幇間たいこ)” の例文
幇間たいこ、繪描きに胡麻摺俳諧師ごますりはいかいし、藝人、藝者、——あらゆる道樂階級を網羅して、無駄飯を喰ふ人間の大集團と言つても宜いものでした。
ここには、紀文の時のように、吾勝ちに争う幇間たいこ末社まっしゃたぐいもなし、梅忠の時のように、先以まずもって後日のたたりというものもないらしい。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この人の「鰻の幇間たいこ」に大正初年の旧東京のあぶら照りする街々の姿をば呼吸できる人、「花瓶」のお国者の侍がしびん片手に得意満面
随筆 寄席風俗 (新字新仮名) / 正岡容(著)
長「お礼ッたって、それはわっちにはいけねえから、若旦那のお気に入りの幇間たいこ正孝しょうこうはなしをして見ますから、待っておいでなさい」
深川にかくれなき黒江町に殿を建て、目算御殿となぞらえて、附き添う幇間たいこは誰々ぞ、一蝶民部に角蝶や(下略)ハアホ、大尽舞いを見さいナ
紅白縮緬組 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
摺合すりあひ茶屋々々の二階には糸竹の調べつゞみ太皷たいこたえる事なく幇間たいこ對羽織つゐばおり色増君いろますきみの全盛をあらはし其繁榮はんえい目を驚せし浮生ふせいは夢の如く白駒はくくひまあるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
かう心に決めた平岡氏は、その遊び方として芸者幇間たいこを連れて東海道五十三次を東から西へ繰出さうといふ事にした。
流石さすが明治めいぢおん作者さくしや様方さまがたつうつうだけありて俗物ぞくぶつ済度さいどはやくも無二むに本願ほんぐわんとなし俗物ぞくぶつ調子てうし合点がてんして幇間たいこたゝきておひげちりはらふの工風くふう大悟たいご
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
あとにて河原者かわらものなと幇間たいこなと、お気が済む迄お可愛いがりなさいませよ。では、そろそろ参るかのう
芸妓や幇間たいこはやし立てて、兵庫屋の二階じゅうが崩れるような騒ぎのあいだにも、彼はときどきに涙ぐまれるほど寂しいことがあった。治六のことが思い出されたりした。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
などと、幇間たいこをたたいた。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
代選、代とつくものなら何んでも出來るので、町内の調法者になり、武家だか幇間たいこだか、わけのわからぬ生活をして居る男でした。
「三人旅」「おせつ」「三軒長屋」「吉原ぞめき」「棒だら」「ずっこけ」「幇間たいこ腹」「六段目」「稽古所」「火事息子」「浪華芸妓」。
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
正「いえなに長次さんが正孝に岡惚と来てえるんで、正孝此方こっちへ来いってんで、こうそばへもたれ掛り、幇間たいこと耳こすりをしたいってんで」
はおわかしう不了簡ふれうけん死ぬは何時いつでも易い事先々まづ/\此方こなたられよと云ふかほれば吉原の幇間たいこ五八なれば吉之助は尚々なほ/\面目なく又もや身をなげんとせしを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
俺は醉つ拂つた幇間たいこなんかに附き合ひ度くねえよ、——それから番所へ廻つて夜中だが勘太を貰つて來るんだ。喜三郎は毒死にきまつた。
幇間たいこ半分に諸家へ出入をいたしてるうち、根岸の龜甲屋へも立入ることになり、諂諛おべっかが旨いのでお柳の気に入り、茂二作夫婦とも懇意になりました所から
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
飯島の娘お露の柳島の寮へさそっていくお幇間たいこ医者山本志丈を
勘當かんだう致せしも當分の見懲みこらしと存ぜしなり五八とやらは幇間たいこなどに似合にあはぬ深切なる者又初瀬留事もまことをし心底しんてい其樣な女ならば傾城けいせいにてもくるしからず身請みうけ致し夫婦に致さんと存ずるが何卒なにとぞ御世話下されまじきやと母の頼みなれば吉右衞門も平兵衞にむかひ何卒此上は貴殿きでんへ御任せ申間宜敷御取計おとりはからひ下され候樣にと申にぞ家主平兵衞夫は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
平次も其處までは氣がつきますが、四人の若い女を傷つけ、幇間たいこの豊年を殺した曲者は誰? となると、容易にはきめ兼ねます。
お客へは出ないという書附を伊之助と取合った仲でございます事がぱッと致しますと、芸妓げいしゃ幇間たいこ仕着しきせも出さなければならず、総羽織そうばおりを出すと云うので、さとの金には詰るが習い
まだ一本になつたばかりのお駒が、赤の他人の、初老近い幇間たいこの世話を燒くのは、餘程何うかした心掛でなければなりません。
