れう)” の例文
「親族の者から貰ひ受けましたものの、うるさく鳴き立てますので弱つてしまひます。で、近いうちにれうつて食べようかと存じます。」
所詮つまり周三がお房をよろこぶ意味が違つて、一ぶつ體が一にんの婦となり、單純たんじゆんは、併し價値かちある製作の資れうが、意味の深い心のかてとなつて了つた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
なほ此後こののちもこれにつくさんのれうにせまほしとておのれにそのよしはしかきしてよとこはれぬかゝるかたこゝろふかうものしたまへるを
うもれ木:01 序 (旧字旧仮名) / 田辺竜子(著)
母、豊雄を召して、さる物一四二何のれうに買ひつるぞ。米も銭も太郎が物なり。一四三吾主わぬしが物とて何をか持ちたる。
ところで、夫人ふじんむかへたあとを、そのまゝ押入おしいれしまつていたのが、おもひがけず、とほからず、紅葉先生こうえふせんせいれう用立ようだつた。
火の用心の事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
みすまるのたま、もとより硝子がらすさふらふべけれど、美しければ二人の娘のれうに緑と薄紫の二掛ふたかけを求めさふらふ珠数じゆずにして朝にゆふべに白き手に打ち揉むにもよろしからん。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
おびやか路用ろよううばひて己が酒色のれうにぞつかすてけり初の程は何者の仕業しわざとも知る者なかりしが遂に誰云ふとなく旅人りよじんはぐの惡黨は此頃常樂院の食客大膳と云ふ者の仕業なりとを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
越後の紵商人をあきんどかの国々にいたりてをもとめて国にる、を此国にてもそといふは古言こげん也。あさを古言にそといひしは綜麻へそのるゐ也。あさ字義じぎはおなじくぬのおるべきれうの糸をいふ也。
同二年十二月二十七日は、尼が初春のれうの餅をおくつたと見えて
わがはたのぼせて織れば寂しさも天衣てんいれうとなりぬべきかな
註釈与謝野寛全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
棺衣かけぎぬれう、それもはた物狂ほしや。
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
梅雨つゆが明けて雷が鳴る頃になつた。雷といへば上州あたりには雷狩かみなりがりをして、とらへた奴をれうつて食べる土地ところがあるげに聞いてゐる。
妹のれうにとて宝石二つ三つ求めさふらひしは土地にて名の知られし商人あきびとさふらふやらん、我等を見て日本の大使、公使、だい武官、せう武官、学者、実業家の名刺を数知れず見せさふらふがうるさくさふらひし。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
かたの如く菩提寺ぼだいじはうむわづかなる家財かざい調度てうど賣代うりしろなし夫婦が追善のれうとして菩提寺へをさ何呉なにくれとなく取賄とりまかないと信實しんじつに世話しけりされば村の人々も嘉傳次がを哀み感應院のあつなさけかんじけるとかや
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
初鰹女のれうる魚でなし
初かつお (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
実を言ふと、僕はこのとしになつて、まだ泥棒をした事が無いんだから、うまく往けるやうにと思つて、毎日うち鶏小舎とりこやから雛児を盗んでは、それをれうつてるんだあね。
と言ひ言ひ、皆は松茸をれうつたり、カンテキの火を吹いたりした。その頃祥雲氏は市街まち外れの一軒家に、たつた一人で住んでゐたので、皆は其家そこに集まる事にしてゐたのだ。
ベンジヤミン・フランクリンは僧侶ばうさんのやうに菜食主義で暫く押し通して来たが、ある時何かの折に魚をれうつてゐた事があつた。すると、その魚の腹から小魚が二三出て来た。