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須磨
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すま
ふりがな文庫
“
須磨
(
すま
)” の例文
それで
須磨
(
すま
)
の大村さんの家へころげこんで、ちょうど大村さんはオレゴンの支店長になってアメリカへいっていた留守のところさ。
陽気な客
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
今は極度に
侘
(
わび
)
しい
須磨
(
すま
)
の人たちであった。今日までのことも明日からのことも心細いことばかりで、源氏も冷静にはしていられなかった。
源氏物語:13 明石
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
吉田さんの『地名辞書』の索引などを見ると、
巨勢
(
こせ
)
とか
能勢
(
のせ
)
とか
須磨
(
すま
)
とか
那須
(
なす
)
とかいう類の二音の意味不明な地名が幾種もある。
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
兵庫は
摂津
(
せっつ
)
の国にあって、
明石
(
あかし
)
から五里である、この港は南方に広い砂の堤防がある、
須磨
(
すま
)
の山から東方に当たって海上に突き出している
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
ちょうど、それはいま、明石海峡をひがしへ出離れ、一ノ谷、
須磨
(
すま
)
の沖あいあたりで、一せいに、いかりを下ろしているらしくおもわれる。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
抽斎の姉
須磨
(
すま
)
が
飯田良清
(
いいだよしきよ
)
に嫁して生んだ
女
(
むすめ
)
二人
(
ふたり
)
の中で、長女
延
(
のぶ
)
は
小舟町
(
こぶねちょう
)
の
新井屋半七
(
あらいやはんしち
)
が妻となって死に、次女
路
(
みち
)
が残っていた。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
彼は京都附近から
須磨
(
すま
)
明石
(
あかし
)
を経て、ことに
因
(
よ
)
ると、広島
辺
(
へん
)
まで行きたいという希望を述べた。僕はその旅行の比較的
大袈裟
(
おおげさ
)
なのに驚ろいた。
彼岸過迄
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
それから
須磨
(
すま
)
に出養生をし、最後に、海岸は
却
(
かえ
)
ってよくないと云うことで、
箕面
(
みのお
)
に小さな家を借りて移ったのであった。
細雪:03 下巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
○
斯
(
かく
)
て延喜元年辛酉二月朔日京の高辻の御舘をいで玉ひて、津の国
須磨
(
すま
)
の浦に日を
移
(
うつ
)
しつくしへ
抵
(
いた
)
りたまへり。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
私はもっと新鮮な、そして気持のいい空気がほしくなった。私はとうとう
須磨
(
すま
)
の方へ宿を替えることにした。
旅の絵
(新字新仮名)
/
堀辰雄
(著)
海岸通りの万国堂のうえをはなれると、進路をしだいに西にとり、
須磨
(
すま
)
から
明石
(
あかし
)
のほうへやってきたが、そこで急に進路をかえると、南方の海上へでていった。
少年探偵長
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
○余が病気保養のために
須磨
(
すま
)
に居る時、「この上になほ
憂
(
う
)
き事の積れかし限りある身の力ためさん」
病牀六尺
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
或ひは源氏の大将の昔の路を忍びつつ、
須磨
(
すま
)
より
明石
(
あかし
)
の浦づたひ、
淡路
(
あはぢ
)
の
迫門
(
せと
)
を押しわたり、絵島が磯の月を見る、或ひは
白浦
(
しろうら
)
、
吹上
(
ふきあげ
)
、和歌の浦、
住吉
(
すみよし
)
、
難波
(
なには
)
、
高砂
(
たかさご
)
大菩薩峠:21 無明の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「今度は、お母さんと三人で住まおう。ちょうど、
須磨
(
すま
)
に、友人の家が
空
(
あ
)
いたそうだから。」
モルガンお雪
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
毛の抜けた犬のようなミゼラブルな身を夜汽車に運ばれて
須磨
(
すま
)
に着いて海岸を走る冷たい鉄路を見たときに、老父を兵庫駅に見送って帰りを黄色く無関心に続く砂浜に立って
愛と認識との出発
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
須磨
(
すま
)
の海岸あたりにまで延長していっている阪神の市民に、温和で健やかな空気と、青々した山や海の眺めと、新鮮な食料とで、彼らの休息と慰安を与える新しい住宅地の一つであった。
蒼白い月
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
おお、それだと、たとい
須磨
(
すま
)
に居ても、
明石
(
あかし
)
に居ても、
姫御前
(
ひめごぜ
)
は目をまわそう。
星女郎
