泥鰌どじょう)” の例文
間もなく、船が花川戸へ着くと、私はそこから、仲見世の東裏の大黒屋の縄暖簾なわのれんをくぐり、泥鰌どじょうの熱い味噌汁で燗を一本つけさせた。
みやこ鳥 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
あの田圃の畔を流れる川の水は綺麗だったなあ、せりが——芹が川の中に青々と沈んでいやがった。ふなを捕ったり、泥鰌どじょうを取ったり……
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
鶏はくがに米をついばみ家鴨は水に泥鰌どじょうを追うを悟り、寝静まりたる家家の向う「低き夢夢の畳める間に、晩くほの黄色き月の出を見出でて」
しかし然ういつも柳の下に泥鰌どじょうはいない。その日の中に下り始めたから、慌てゝ手放した。前に儲けただけを悉皆すっかり吐き出してしまった。
勝ち運負け運 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
震災頃までは安木節やすぎぶしの踊や泥鰌どじょうすくいが人気を集めていたのであるが、一変して今見るような西洋風のダンスになったのである。
裸体談義 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
番小屋の店のまえに置いてある盤台風の浅い小桶には、泥鰌どじょうかと間違えられそうなめそっこ鰻が二、三十匹かさなり合ってのたくっていた。
放し鰻 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ある柳の下にいつでも泥鰌どじょうが居るとは限らないが、ある柳の下に泥鰌の居りやすいような環境や条件の具備している事もまたしばしばある。
厄年と etc. (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「ながくったって昏れるまでには帰れるだろう、台所に泥鰌どじょうが買ってあるから、晩飯にはあれで味噌汁を拵えておいて呉んな」
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
総立ちになって、そこにいる人間が全部、小桶のそこの泥鰌どじょうみたいに、足を揃え、あごをつかみ、ものすごい喧嘩をしはじめた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それよりサッサとあしへ帰り、えび泥鰌どじょうでもせせるがいいや。うん、その前に烏啼き、ともよぶ声でも聞かせてやろう」
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ミミイ嬢は好物の泥鰌どじょうの頭を喰べかけたまま、シルクハットをヒョイと頭に載せて戸外そとへ出かけたまま、小屋の開場いれこみになっても帰って来ないので
いっぺんきたない爺さんが泥鰌どじょうのような奴をあたじけなく頸筋くびすじへ垂らしていたのを見て、ひどく興をさましたせいだろう。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
というと日本でも生きた泥鰌どじょうを豆腐と一所に煮てその豆腐に穿うがち入りて死したのを賞味する人もあるから、物に大小の差こそあれ無残な点に甲乙はない。
夕餐ゆうめしには昨夜猫に取られた泥鰌どじょうの残りを清三が自分でさいてご馳走した。母親が寝ているので、父親が水を汲んだり米をたいたりけ物を出したりした。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
「鵜烏の尻に穴をあけ糸を結び、他の一端を泥鰌どじょうの首に結びつくるべし。水は底が見えぬよう濁り水とすべし」
科学者と夜店商人 (新字新仮名) / 海野十三佐野昌一(著)
その田の中には幅半間ぐらいの道がある。道に沿うて小さいどぶが流れていて、底はいっぱいの泥で、この暑さでぶくぶくと泥が幾度も湧き上った。泥鰌どじょうがいる。いもりがいる。
三浦右衛門の最後 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
甲府の市の北にある武田家城址じょうしほり泥鰌どじょうは、山本勘助に似て皆片目であるといいました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
新らしい鳥屋に入ってそこに馴れるまでは卵は生まないとか、たまには泥鰌どじょうの骨を食べさせて、新らしい野菜をかかさない様にと教えてやったそうだけれ共あんまり功はなかったらしい。
二十三番地 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
柳の下に泥鰌どじょうがゐた! 麗かな晴れた日のことで、武蔵野を灌漑する小さな流れに沿ひ乍ら孤り目当なく歩いてゐた時の事だが、柳の下へ一匹の泥鰌がヒョイと顔を突き出したのである。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
糞う、そげん何時もかつも、柳の下に泥鰌どじょうが居るもんか。今度は、負けんぞ
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
その頃子供の遊びとしては城下の外の小さな川へ鮒や鯉を釣りに行くことで、少し荒っぽい方では泥鰌どじょうをすくう。私はあまり殺生を好まなかったが、年上の者等に連れられて行くこともあった。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
鶴とは申せど、尻を振って泥鰌どじょう追懸おっかける容体などは、余り喝采やんやとは参らぬ図だ。誰も誰も、くらうためには、品も威も下げると思え。さまでにして、手に入れる餌食だ。つつくとなれば会釈はない。
紅玉 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
泥鰌どじょうみたいなことを言うなよ、可哀想に娘は泣いてるじゃないか」
両国でも本家の四ツ目屋のあった加賀屋横町や虎横町——薬種やくしゅ屋の虎屋の横町の俗称——今の有名な泥鰌どじょう屋の横町辺が中心です。西両国、今の公園地の前の大川縁おおかわべりに、水茶屋が七軒ばかりもあった。
