屈托くったく)” の例文
幸い彼の目下の状態はそんな事に屈托くったくしている余裕を彼に与えなかった。彼はうちへ帰って衣服を着換えると、すぐ自分の書斎へ這入はいった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そういう孤独な、屈托くったくのない日々の中で、菜穂子が奇蹟のように精神的にも肉体的にもよみ返って来だしたのは事実だった。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
模様を見て来た彼はまた彼で、こぶとりの身体に丸い顔をほころばしていた。お内儀かみさんの云うことを単純に信じて来た彼は屈托くったくなげに云った。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
老齢に似もやらず、非常によく透る音声おんじょうの持主である。そして白い眉もそのくちもとも、屈托くったくなくたえず微笑をたたえている。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この暑いのにおでんでもあるまいとは思ったが、その屈托くったくのなさそうな三味線の音が帆村の心をうったらしく、彼はそこへ入って酒を所望した。
暗号数字 (新字新仮名) / 海野十三(著)
から、彼所あれから牛込見附うしごめみつけへ懸ッて、腹の屈托くったくを口へ出して、折々往来の人を驚かしながら、いつ来るともなく番町へ来て、例の教師の家を訪問おとずれてみた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
で、その日の七つさげりに、小平太は屈托くったくそうな顔をしながら、ぼんやり林町の宿へ戻ってきた。すると横川勘平が待ち構えていて、相手の顔を見るなり
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
俊助は、大きな護謨ごむの樹の鉢植が据えてある部屋の隅にたたずみながら、別に開会を待ち兼ねるでもなく、ぼんやり周囲の話し声に屈托くったくのない耳を傾けていた。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
お小夜はまた例の三郎のことに屈托くったくしてか、とぎれとぎれにとうん……とうんと杵をおろしてる。力の弱い音に夜更よふけの米搗、寂しさに馴れてる耳にも哀れに悲しい。
新万葉物語 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
はげしき屈托くったくの為めに欝屈うっくつせる脳力が、適宜の娯楽によりて完全なる働きを取り戻した時こそは、他界の指導者が働きかけるのに、まさに絶好の機会なのである。
と心のうちに祈らぬ日とてはござりませぬ。別に話し相手というもなく、だ船をつくろうことにのみ屈托くったくして居りまする。折々おり/\木を切りうおりますごとに、思わず
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
むかし印度インドの哲学詩人たちが、ここには竜宮というものがあって、陸上で生命が屈托くったくするときに、しばらく生命はここにかくれて時期を待つのだといった思想などは
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
母は勝手元に火焚ひた水汲みずくみまたは片付け物に屈托くったくをしている間、省みられざる者は土間の猫にわとり、それから窓に立ち軒の柱にもたれて、雲や丘の樹の取留とりとめもない景色を
が、歌麿に取っては、亀吉がどう考えているかなどは、今は少しの屈托くったくでもないのであろう。
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
それのない日は屈托くったくした。さて、恋が事でなかったとすればお次は何だ。俺はまず政治というものを考えてみた。今度の大乱の禍因をなしたのは誰だ、それを考えてみようとした。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
そして、電燈でんとうは、しずかに、なんの屈托くったくもなくじっとしていられるとおもったからです。
佐藤をはじめ彼れの軽蔑けいべつし切っている場内の小作者どもは、おめおめと小作料を搾取しぼりとられ、商人に重い前借をしているにもかかわらず、とにかくさした屈托くったくもしないで冬を迎えていた。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
物事にひどく屈托くったくをして、悪いほうへ悪いほうへと、考えまわして行くということは、ずっと以前からわかってはいたが、このごろはそういった傾きが、だんだんひどくなって来たよ。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
お浜という茶屋の女中をつれ出して、近所の料理屋へ行った叔父を送り出してから、叔母は屈托くったくそうな顔をして、今紙入れを出してやった手箪笥のかぎいじりながら、そこに落胆がっかりして坐った。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
天女も五衰ごすいぞかし、玳瑁たいまいくし、真珠の根掛ねがけいつか無くなりては華鬘けまんの美しかりけるおもかげとどまらず、身だしなみものうくて、光ると云われし色艶いろつや屈托くったくに曇り、好みの衣裳いしょう数々彼に取られこれえては
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それはまたたくまに笑い消して、鈴をころがすように屈托くったくなげな高調子。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そんな屈托くったくがあるためか、この冬場所の万力は白星四つ、黒星六つという負け越しで、大いに器量を下げました。そんなことで気を腐らしているところへ、お俊の引っ越し一件が出来しゅったいしたので……。
