まじわり)” の例文
この両人ふたりが卒然とまじわりていしてから、傍目はためにも不審と思われるくらい昵懇じっこん間柄あいだがらとなった。運命は大島おおしまの表と秩父ちちぶの裏とを縫い合せる。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
抽斎が三人目の妻徳をめとるに至ったのは、徳の兄岡西玄亭げんていが抽斎と同じく蘭軒の門下におって、共に文字もんじまじわりを訂していたからである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
世に竹馬ちくばまじわりをよろこべるものは多かるべしといへども、子とわれとの如く終生よく無頼の行動を共にしたるものは稀なるべし。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
だから彼も必然的に頭山満とまじわりを結んで、濛々たる関羽髯かんうひげを表道具として、玄洋社の事業に参劃し、炭坑の争奪戦に兵站へいたんの苦労を引受けたり
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
この全編の大略を概していえば、天下の人心、直接すればそのまじわりをまっとうすべからず。今の世間に、この流行病あり。
学者安心論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「軍人はサッパリしています。争奪戦をやった二人が相変らず刎頸ふんけいまじわりを続けているのです。君達も斯うあって欲しい」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「それじゃアすこし聞く事が有るが、朋友ほうゆうまじわりと云うものは互に尊敬していなければ出来るものじゃ有るまいネ」
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
文墨ぶんぼくまじわりがある位で、ちょっと変った面白い人で、第三回の博覧会の時でしたかに、会場内のかわやの下掃除を引受けて、御手前の防臭剤かなんかをかしていましたが
江戸か東京か (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
いくばくもなく官を退いた後は、故山こざん虢略かくりゃく帰臥きがし、人とまじわりを絶って、ひたすら詩作にふけった。
山月記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
打たずんば交りをなさずと云って、瞋拳しんけん毒手の殴り合までやってから真の朋友ほうゆうになるのもあるが、一見してまじわりを結んで肝胆相照らすのもある。政宗と秀吉とは何様どうだったろう。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
社会のために好字書の成らざりしを悲しまんか。我二十年のまじわり一朝にして絶えたるを悲しまんか。はた我に先だつて彼の逝きたるは彼も我も世の人もつゆ思ひまうけざりしをや。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「農家義人伝」はこの変化を「まじわり博徒ばくとに求む、けだかたきの所在を知らんと欲する也」
伝吉の敵打ち (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それがしが無二のまじわりを結べる
鬼桃太郎 (新字新仮名) / 尾崎紅葉(著)
榛軒は抽斎より一つの年上で、二人のまじわりすこぶる親しかった。楷書かいしょに片仮名をぜた榛軒の尺牘せきどくには、宛名あてなが抽斎賢弟としてあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
心柄こころがらとはいひながらひてみずから世をせばめ人のまじわりを断ち、いえにのみ引籠ひきこもれば気随気儘きずいきままの空想も門外世上の声に妨げまさるる事なければ
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
現に今日の人間交際を見るに、いかなる人にても、まじわりを求むるに上流を避けて下流につく者を見ず。ことさらに富貴の人を嫌うて、貧賤を友とする者を見ず。
教育の目的 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
兵隊に行っている間に同年兵の西の男と刎頸ふんけいまじわりを結んで、その妹と縁談が纒まったのである。嫁の遣り取りは稀でない。東から西へ養子に行っているのさえある。
ある温泉の由来 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
何故なぜこんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようにれば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、おれは努めて人とのまじわりを避けた。
山月記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
劇場は木挽町こびきちょうの河原崎座であった。贔屓ひいきの俳優は八代目団十郎である。作者勝諺蔵かつげんぞうをば部屋に訪うてまじわりを結んだ。諺蔵は後の河竹新七である。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ケダシ士君子しくんし万巻ばんかんヲ読破スルモマタすべかラク廟堂ニ登リ山川さんせんまじわり海内かいだい名流ニ結ブベシ。然ル後気局ききょく見解自然ニ濶大かつだいス、良友ノ琢磨たくまハ自然ニ精進せいしんス。
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
我輩の所見を以てすれば、家内のまじわりには一切人為の虚を構えずして天然の真に従わんことを欲するものなり。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「それじゃ先刻同県人だから刎頸ふんけいまじわりを結んで行動を共にしようと言ったのはういう意味です?」
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
抽斎は貞固の説を以て、情に偏し義に失するものとなして聴かなかった。貞固はこれがために一時抽斎とまじわりを絶つに至った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
所が前申す通り榎本釜次郎えのもとかまじろうと私とは刎頸ふんけいまじわりと云うけではなし、何もそんなに力を入れる程の親切のあろう訳けもない、ただ仙台藩士の腰抜けをいきどおったと同じ事で
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
われ初て南岳とまじわりていせしは明治三十二年の頃清朝の人にして俳句を善くしたりし蘇山人羅臥雲そさんじんらがうん平川天神祠畔ひらかわてんじんしはんの寓居においてなりけり。南岳いみなとおる野口幽谷のぐちゆうこくの門人なり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
いやしくも刎頸ふんけいまじわりを結んだ以上は、君が退学すると、僕も退学しなければならない」
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
右は人間のまじわりの大略なり。そのつまびらかなるは二、三枚の紙につくすべからず、必ず書を読ざるべからず。
中津留別の書 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
巨勢君にはかしこなる画堂にて逢ひ、それよりまじわりを結びて、こたび巨勢君、ここなる美術学校に、しばし足をとどめむとて、旅立ち玉ふをり、われもともにかへりに上りぬ。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
わたくしが初て帚葉翁とまじわりただしたのは、大正十年の頃であろう。その前から古本のいちへ行くごとに出逢っていたところから、いつともなく話をするようになっていたのである。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「赤羽君と二人で蕎麦屋へ行って、刎頸ふんけいまじわりを結んで来た」
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
広く外国とまじわりを結び、約束に信を失わず、貿易に利を失わしめざる者も、この子女ならん。
京都学校の記 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
人の心には底の知れない暗黒のさかいがある。不断一段自分より上のものにばかり交るのを喜んでいる自分が、ふいとこの青年に逢ってから、余所よそまじわりを疎んじて、ここへばかり来る。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
父は唐宋の詩文を好み、早くから支那人と文墨のまじわりさだめておられたのである。
十九の秋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
墓は願行寺先塋せんえいの中にある。竜池の師、静廬もこの年八十三歳で歿した。寿阿弥曇奝じゅあみどんちょうの歿したのも同年である。寿阿弥と竜池父子とは相識ではあっただろうが、そのまじわり奈何いかんつまびらかにしない。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
心なきまじわりを忌みおそれ
そうしたら、或は珍らしい純潔なまじわりが成り立つまいものでもない。いやいや。それは不可能であろう。西洋の小説を見るのに、そんな場合には女は到底侮辱を感ぜずにはいないものらしい。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
さ程深くもなかったまじわりが絶えてから、もう久しくなっているが、僕はあの人の飽くまで穏健な、目前に提供せられる受用を、程好く享受していると云う風の生活を、今でもうらやましく思っている。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
まじわり広く、ものおしみせず、世事には極めてうとかりければ、家に遺財つゆばかりもなし。それよりダハハウエル街の北のはてに、裏屋の二階明きたりしを借りて住みしが、そこに遷りてより、母も病みぬ。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)