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
何アに、
須磨
(
すま
)
の日曜学校で一二度会ったことがある位、妻もよく知らんそうですけえ。何でも神戸では多少秀才とか何とか言われた男で、芳は女学院に居る頃から知っておるのでしょうがナ。
蒲団
(新字新仮名)
/
田山花袋
(著)
須磨
(
すま
)
でちょっと町を歩いて、市の防火宣伝の
画
(
え
)
の
建札
(
たてふだ
)
が
辻
(
つじ
)
に立っていたのに注目されたり、人形や菓子の並んでいる店や、魚屋や市場のまえに立ち止まってもの珍しそうにそれを眺められました。
アインシュタイン教授をわが国に迎えて
(新字新仮名)
/
石原純
(著)
こゝもとはおもふ
便
(
たより
)
も
須磨
(
すま
)
の浦
猿雖
(
えんすい
)
俳句への道
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
夜桜に怪しやひとり
須磨
(
すま
)
の
蜑
(
あま
)
点心
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
「そっちは水戸までしかいかなかった、西は
須磨
(
すま
)
ってところまでいったけどさ、こんどはおれ
仙台
(
せんだい
)
までいってみようと思うんだ」
おさん
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
この人たちは若いころに院の御愛人であったが、
須磨
(
すま
)
へおいでになった留守中から夫人付きになっていて、皆女王を愛していた。
源氏物語:34 若菜(上)
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
「あたしは孰方でも、………あなたがいらっしゃれば行きますし、………でなければ
須磨
(
すま
)
へ行ってもいいんです」
蓼喰う虫
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
○
斯
(
かく
)
て延喜元年辛酉二月朔日京の高辻の御舘をいで玉ひて、津の国
須磨
(
すま
)
の浦に日を
移
(
うつ
)
しつくしへ
抵
(
いた
)
りたまへり。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
縫は享和二年に始めて
須磨
(
すま
)
という
女
(
むすめ
)
を生んだ。これは後文政二牛に十八歳で、
留守居
(
るすい
)
年寄
(
としより
)
佐野
(
さの
)
豊前守
(
ぶぜんのかみ
)
政親
(
まさちか
)
組
飯田四郎左衛門
(
いいだしろうざえもん
)
良清
(
よしきよ
)
に嫁し、九年に二十五歳で死んだ。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
たとえば、荒木と毛利の両軍が聯合してたて
籠
(
こも
)
っている兵庫の
花隈城
(
はなくまじょう
)
へ対してなど、不断に攻撃をつづけ、
須磨
(
すま
)
、一ノ谷、六甲あたりの寺院でも村々でも
仮借
(
かしゃく
)
なく焼きたてた。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
光源氏が
須磨
(
すま
)
に
流寓
(
りゅうぐう
)
していた時に、
明石
(
あかし
)
の入道がその無聊を慰めんとして、琵琶法師の真似をしたのは、物語だから信じられぬなら、後鳥羽院の熊野御幸の御旅宿へは、泉州でも紀州でも
雪国の春
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
私はそこから
須磨
(
すま
)
のT君のところへ電話をかけた。T君はすぐ私のいる店へ来ると言った。そうして私がまだ一杯のオレンジエードを飲んでしまわないうちに、そのT君が元気よくはいって来た。
旅の絵
(新字新仮名)
/
堀辰雄
(著)
そういうわたしは、
相州
(
そうしゅう
)
鎌倉
(
かまくら
)
にも小田原にも、
上総
(
かずさ
)
の
富津
(
ふっつ
)
にも時を送ったことがあり、西は
四日市
(
よっかいち
)
、
神戸
(
こうべ
)
、
須磨
(
すま
)
明石
(
あかし
)
から
土佐
(
とさ
)
の高知まで行って見て、まんざら海を知らないでもありませんでした。
力餅
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
この間言ったこともまるで
虚言
(
うそ
)
かも知れぬ。この夏期の休暇に
須磨
(
すま
)
で落合った時から出来ていて、京都での行為もその望を満す為め、今度も恋しさに
堪
(
た
)
え兼ねて女の後を追って上京したのかも知れん。
蒲団
(新字新仮名)
/
田山花袋
(著)
かくすべき雪の
肌
(
はだえ
)
をあらはしてまことにどうも
須磨
(
すま
)
の浦風
田沢稲船
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
須磨
(
すま
)
(同) 七歳
出家とその弟子
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
須磨
(
すま
)
へ源氏の君の行ったころを思い出して遠くに隔たっていようとも同じ世界に生きておいでになることで心を慰めようとそのころはした
源氏物語:34 若菜(上)
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
次の文政九年は抽斎が種々の事に
遭逢
(
そうほう
)
した年である。先ず六月二十八日に姉
須磨
(
すま
)
が二十五歳で亡くなった。それから八月十四日に、師市野迷庵が六十二歳で歿した。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
