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不忍池
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しのばずのいけ
ふりがな文庫
“
不忍池
(
しのばずのいけ
)” の例文
その海にそそぐところが今の浅草観音様のところ、そこが当時の海岸で海はそこから上野
不忍池
(
しのばずのいけ
)
まで入海になっていたものの由です。
安吾の新日本地理:10 高麗神社の祭の笛――武蔵野の巻――
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
不忍池
(
しのばずのいけ
)
を左に、三枚橋、山下、
入谷
(
いりや
)
を一のしに、土手へ飛んだ。……当時の事の趣も、ほうけた
鼓草
(
たんぽぽ
)
のように、散って、残っている。
薄紅梅
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
東京でいえば、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
くらいの大きさがある。明治三十三年の中秋に、生意気盛りの中学生が、ここで月見としゃれたのである。
胡堂百話
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
で、老武士はゆるゆると、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
に沿いながら、北の方へあるいて行った。二町余りもあるいたであろうか、彼は
杭
(
くい
)
のように突っ立った。
名人地獄
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
昔は非常に大きい池だったそうですが、今ではまあ東京の
不忍池
(
しのばずのいけ
)
よりも少し広いくらいでしょう。遠い昔には龍が棲んでいた。
青蛙堂鬼談
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
▼ もっと見る
おぢさん「は〻あ、
可憐
(
かあい
)
いものだなあ。
動物園
(
どうぶつゑん
)
の
中
(
なか
)
でも
夜
(
よる
)
なんか
熊
(
くま
)
が
一番
(
いちばん
)
よく
眠
(
ねむ
)
るつてね、
嚊声
(
いびきごゑ
)
が
不忍池
(
しのばずのいけ
)
まで
聞
(
きこ
)
へるつてさ」
コドモノスケッチ帖:動物園にて
(新字旧仮名)
/
竹久夢二
(著)
蘭軒が茶山を連れて
不忍池
(
しのばずのいけ
)
へ往つて馳走をしたのも、此頃の事であらう。茶山の集に「都梁觴余蓮池」として一絶がある。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
降りまさる雪の夕暮れ道を八条流の手綱さばきもあざやかに、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の裏なる豆州家お下屋敷目ざして一散走りでした。
右門捕物帖:20 千柿の鍔
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
不忍池
(
しのばずのいけ
)
は
今日
(
こんにち
)
市中に残された池の
中
(
うち
)
の最後のものである。江戸の名所に数へられた
鏡
(
かゞみ
)
ヶ
池
(
いけ
)
や
姥
(
うば
)
ヶ
池
(
いけ
)
は
今更
(
いまさら
)
尋
(
たづね
)
る
由
(
よし
)
もない。
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
上野
倶楽部
(
クラブ
)
というのは私には見当がつきません。しかし
不忍池
(
しのばずのいけ
)
のほとりならばまあ下宿としては眺めもあって結構と申さなければなりますまいね。
青春の息の痕
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
やがて石神井川が
飛鳥
(
あすか
)
山と王子台との間に活路を
拓
(
ひら
)
いて落ちるようになって、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の上は
藍染
(
あいぞめ
)
川の細い流れとなり、不忍池の下は
暗渠
(
あんきょ
)
にされてしまって
河明り
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
花曇りの空は暮れ早く、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の水面には、花明りの處々した上野の
杜
(
もり
)
からかけて、蒼茫たる色に蔽はれながら、博覽會の裝飾電燈を夢のやうに映してゐた。
受験生の手記
(旧字旧仮名)
/
久米正雄
(著)
それが済むと、彼は始めて微笑を浮べながら、妾を
労
(
ねぎ
)
らった。それから再び外へ出て
不忍池
(
しのばずのいけ
)
を真下に見下ろす、さる静かな料亭の座敷へ連れこんだのだった。
三人の双生児
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
八畳位でしたろうか、折廻しの縁へ出て欄干に寄ると、目の下の中庭を越して、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の片端が見えます。
鴎外の思い出
(新字新仮名)
/
小金井喜美子
(著)
自分は、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
を埋めて家屋を建築しようという論者をさえ生んだわらうべき時代思想を考えると、この破壊もただ微笑をもって許さなければならないと思っている。
