまち殺してご麾下きかに馳せ参ず。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここで、思いあわされるのは、ずっと後年ではあるが、その足利尊氏あしかがたかうじが中央に失脚して、楠木正成や新田義貞にもやぶられ、長駆、九州へ逃げ落ちて行ったさい、たちまち鎮西の大勢力が、彼の麾下きかにあつまって来たことだ。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その時、二条城には幕府麾下きかの遊撃隊を初め、例の新選組、見廻り組、津大垣の兵など集っていたが、朝廷の処置に憤激止まず、また流言ありて、今にも薩長の兵が二条城を来襲して来ると云うので、城壁に銃眼を穿うがち始めると云うさわぎである。
鳥羽伏見の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
麾下きか数万の軍勢を見渡しながら、百年後にはこの中の一人も生残っていないであろうことを考えて涕泣ていきゅうしたというペルシャの王様のように、この少年は、今や、自己の周囲の凡てに「限られたるもののしるし」を認めて胸をさされるのであった。
狼疾記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
日本で、天皇自身が降伏を決意せられ、ロシアの仲介を得ようと、最初、もくろまれたのは、じつに一九四五年二月十四日、マックアーサー元帥麾下きかのアメリカ軍が、マニラ入城の後、原子爆弾の第一弾が、日本に投下される約六カ月以前にさかのぼるのである。
氏輝は遺書を見て不便がり、一生女と交わらなんだとあるが、後年秀吉の命で自裁した時、愛童山角定吉十六歳、今打ち落した氏輝の首をいだいて走った志を家康感じて罰せず、麾下きかに列したとある(『野史』一二六)は自分の家から火を出しながら大睾丸の老爺を負って逃げたので褒美ほうびされたような咄し。
去年十二月二十九日の符が、今年九月になつて、左近衛番長の正六位上英保純行あぼのすみゆき、英保氏立、宇自加支興もちおき等によつてもたらされ、下毛下総常陸等の諸国に朝命が示され、原告源護、被告将門、および国香の麾下きかの佗田真樹を召寄せらるゝ事になつた、そこで将門は其年十月十七日、急に上京して公庭に立つた。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
今、天下は平相国へいしょうこくの領地でないところはなく、平家の与党の住まぬ地は一郷一村とてない程なのに、一流人るにんから起って、わずか三十余日、麾下きかの武者とて五、六百の小勢に過ぎぬ微弱を以て、この広常が、二万の大兵をひきつれて加担にまかり出たとあれば、将門が秀郷を迎えたよりは、大歓びに歓ぶかと思いのほか、
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)