ここを
降
(
くだ
)
って
須磨
(
すま
)
に出で、西の
城戸
(
きど
)
を攻めるしか攻め口はないので、先に逃げた敵も一ノ谷の全軍も、ござんなれとばかり、
手具脛
(
てぐすね
)
ひいて、われらの寄せるを待ちうけているであろう
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
二旬に
渉
(
わた
)
る長い紀行が終った、今は大変に疲れている、根室のお文さんがなつかしくて耐らぬ、丁度初めて
須磨
(
すま
)
を訪れ、須子の温かい
懐
(
ふとこ
)
ろでなずんだ後、帰京して暫くは馬鹿のように気が脱けて
青べか日記:――吾が生活 し・さ
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
源氏が
須磨
(
すま
)
へ引きこもった
噂
(
うわさ
)
も、遠い国で聞いて、悲しく思いやらないのではなかったが、音信をする
便
(
たより
)
すらなくて
源氏物語:16 関屋
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
きのう、清盛の雪ノ御所をたずねて、麓まで行った
会下山
(
えげさん
)
は眼のまえだ。
摩耶
(
まや
)
、
鉄拐
(
てっかい
)
、
鉢伏
(
はちぶせ
)
など、神戸から
須磨
(
すま
)
明石
(
あかし
)
へかけて、市街の背光をなしている低山群も、山姿すべて
鮮
(
あざ
)
らかである。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
女御
(
にょご
)
などにも何かの場合に好意のない態度を露骨にお見せになりましたが、そのころは
須磨
(
すま
)
時代の恨みが忘られないのだろうとあなたがお言いになり
源氏物語:31 真木柱
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
この秋に源氏は
住吉詣
(
すみよしもう
)
でをした。
須磨
(
すま
)
、
明石
(
あかし
)
で立てた
願
(
がん
)
を神へ果たすためであって、非常な大がかりな旅になった。廷臣たちが我も我もと随行を望んだ。
源氏物語:14 澪標
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
須磨
(
すま
)
へ源氏の行く時に夫人のほうへ女房を皆移してしまったから、今では紫夫人の侍女になっているのである。
源氏物語:22 玉鬘
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
須磨
(
すま
)
明石時代に神へお約しになったことは次々に果たされたのであるが、その以後もまた長く幸運が続き
源氏物語:35 若菜(下)
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
須磨
(
すま
)
の幽居時代に方々から送られた手紙などもあるうちに、紫の
女王
(
にょおう
)
のだけは別に一束になっていた。
源氏物語:42 まぼろし
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
須磨
(
すま
)
の夜の源氏の夢にまざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた源氏は、帰京ができた今日になってその
御菩提
(
ごぼだい
)
を早く弔いたいと
仕度
(
したく
)
をしていた。
源氏物語:14 澪標
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
源氏が
隠栖
(
いんせい
)
の地に擬している
須磨
(
すま
)
という所は、昔は相当に家などもあったが、近ごろはさびれて人口も
稀薄
(
きはく
)
になり、漁夫の住んでいる数もわずかであると源氏は聞いていたが
源氏物語:12 須磨
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
須磨
(
すま
)
で日記のようにして書いた絵巻は姫君へ伝えたいとは思っていたが、もう少し複雑な人生がわかるまではそれをしないほうがよいという見解をもってその中へは加えなかった。
源氏物語:32 梅が枝
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
源氏が
須磨
(
すま
)
、
明石
(
あかし
)
に
漂泊
(
さすら
)
っていたころは、京のほうにも悲しく思い暮らす人の多数にあった中でも、しかとした立場を持っている人は、苦しい一面はあっても、たとえば二条の夫人などは
源氏物語:15 蓬生
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
源氏はその中のことにできのよいものでしかも
須磨
(
すま
)
と
明石
(
あかし
)
の特色のよく出ている物を一
帖
(
じょう
)
ずつ選んでいながらも、明石の家の
描
(
か
)
かれてある絵にも、どうしているであろうと、恋しさが誘われた。
源氏物語:17 絵合
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
あまの世をよそに聞かめや
須磨
(
すま
)
の浦に
藻塩
(
もしほ
)
垂
(
た
)
れしもたれならなくに
源氏物語:35 若菜(下)
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
須
常用漢字
中学
部首:⾴
12画
磨
常用漢字
中学
部首:⽯
16画
“須磨”で始まる語句
須磨子
須磨寺
須磨明石
須磨琴
須磨子嬢
須磨右衛門