松江印象記
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
彼が指さす眼下には、いぶし銀の様にかすんだ、昼間の二倍の広さに見える
不忍池
(
しのばずのいけ
)
が拡がっていた。
目羅博士の不思議な犯罪
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
俺は上野に出て、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
のまわりをほっつき歩いた。上野の森に、満月がぽっかりと浮いていた。
いやな感じ
(新字新仮名)
/
高見順
(著)
病院で手術した患者の血や、解剖学教室で
屍体
(
したい
)
解剖をした学生の手洗水が、下水を通して
不忍池
(
しのばずのいけ
)
に流れ込み、そこの
蓮根
(
れんこん
)
を肥やすのだと云うゴシップは、あれは嘘らしい。
病院風景
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
池の端茅町で、
山高
(
やまたか
)
さんの手前の所です。馬見場(以前
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の周囲が競馬場であった頃、今の勧業協会の処にあった建物)から向うへ廻ると二、三軒で
冠木門
(
かぶきもん
)
の
家
(
うち
)
がそれです。
幕末維新懐古談:65 学校へ奉職した前後のはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
月が出ると、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
を見おろす二階の大広間に席を移してさかんな酒宴になった。
鈴木主水
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
今宵
(
こよい
)
、ちと風流のこころを起して夜の
上野
(
うえの
)
山内から、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
を見渡してまいった戻り道、ここまで差しかかると、妙な気合を感じたで、いたずらをやって見たが、そなたに逢えるとは思わなんだ。
雪之丞変化
(新字新仮名)
/
三上於菟吉
(著)
新吉は、ふろしき包みを
抱
(
だ
)
いて、
夢中
(
むちゅう
)
でそこらをほっつき歩きました。歩いているうちに、広い
池
(
いけ
)
のはたへ出ました。そこは
不忍池
(
しのばずのいけ
)
で、新吉はいつの間にか、そんなとこまで
迷
(
まよ
)
いこんで来たのです。
曲馬団の「トッテンカン」
(新字新仮名)
/
下村千秋
(著)
それからすぐに
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の端に出た。
反抗
(新字新仮名)
/
豊島与志雄
(著)
松本
長
(
ながし
)
氏追善。
不忍池
(
しのばずのいけ
)
畔雨月荘。
五百句
(新字旧仮名)
/
高浜虚子
(著)
若
(
も
)
し上野の山より
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の水を奪つてしまつたなら、それは
恰
(
あたか
)
も両腕をもぎ取られた人形に等しいものとなるであらう。
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
帝大裏と
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の間の淋しい道で音次にクロロホルムをかがせて昏倒させ、女装をぬいで男の車夫に変装して車をひいて走りだすまでに、三十分はかかりますまい。
明治開化 安吾捕物:05 その四 ああ無情
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
嘗
(
かつ
)
て父の通夜過ぎの晩に
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の中之島の蓮中庵で、お雛妓かの子に
番
(
つが
)
えた言葉を思い出し、わたくしの方から逸作を誘い出すようにして、かの女を
聘
(
あ
)
げてやりに行った。
雛妓
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
それが更に
尾鰭
(
おひれ
)
を添えて、ある剛胆な男がそっと
彼
(
か
)
の婆さんのあとをつけて行くと、かれは
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の水を渡ってどこへか姿を隠したなどと、見て来たように
吹聴
(
ふいちょう
)
する者もあらわれて来た。
半七捕物帳:30 あま酒売
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「どちらへ」とお互いに申しまして、「
池
(
いけ
)
の
端
(
はた
)
まで」といいましたら、「私も」といわれます。上野
不忍池
(
しのばずのいけ
)
で催す
蓮
(
はす
)
の会へ案内を受けたのです。会主の
大賀
(
おおが
)
一郎氏は縁つづきになるのでした。
鴎外の思い出
(新字新仮名)
/
小金井喜美子
(著)
東京上野公園の
不忍池
(
しのばずのいけ
)
のそばに、ふしぎな建物がたちました。
両国
(
りょうごく
)
のもとの国技館をぐっと小さくしたような、まるい建物で、外がわの壁も、まる屋根も、ぜんぶ、まっ白にぬってあるのです。
仮面の恐怖王
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
枕山雲如の二人は一日
黎明
(
れいめい
)
に
