かう)” の例文
〔譯〕は是れかう主宰しゆさいなり、乾道けんだうなり。行は是れ知の流行りうかうなり、坤道こんだうなり。合して以て體躯たいくを成す。則ち知行は是れ二にして一、一にして二なり。
この第三回のかう、われは髪を剃りつゑを曳きて古人の跡を蹈み、みづから意向を定めてありしかば義友も遂に我に迫らず、遂に大坂の義獄にあづからざりしも
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
いままたざつと一にち、五ばかり、わたしども一かうたいし……申尽まをしつくせませんまで、種々しゆ/″\こゝろづかひをくださいましたのも、たゞ御礼おれい申上まをしあげるだけではみません。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
かうには母などは居ません。手伝ひ人の小母をばさん位がおもな人で、女中や雇ひお婆さんなどばかりです。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
其方そのかたさしてあゆむ人はみな大尉たいゐかうを送るの人なるべし、両国橋りやうごくばしにさしかゝりしは午前七時三十分、や橋の北側きたがは人垣ひとがきたちつどひ、川上かはかみはるかに見やりて、みどりかすむ筑波つくばの山も
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
智音ちいん得可からず。衆愚度し難し。フラゴナアルの以太利イタリイに修めんとするや、ブウシエそのかうを送つていはく、「ミシエル・アンジユが作を見ることなかれ。彼が如きは狂人のみ」
おせいはおせいで、勝手に死んだンだ。ニウはついて来なかつた。邦子は貧しさに敗けた。だが、ゆき子だけは、病気と闘ひながらも、こゝまで、自分とかうをともにして来てくれたのだ。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
すなはその(四九)歩軍ほぐんて、その(五〇)輕鋭けいえいと、(五一)ばいかうあはせてこれへり。孫子そんし其行そのかうはかるに、くれまさ馬陵ばりよういたるべし。馬陵ばりようみちせまくしてかたは(五二)阻隘そあいおほく、へいふくし。
昨日きのふ一昨日おとゝひと三つゞけてつたですで、まんづ、今日けふ大丈夫だいぢやうぶでがせうかな。」一かうにんと、運転手うんてんしゆ助手じよしゆはせて八にんひしんでつた、真中まんなかちひさくなつた
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
国境の峠を越して来る祭客の中に交つて来る少女をとめ達、大阪から来る親類の少女をとめ達、其等それらいづれも平常ふだんに逢ふことが稀で、大方は一年振で祭に出逢ふ人達なのですから、その一かうかう
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
今日けふ郡司大尉ぐんじたいゐ短艇遠征たんていゑんせいかうを送るに、ねて此壮図このさうと随行ずゐかうして其景況そのけいきやうならびに千島ちしま模様もやうくはしくさぐりて、世間せけん報道はうだうせんとてみづから進みて、雪浪萬重せつらうばんちよう北洋ほくやう職務しよくむためにものともせぬ
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
しかしなに御不足ごふそくでも医学博士いがくはかせ三角康正みすみかうせいさんが、この一かうにおくははりくだすつて、篤志とくしとまでもおんせず、すくな徳本とくごう膝栗毛漫遊ひざくりげまんいうおもむきで、村々むら/\御診察ごしんさつをなすつたのは、御地おんちつて
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)