蠱惑こわく)” の例文
それに似た蠱惑こわく的な響きがあって、一度聴いたものは、どうしても忘れることの出来ない、惑乱を感じさせられると申して居ります。
焔の中に歌う (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
会衆は蠱惑こわくされてれていた。底の底から清められ深められたクララの心は、露ばかりの愛のあらわれにも嵐のように感動した。
クララの出家 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
彼女たち職業婦人はこうした昔の職業婦人の流れを汲んで、更にそれ以上に文化的な、蠱惑こわく的な風俗を作るべく工夫を凝らしている。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
けれど、いくら心を許すまいと思いつつも、こうして、自分の愛撫を求めてやまない蠱惑こわくな彼女の両の手をどう振り離しましょうか。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かつては美しく蠱惑こわくにみちて、恋いわたり、男の愛撫あいぶに打ちまかせて夜ごとに情炎を燃やした身を、ひっそりと埋めていることだろう。
イオーヌィチ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
現世の醜惡を外に人生よりも尊い蠱惑こわくの藝術に充足の愛をさゝげて一すぢに信を獲る優れた悦びに心を驅つて見ても、明日に、前途に
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
芝居、美術展覧会、音楽など、あらゆるものに通じていた。中流人的な文学や思想を心から尊重していて、それに蠱惑こわくされていた。
そうして語られる夢の蠱惑こわくは、ウルリーケの上で、しだいと強烈なものになっていったが、やがて、その悩ましさに耐えやらず叫んだ。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
ノラは一階のマーケットで彼女のエロチシズムと薄鼠色の蠱惑こわくで商品を粉飾した。だが、ようやく彼女の生活には貧困が訪れてきた。
新種族ノラ (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
ああなんという蠱惑こわく的な線だろう。だが同時に、その美しい線が現わしている羞恥しゅうちに、私はやや大げさに言えば、ギョッとした。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
何所までも人を蠱惑こわくする様な言い方では有るが、余は兎も角も其の言葉に従って怪美人の密旨をまで見究めようと思ったから
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
蠱惑こわくに充ちた美しいお照の肉体の游泳姿態を見せられて、いずれ物言わぬ眼に陶然とうぜんたる魅惑みわくの色をただよわしていたものである。
電気風呂の怪死事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しかし、昼光色の電灯の光のなかでぴちぴちしてゐるその指の動きには、何か甘つたるい蠱惑こわくのやうなものが感じられた。
地獄 (新字旧仮名) / 神西清(著)
それがどうして長い眠りから醒めて、なんの由縁ゆかりもない後住者の子孫を蠱惑こわくしようと試みたのか、それは永久の謎である。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
掻口説く声が、もっと蠱惑こわく的に暖く抑揚に富み——着物を脱いでからの形は、あれほかの思案のつかないものだろうか。
印象:九月の帝国劇場 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
肌理きめのこまかい、若々しい照りを持った頬の色つやなどがそのためにひとしお引き立てられて、女の肌とは自ら違った蠱惑こわくを含んでいるように見え
陰翳礼讃 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼女は、まるで空気だけで充分だというみたいに、なにも食べなかった。いつもニコニコと蠱惑こわく的にやさしかった。
メリイ・クリスマス (新字新仮名) / 山川方夫(著)
それは一口に幸運などという言葉では云い尽せない程、奇怪至極しごくな、むしろ恐るべき、それでいてお伽噺にも似た蠱惑こわくを伴う所の、ある事柄でありました。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
つまんだ程の顎尖あごさきから、丸い顔の半へかけて、人をたばかって、人はむしろそのたばかられることをよろこぶような、上質の蠱惑こわくの影が控目にさしのぞいている。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
カルメンとホセとの呼吸がぴたりとあって、谷村はすっかりホセになりきってしまい、妾はあの蠱惑こわく的なボヘミア女になりきってしまったかのようでした。
華やかな罪過 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
無垢むく若者わかものまへ洪水おほみづのやうにひらけるなかは、どんなにあまおほくの誘惑いうわくや、うつくしい蠱惑こわくちてせることだらう! れるな、にごるな、まよふなと
(旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
女優が亭主持になると、人気が衰へはしまいかと気遣ふのは詰らぬことで、女優はどんな境涯にゐても、自分を美と蠱惑こわく幻像まぼろしだといふ覚悟を忘れてはならぬ。
無常の宗教から蠱惑こわくの芸術に行きたいのである……斯様かように懶惰な僕も郊外の冬が多少珍らしかったので、日記をつけて見た。去年の十一月四日初めて霜が降った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この全身をパフの香気こうきに叩きこめられた少女等——、蠱惑こわくすると技術を知りながら、小学生にも劣る無智——。山鹿とはなんという恐ろしい教育をする男であろう。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
それは唯、不景気の病的な反動だとだけでとり澄ましていられなかった。個人を利己的に歪めて一攫千金を夢見させる事に於て、賭博に譲らない蠱惑こわくを持っていた。……
十姉妹 (新字新仮名) / 山本勝治(著)
しかもその氷柱の美女の艶やかさが、私にとっては一層蠱惑こわくとなり、いやが上にも情慾を掻き募らせて、いかに私が狂おしきばかりの恋情に身をただらせていたことか!