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の
荷花
(
かか
)
を
観
(
み
)
んことを約し、遅く来たものは罰として酒を
沽
(
か
)
う責を負うこととした。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
ミドリちゃんのおうちは、上野公園の
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の近くにありました。
鉄人Q
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
「世の中の変るというのは不思議なもので、今ならば何でもないことだが、あの時分には大騒ぎになる。十二月の寒い晩に
不忍池
(
しのばずのいけ
)
へ飛び込んで、こっちも危く
凍
(
こご
)
え死ぬところ。あいつは全くひどい目に逢った」
半七捕物帳:37 松茸
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「下山近水又移居。」〔山ヲ下リ水ニ近ヅカント又移居ス〕の七字おのずから
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の近きを思わしめる。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
浅草寺境内
(
せんさうじけいだい
)
の
弁天山
(
べんてんやま
)
の池も既に
町家
(
まちや
)
となり、また赤坂の溜池も
跡方
(
あとかた
)
なく
埋
(
うづ
)
めつくされた。それによつて私は将来
不忍池
(
しのばずのいけ
)
も
亦
(
また
)
同様の運命に陥りはせぬかと
危
(
あやぶ
)
むのである。
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
鱗葺
(
こけらぶき
)
の低い人家の間をば、道の曲るがまゝに歩いて行くと、忽ち廣い
不忍池
(
しのばずのいけ
)
が目の前にひらけて、新しい蓮の葉の上に、遮るものもない日の光と青空の輝きが目を射た。
歓楽
(旧字旧仮名)
/
永井荷風
、
永井壮吉
(著)
其頃自分等は高等學校の學生で、日曜日毎に
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の貸席に會合して蕪村派の俳句を樂しんだ。
新帰朝者日記
(旧字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
冬枯の
不忍池
(
しのばずのいけ
)
を思う時、わたくしは鴎外先生が小説
雁
(
がん
)
の末節に用いられた
叙景
(
じょけい
)
の筆法を想い起さねばならない。文例はここに
掲
(
かか
)
げない。読者
宜
(
よろ
)
しくその書についてこれを見よ。
枯葉の記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
当時春濤枕山ら諸名家の好んで
詩筵
(
しえん
)
を張った処は
不忍池
(
しのばずのいけ
)
上の酒亭三河屋であった。亭主の名が長太というところから、詩人はこの酒亭を呼んで
長酡
(
ちょうた
)
亭となしまた長蛇亭となした。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
第五は芝の
桜川
(
さくらがわ
)
、
根津
(
ねず
)
の
藍染川
(
あいそめがわ
)
、麻布の
古川
(
ふるかわ
)
、下谷の
忍川
(
しのぶがわ
)
の如きその名のみ美しき
溝渠
(
こうきょ
)
、もしくは下水、第六は江戸城を取巻く
幾重
(
いくえ
)
の
濠
(
ほり
)
、第七は
不忍池
(
しのばずのいけ
)
、
角筈十二社
(
つのはずじゅうにそう
)
の如き池である。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
不忍池
(
しのばずのいけ
)
を小西湖と呼んだと同じく、日本の社会の一面には
何時
(
いつ
)
の時代にもそれ/″\、外国崇拝の思想の流れてゐた事を証明する材料の一ツとして、他日別に論究されべき問題であらう。
虫干
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
この
夕
(
ゆうべ
)
、私は親しくオイケンの哲学に関する先生の感想を
伺
(
うかが
)
って、
夜
(
よ
)
も九時過再び千駄木の崖道をば
根津権現
(
ねづごんげん
)
の方へ
下
(
お
)
り、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の
後
(
うしろ
)
を廻ると、ここにも
聳
(
そび
)
え立つ
東照宮
(
とうしょうぐう
)
の裏手一面の崖に
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
又もや
此樣
(
こんな
)
空想に
醉
(
ゑ
)
ひながら、私は大宮の松林を出て、間もなく汽車で上野の停車場についたのであるが、丁度晴れた秋の夕暮、本郷の家路へと、
不忍池
(
しのばずのいけ
)
のほとりを歩いて行く時、私は一歩々々に
歓楽
(旧字旧仮名)
/
永井荷風
、
永井壮吉
(著)
池には古来より
不忍池
(
しのばずのいけ
)
の勝景ある事これも今更説く必要がない。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“不忍池”の解説
不忍池(しのばずのいけ)は、上野恩賜公園(東京都台東区)の中に位置する天然の池である。
(出典:Wikipedia)
不
常用漢字
小4
部首:⼀
4画
忍
常用漢字
中学
部首:⼼
7画
池
常用漢字
小2
部首:⽔
6画
“不忍池”で始まる語句
不忍池畔
不忍池漁