半七捕物帳:67 薄雲の碁盤 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
私は朝飯あさめしとも午飯ひるめしとも片付かない茶椀ちゃわんを手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに屈托くったくしていたから
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今日は十一月四日、打続いての快晴で空は余残なごりなく晴渡ッてはいるが、憂愁うれいある身の心は曇る。文三は朝から一室ひとま垂籠たれこめて、独り屈托くったくこうべましていた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
たゞ稀に大きな口を開けて、屈托くったくのない笑い方をして「莫迦にしてるね」と言うぐらいであります。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
人類をも包含する日本全国の動物中で、首都の鼠族ほど食糧に屈托くったくせぬものはないといってよい。
門には竹が立てられたり、座敷には蓬莱ほうらいが飾られたりしても、おれんは独り長火鉢の前に、屈托くったくらしい頬杖ほおづえをついては、障子の日影が薄くなるのに、ものうい眼ばかり注いでいた。
奇怪な再会 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それのない日は屈托くったくした。さて、恋が事でなかつたとすればお次は何だ。俺はまづ政治といふものを考へてみた。今度の大乱の禍因をなしたのは誰だ、それを考へてみようとした。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
そして屈托くったくのなさそうな顔をして、乗客に肩を押されながら、電車を下りた。——
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
御前製作ということでさえ無ければ、少しも屈托くったくは有りませんがナア。
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
何かしら屈托くったくのなさそうな時代の溌剌はつらつさがあった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その時の私は屈托くったくがないというよりむしろ無聊ぶりょうに苦しんでいた。それで翌日あくるひもまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋かけぢゃやまで出かけてみた。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
(一同下手へ入る。花道よりおくみ、風呂敷包を抱え宿入り姿で出て来る。屈托くったくの様子。)
取返し物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それで文三は先刻も言葉を濁して来たので、それで文三は今又屈托くったくの人とッているので。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
社会は不幸悲惨をもってちているかのごとく印象せられるが、百分率からいうと九十八九の家庭では、女は平穏無事に小さな世事に屈托くったくし、そうしてただ少しずつ学校で教えられたことを忘れて
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
失敬だとか怪しからんと云うのは、ただ口の先ばかりで、腹の中の屈托くったくは、全然飯と肉に集注しているらしかった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それから屈托くったくそうに体をよじって椅子にかけて八角テーブルの上に片肘つきながら、新吉の作った店頭装飾の下絵の銅版刷りをまさぐる。壁のめ込み棚の中の和蘭皿の渋い釉薬うわぐすりを見る。
巴里祭 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
全体ぜんてえ坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈托くったくがねえから、自然に口が達者になる訳ですかね。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いよいよ鮮かに何の屈托くったくもない様子で、歌留多カルタの札を配っている。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
上部うわべから見ると、夫婦ともそう物に屈托くったくする気色けしきはなかった。それは彼らが小六の事に関して取った態度について見てもほぼ想像がつく。さすが女だけに御米は一二度
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
過去一年の間いまだかつてそんな事に屈托くったくした覚えもなく、相変らずの元気で国へ帰ったのです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
久しくと云ったところでわずか一カ月半ばかりの時日に過ぎないのだが、僕には卒業試験を眼の前に控えながら、家庭問題に屈托くったくしなければならない彼の事が非常に気にかかった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ただ僕だけは、——こういうとまたあの問題を持ち出したなと早合点はやがてんなさるかも知れませんが、僕はもうあの事について叔父さんの心配なさるほど屈托くったくしていないつもりですから安心して下さい。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)