まき)” の例文
牛乳はまきにゐる牛の乳房からすぐに盗んで飲んだのです。いや。ひどい炎天で、むつとするやうな蒸気が沼から立つてゐました。
まきかたは、総領の宗時と、一室の内に、むかい合って何か憂いに沈んでいた。もちろん政子の問題に就いてである事はすぐ分った。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは頼家よりいえが生れて間もない時のこと、政子には継母けいぼに当る遠江守時政の後妻まきかたから頼朝のおこないついて知らして来た。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
晝間ひるまの暑き日の熱のほてり、いまだに消えやらぬまき草間くさまに横はり、あゝこのゆふべのみほさむ、空が漂ふ青色あをいろのこの大盃おほさかづきを。
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
結うことはおまきあやの髪を、前髪にはりのない、小さい祖母子おばこに結ったのが手始てはじめで、後には母の髪、妹の髪、女中たちの髪までも結い、我髪はもとより自ら結った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「なアおまき、お春や常吉は、まさか道草を食ってるわけじゃあるまいね、大層遅いじゃないか」
元久二年、都では『新古今集』の竟宴が終ったのち、うるう七月、時政はまた妻のまきかたという女傑と共謀して、女婿平賀朝政ひらがともまさを将軍に立てようとし、十四歳の実朝をたおそうとした。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
みずから進んでかの「桐一葉きりひとは」や、「孤城落月こじょうのらくげつ」や、「まきかた」などの史劇を発表した。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
下総は延喜式で左馬寮さまれう御牧貢馬地みまきこうばちとして、信濃上野甲斐武蔵の下に在るやうに見えるが、兵部省ひやうぶしやう諸国馬牛牧式ぼくしきを見ると、高津たかつ牧、大結牧、本島もとじま牧、長州牧など、沢山なまきがあつて
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
勘「ムヽ、カ、カ、神田のまき様の部屋でんしまして、小川町おがわまち土屋つちやの……」
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
夏の日のまき高原たかはらしづまりて温泉うんぜんやま暮れゆくを見たり
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
まきのをとめに、ひとぐき
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
まきかも、また紺瑠璃こんるり
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
かゝる名馬めいばおくまき
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
駒あそぶ高原たかはらまき
艸千里 (旧字旧仮名) / 三好達治(著)
まきの島から
雨情民謡百篇 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
「わたしにも、このことについては、口を出す権利があります。いたどりのまきへ行って、私も、三日三晩、努めたのですから」
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その酒の席で朝雅と六郎が口論をはじめた。朝雅はまきかたの腹に生れたむすめ婿むこで、六郎とは親類関係になっている。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
多年渋江氏に寄食していた山内豊覚やまのうちほうかくしょうまきは、この年七十七歳を以て、五百の介抱を受けて死んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
まきけものの水かひ、泉はれて音も無し。
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
まき小笛をぶえにしのびては
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
吾妻あづままき大山だいせん木曾きそ
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
やわらかいぞやわらかいぞ、お大名だいみょう寝床ねどこだって、こんなに上等じょうとうじゃああるまいなあ、などとまきをとかれた山羊やぎみたいに、ワザとごろごろころがってみた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五百の帰った紺屋町の家には、父忠兵衛の外、当時五十歳の忠兵衛しょうまき、二十八歳の兄栄次郎がいた。二十五歳の姉やすは四年前に阿部家を辞して、横山町よこやまちょう塗物問屋ぬりものどいや長尾宗右衛門ながおそうえもんに嫁していた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
まきけものの水かひ、泉はれて音も無し。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
まきのうなゐも通はね
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
けれど、忠興の短気や癇癖かんぺきは、生れつきのものであった。武勇にかけてはなおそうであるのだ。十一歳に初陣して、まきの島のいくさに、大人に劣らない振舞をしている。
程遠からぬ青草のまきに伏したる白牛はくぎう
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
まきちぬ。
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
まき野馬のうまのように、寝そべったり坐ったり、漫然と立ったりしている、一団の人影が黒々とあった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まき暴風あらしきたるを待つ。
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
まきに立ちぬ。
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
時政から返書をうけた山木判官の使いが、俗にこの辺の土民が「御所堀内ごしょほりうち」と称しているやかたを出て、そこの堀橋を越えて帰って行った頃である。——時政は妻のまきかた
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
坂くだりゆくまきがむれ
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
どうしてこれを、さえぎられよう。あッというますらありはしない。茫々ぼうぼうたるまきの平原を、東へ、ただ見る四騎、八頭の駒は、もう星の夜の彗星すいせいのごとく遠く小さくなっていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
坂くだりゆくまきがむれ
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
『なかんずく、この春、諸国のまき馬献上うまのぼせに際し、院のけしきに、へつろうて、不吉なる四白よつじろの凶馬を入れ、袈裟の良人源ノ渡へ飼わせたるこそ、忠盛がとがというも、はばからぬ』
まきの島には羊のむれ
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
「今日、南山のまきを開いて、官の牛馬をみな追い出したのはおまえか」と、ただした。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひまさえあれば、その住居から一里半も離れている——この“大結おおゆうまき”へ来て、馬と遊んでいるか、さもなければ、丘の一つの上に坐りこんで、ぼやっと、行く雲を、見ているのだった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いちどは歌垣のやみまつりを見物にゆき、どこのたれとも得しれぬ年上の山家妻に引かれて宮の木暗こくらがりでちぎッたことと。また、も一つの体験は、御厨みくりやまきへ遠乗りに行った麦秋の真昼であった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長がこの日の馬は、月輪つきのわとよぶ南部まき駿馬しゅんめだった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこに鎗竿嶺そうかんれいまきがある。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いたどりのまきです」
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)