しかし狂歌は猿丸太夫さるまるだいふのおいどというあか下手ぺただが一中節いっちゅうぶしを少しうなるので、それで客の幇間たいこを持って世を渡るという男、唯此の男の顔を見ると何となく面白くなるという可愛らしい男で
「大きい聲ぢや言へねえが、お幇間たいこ醫者の仲人醫者で、療治や見立の方は、あんまり評判の良い方ぢやありませんよ」
其の頃数寄屋町すきやちょうにいた清元三八きよもとさんぱちという幇間たいこもちでございますが、幇間にも種々いろ/\有りまして、野幇間のだいこもあれば吉原の大幇間おおだいこもあります、町の幇間たいこでも一寸ちょっと品のいのもあれば、がら/\致して
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
いきなり伝吉に取縋とりすがった娘——お澪の純情な姿を、平次の十手も引分け兼ねました。幇間たいこ医者の石沢閑斎に、どうしてこんな娘が生れたことでしょう。
旦「なにお幇間たいこを云っちゃアいけない、あれは抱えか又娘分かえ」
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
芸妓、幇間たいこの騒いだも無理はありません。大村兵庫の左の眼に楊弓の矢が真っ直ぐに突立って、血潮は滾々こんこんとして頬から襟へ滴っているではありませんか。
幇間「えゝ手前は鳥羽屋五蝶と申します幇間たいこで」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
反對に幇間たいこ藝子を呼んで、呑んで騷いで、三尊來迎を拜まうなどといふ、不心得な信心者もあつたわけです。
藝妓、幇間たいこの騷いだのも無理はありません。大村兵庫の左の眼に楊弓やうきうの矢が眞つ直ぐに突立つて、血潮は滾々こん/\として頬から襟へ滴つて居るではありませんか。
名媛名妓のエラかつた話や學問文藝の逸話も、十中八九は後世の拵へ事で無ければ、幇間たいこ持のやうな當時の俳諧師や繪描きの代筆代作だつたなどは想像されます。
親は有名な幇間たいこの幸三郎ですが、伜まで道樂商賣は見習はせ度くないといふので、曾ての旦那筋、先代孫右衞門に頼んで堅氣の商人に仕立てる積りの年季奉公です。
この幾松といふのは、幇間たいこ幸三郎の子でいかにも素朴な眞面目な男、十九の年にしては筋骨も逞ましく、糠の匂ひの紛々とした、米屋の若い衆らしい好青年でした。
平次はこの間に合せの幇間たいこ醫者の面上につばを吐きたいやうな氣持でしたが、とも角も打ち明けてくれたのをせめてものことにして、そのまゝ歸る氣になつたのでした。
椎茸髱しいたけたぼの腰元に餌をつけさせるような事はしませんが、番頭手代から、芸妓げいしゃ幇間たいこを引つれ、白粉臭おしろいくさい生きた屏風に取巻かれて一本百両の竿に、高尾、小紫の生毛いきげをつけ
平次はこの間に合せの幇間たいこ医者の面上につばを吐きたいような気持でしたが、ともかくも打ち明けてくれたのをせめてものことにして、そのまま帰る気になったのでした。
乗合は外に幇間たいこ末社まっしゃを加えて六人、船頭の直助なおすけに出来るだけ緩々ゆるゆるがせて、柳橋へ着いたのは亥刻よつ(十時)少し前、——船の中に持ち込んだ物では、どうも酒が飲めない
一向流行はやりそうもない医者ですが、半分は幇間たいこらしく、よくしゃべる五十五六の坊主です。
あとは綺麗に拭いて油を塗つて置けば、お幇間たいこ醫者などには容易にわかるものか。死骸は業平橋の下の舟の上に棄て、釣をして居るうちに頓死したやうに、釣針に鯉をブラさげた。
ましたよ。でも青山一番の幇間たいこ医者で、診立てよりは、仲人の方が上手だそうで」
「診ましたよ。でも青山一番の幇間たいこ醫者で、診立みたてよりは、仲人の方が上手だ相で」
乘合は外に幇間たいこ末社を加へて六人、船頭の直助に出來るだけ緩々ゆる/\と漕がせて、柳橋へ着いたのは戌刻いつゝ少し前、——船の中に持ち込んだ物では、どうも酒が飮めない、丁度腹も空き加減だから
幇間たいこの幸三郎の水死體が、兩國の下に浮いて、何も彼も分明しました。
「藝者とは縁の遠い旦那ですよ。札差ふださしといふ商賣柄で、たまには札旦那の方々と呑むこともあるでせうが、——幇間たいこの豊年坊主なんか、ろくに御祝儀にもありつけないから、陰へ廻ると散々の惡口で」
それどころぢやありませんよ、去年の夏霍亂かくらんで死んだ小僧の友吉だつて、私はあつあたりや霍亂とは思へなかつたんです、町内のお幇間たいこ醫者が、胡麻化してしまつたけれど、霍亂が、あんなひどい苦しみやうを
銭形平次捕物控:311 鬼女 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
「そいつは幇間たいこ醫者の大藪おほやぶ醫者だらう」
「そいつは幇間たいこ医者の大藪あおやぶ医者だろう」
「武家は皆、岩見重太郎や宮本武藏のやうに強かつたのは昔の話さ、二本差しにも強いのも弱いのもあるぜ、いや、弱い方が多い位さ。百姓町人の裕福なのに取入つて、幇間たいこのやうに暮してる安御家人や浪人崩れがある世の中だから」