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
そしてわしが、不可解な蠱惑こわくの犠牲であつたと云ふ事を理解して貰ふ為めに云ふのである。
クラリモンド (新字旧仮名) / テオフィル・ゴーチェ(著)
いや斜視そのものは美しいものだ。で、その女——島子なのであるが——その島子の人工的斜視は、妖精的に美しい。また蠱惑こわく的といってもいい。また誘惑的といってもいい。
怪しの館 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この山の美しさは、恍焉こうえんとして私を蠱惑こわくする。何世紀も前の過去から刻みつけられた印象は、都会という大なる集団の上にも、不可拭ふかしょくの焼印を押していなければならないはずだ。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
かくて始めて知った「色」というものの、蠱惑こわくよ、秘密よ、不可思議よ——虹の世界へ島流しに遭った童子のように次郎吉は、日夜をひたすらに瞠目し、感嘆し、驚喜していた。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
ふくよかな肉体をもった蠱惑こわく的な像である。右手をすっと伸ばして、衣のすそをゆびで軽くつまみあげているが、人指しゆびと小ゆびのかすかにそりかえっているのが実に美しい。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
……それにしても、かうした光の蠱惑こわくから人間といふものはさまざまなことを思ひ出すものである。こんなことから、実際人を殺さうと決心した男が、昔からなかつただらうか……
その絶えんとして、又続く快い旋律が、目に見えない紫の糸となって、信一郎の心に、後から後から投げられた。それは美しい女郎蜘蛛ぐもの吐き出す糸のように、蠱惑こわく的に彼の心をとらえた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
すなわち女優諸君が真に美貌に執するならば、そしておのれの持つ最も蠱惑こわく的な美を発揮したいならば、むしろすすんで眉を落し歯を染めるべきであるということを私は提言したいのである。
演技指導論草案 (新字新仮名) / 伊丹万作(著)
その青藍色の湯池とうち蠱惑こわく的である。美しさの余り眩惑されて身を投じるものもないとは限らぬ。また十分の威厳を備えておる。百二十度の熱湯はげんとして人を近寄らしめない。まさに女王の感じである。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
しかし夢中ではあんなに蠱惑こわく的に見えた物語の筋も
鳥料理 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
愛に充ちてはいるが、しかしインド的な蠱惑こわくはない。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
まことに縁なきけんらんで、それに女性の蠱惑こわくを連想すれば、かえって魔術師の箱をのぞくようなふしぎな気味わるさにとりつかれる。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
白い羽根のついた黒い帽子を目深まぶかにかぶり、ネロリ油の強烈な蠱惑こわく的な香をさしてサーカスの女のようなミサコは高慢な夜を感じていた。
女百貨店 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
彼は、眼前の、この世ならぬあやしさに蠱惑こわくされ、自分の幻影を壊すまいとして、そのまましばらくは、じっと姿勢を変えなかったのである。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そういわれた瞬間、私の眼底がんていには、どういうものか、あのムチムチとした蠱惑こわくにみちたチェリーの肢体したいが、ありありと浮び上ったことだった。
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
かつはその鏡に自分の娘ふたりを蠱惑こわくする不可思議な魔力がひそんでいるらしいことを認めたので、いよいよそのままには捨ておかれないと思って
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
コンナ素晴らしい幻影が見えるのは、黴毒が頭に来ているせいじゃないか知らんと思ったくらい蠱惑こわく的な姿であった。
冥土行進曲 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
驚きの表情はすぐ葉子の顔から消えて、妖婦ようふにのみ見る極端に肉的な蠱惑こわくの微笑がそれに代わって浮かみ出した。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
蠱惑こわくちて来るようになり、そしてそれらの一つ一つが、私に取って味わい尽せぬ無上の物になるのでした。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それを見詰めていると、冷たいほのおに対して感ずるような、恐ろしい蠱惑こわく懊悩おうのうをさえ感じさせるのです。
人妻の艶かしさを処女の慎ましさに包んでいるような妻の顔……それが……その喉の下にポツンと一つ小さく付いている黒子ほくろまでが、何ともいえぬ蠱惑こわくと悩ましさとをもって
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
傾城塚けいせいづかでの蠱惑こわくが、亡霊のようにつきまとっている。しかし」とやっぱり考えられた。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
少年はひやひやしながら、嫌悪と蠱惑こわくの入りまじつた不思議な感情をもてあます。
地獄 (新字旧仮名) / 神西清(著)
その眼をなおよく見んために覆面ヴェールを引き裂こうとした刹那せつな、このたびはその蠱惑こわくから脱せんとつとめ、主宰的精神の魔法の網を、スフィンクスの顔にふたたび投げかけようとしていた。