たまり)” の例文
また江戸では浅草と品川とに非人たまりがあって、善七、松右衛門の両名がいわゆる非人頭となり、エタ頭弾左衛門の下に属していた。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
現にこの狩集村は、今も阿蘇郡古城こじょう村大字手野字尾籠おご小字こあざとなって存在する。人の集合する所をたまりということは普通の例である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そこへ、饅頭笠まんじゅうがさに赤合羽といういでたちで大小二人の者が、突然にやって来て、たまりの前で合羽をとると、警板をカチカチと打つ。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
行けば必ずあの「味噌みそたまり」と大きな板の看板のさがっている門をくぐった。主人はいつも変らず木之助を歓迎してくれ、御馳走をしてくれた。
最後の胡弓弾き (新字新仮名) / 新美南吉(著)
この際は、出ないことを賢明としているように、東のとばりでも、西のたまりでも、固唾かたずをのんで、ただ法師に物をいわせていた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するとね、ちょうど、おくれてたまりから入って来た、遠藤ッて、そら知ってるだろう。僕のとこへもよく遊びに来る、肩のあがった、武者修行のような男。
化銀杏 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そうして金色になった水路を伝って流れる谷川は、この辺でちょっとよどんで、たまりのようになっていて、その中には鰷魚やなぎばえがすいすいと泳ぎ廻っていた。
「さあ、退いた、退いた」と、源は肩と肩との擦合すれあう中へ割込んで、やっとのことでたまりへ参りますと、馬はうれしそうにいなないて、大な首を源のからだへ擦付けました。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
恒例こうれい鶴御成つるおなりは、いよいよ明日にせまったので、月番、北町奉行永井播磨守ながいはりまのかみが、城内西のたまりで南町奉行池田甲斐守いけだかいのかみと道中警備の打ちあわせをしているところへ
顎十郎捕物帳:09 丹頂の鶴 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
ある日禁裏に参内してゐた五六人の公卿くげ達は日当たりのいいたまりの間で暢気さうに雑談を交してゐた。
今でこそ樟脳しょうのうくさいお殿様とのさまたまりたる華族会館に相応ふさわしい古風な建造物であるが、当時は鹿鳴館といえば倫敦ロンドン巴黎パリの燦爛たる新文明の栄華を複現した玉のうてなであって
「ツイ今しがた、たまりに居る八五郎から耳打をされました。あのへんは洲崎の金六が繩張りで——」
平生ふだんなれば大広間、たまりの間、雁の間、柳の間なんて、大小名の居る処で中々やかましいのが、丸で無住のお寺を見たようになって、ゴロ/″\箕坐あぐらかいて、怒鳴る者もあれば
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
たとえば酢は東京流の黄色いのを使わないで、白いのを使った。醤油しょうゆも、東京人は決して使わない関西のたまりを使い、えび烏賊いかあわび等の鮨には食塩を振りかけて食べるようにすすめた。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
須賀津すがつたまりから胡麻鰻ごまうなぎを取って来て、丸煮で先生に差上げて、少しでも根気を附けて上げましょうと、それは私の一心からで、人手にも掛けずりに行ったのですよ。それをまあ何事です
死剣と生縄 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
そこで田に水を落す前にたまりを作っておいて、天日てんぴで暖める工夫をしたものだが、それが図にあたって、それだけのことであんな一代分限ぶげんになり上ったのだ。人ってものは運賦天賦うんぷてんぷで何が……
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
牡蠣船のある方の岸は車の立場たてばになっていて柳の下へは車を並べ、その傍には小さな車夫しゃふたまりもうけてあった。車夫小屋と並んで活動写真の客を当て込んでしいの実などを売っている露店ろてんなどもあった。
牡蠣船 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
おくれたこんな方法が結果としては最上である。研究所から出てくるどんな銅釉より、もっと美しい色を出すからである、土は裏山から取ってくる。沢山ある赤土である。野天に二、三段のたまりを掘る。
日田の皿山 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
今日きょうは龜甲屋幸兵衛夫婦殺害せつがい一件の本調というので、関係人一同町役人ちょうやくにん家主五人組差添さしそえで、奉行所の腰掛茶屋に待って居ります。やがて例の通り呼込になって一同白洲に入り、たまりと申す所に控えます。
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
待ち合わす必要もないものと見えて、すぐこのたまりを通り越した。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
内匠頭は、廊下へ出で、高家衆のたまりへ歩きつつ
吉良上野の立場 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そこには見馴みなれた古い「味噌みそたまり」の板看板はなくなり、代りに、まだ新しい杉板に「※味噌醤油しょうゆ製造販売店」と書いたのが掲げられてあった。
最後の胡弓弾き (新字新仮名) / 新美南吉(著)
源も馬を競馬場のたまりへ繋いで置いて、御仮屋の北側へ廻って拝見すると、郡長、郡書記なども「フロック・コォト」の折目正しく、特別席へ来て腰を掛ける。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「ツイ今しがた、たまりにいる八五郎から耳打をされました。あの辺は洲崎の金六が縄張で——」
薬を取ってたまりへ行ッちゃ、笑って見せていたけれど、どんなになさけなかったでしょう。
誓之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
関雪氏は名残を惜むで、寝台でもぞもぞしてゐる麦僊氏をき立てて食堂へ入つて往つた。そして麦酒ビールの大洋盃コツプを言ひつけた。酒に弱い麦僊氏は、酒飲みの関雪氏の前には一たまりもなかつた。
彼は、たまりの内へはいって、壁に懸けてある例の青木綿の一張羅いっちょうらを引っかけた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこには立派な門松かどまつが立ててあり、門の片方の柱には、味噌みそたまりと大きく書かれた木のふだがかかっていた。黒い板塀いたべいで囲まれた屋敷は広くて、倉のようなものが三つもあった。
最後の胡弓弾き (新字新仮名) / 新美南吉(著)
「はい、同役とも相談をいたしまして、昨日きのうにもふさごうと思いました、部屋(とたまりの事を云う)のにまたかじりつきますような次第にござります。」と中腰になって、鉄火箸かなひばしで炭をあらけて
朱日記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
風に打たれた案山子かかしのように陀雲の体は横にたおれていた。わらわらと、たまりから三、四名の法師が駈け出たので、さては喧嘩かと思っていると、陀雲の体をひっ担いで退がって行ったのである。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たまりの間の多門伝八郎でござる。お沙汰の下る迄、あれにおひかえ下さい』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御目付役の詰めているたまりの間にいた多門おかどでんろう
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、侍たちのいるたまりを振り返って云った。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐ彼は、厩衆うまやしゅうたまりへもどって来て
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)