江戸か東京か (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
泥鰌どじょうは喜んで居るだらうが、人間には随分ひどい害をなして居る。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
泥鰌どじょうがいるでしょう。」生徒の一人が答えました。
みみずく通信 (新字新仮名) / 太宰治(著)
泥鰌どじょう 七七・三二 一八・四三 二・六九 一・五六
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
我事わがこと泥鰌どじょうの逃げし根芹ねぜりかな 丈草じょうそう
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
そうして、おとといのひるには近所のうなぎ屋に一人前の泥鰌どじょう鍋をあつらえた。きのうの午には魚屋に刺身を作らせたと云った。
半七捕物帳:08 帯取りの池 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
殺し合いと焼打ち騒ぎがんだのだ。——今日こそは飲むべかりけり、とみあい、差しあい、泥鰌どじょうのように、酔いもつれた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
餌は大きな蚯蚓みみずか、泥鰌どじょうであって、すっぽんがいると見当をつけた淵へ延縄はえなわ式に一本の縄へ幾本もの鈎を結び投げ込む。
すっぽん (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
「釣針に泥鰌どじょうをつけておびきよせましてね、その場で手術刀メスで処理してしまうんです。中支ではよくやりましたよ」
水草 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
もちろん料理茶屋などはないじぶんのことで、そのさかなも、めぼりで捕った泥鰌どじょうと、煮びたしの野菜に卵をったもの、それに漬物と梅びしおなどであった。
泥鰌どじょうも百匁ぐらいずつ買って、猫にかかられぬようにおけ重石おもしをしてゴチャゴチャ入れておいた。十ぴきぐらいずつを自分でさいて、鶏卵たまごを引いて煮て食った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
蜻蜓とんぼが足元からついと立って向うの小石の上へとまって目玉をぐるぐるとまわしてまた先の小石へ飛ぶ。小溝に泥鰌どじょうが沈んで水が濁った。新屋敷の裏手へ廻る。
鴫つき (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
安来節の踊や泥鰌どじょうすくいの流行ったのは大正になってからだろう。委しいことは知らない。その時分現在の松竹座は御国座という芝居で、沢村訥子とっしの一座がかかっていた。
浅草むかしばなし (新字新仮名) / 永井荷風(著)
(方形の形をして柄が付いている。小溝の鮒や泥鰌どじょうすくうに用いるもの)しばらくすると、母のおきんが、母屋と牛小屋との間から、大根を二本さげて出てくる。冬の日の黄昏たそがれ近し。
義民甚兵衛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
珍しい名前も有るものと思っていると、佐渡島さどがしまでも蕎麦切そばきり味噌汁みそしるに入れたのを、やはりソバドヂョウと謂うそうであった。その形泥鰌どじょうに似たるためなるべしと『佐渡方言集』にはある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
つるとは申せど、尻を振つて泥鰌どじょう追懸おっかける容体ようだいなどは、余り喝采やんやとは参らぬ図だ。誰も誰も、くらふためには、ひんも威も下げると思へ。までにして、手に入れる餌食だ。つつくと成れば会釈はない。
紅玉 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
灌漑用に引かれているせきへりには、すみれや、紫雲英げんげや、碇草いかりそうやが、精巧な織り物をべたように咲いてい、水面には、水馬みずすましが、小皺のような波紋を作って泳いでい、底の泥には、泥鰌どじょうの這った痕が
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その時の彼はほとんど砂の中で狂う泥鰌どじょうのようであった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一、 わが事と泥鰌どじょうの逃げし根芹ねぜりかな 丈草
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
泥鰌どじょうのフライ 秋 第二百十二 魚のグレー
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
目色が変っています。見ていても息が詰まるようです。しかし監督員の中には、不断自分が試験でくるしむものですから、面白がっているものもありますよ。『今度は数学だから七転八倒だぜ』なんて、泥鰌どじょうでも殺すようなことを
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
田のくろを流れる小さい水のはたで、子供が泥鰌どじょうをすくっているほかに、人通りもないのを見すまして、半七はまた訊いた。
半七捕物帳:09 春の雪解 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
泥鰌どじょうの格闘は、小屋の中だけかと思っていると、いつのまにか裏手のほうでもやっているし、横のほうでもやっている。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「こういう霜腹気しもばらけの日に、泥鰌どじょう丸煮まるにかなんかで、熱燗をキュッとひっかけたら、さぞ美味びみなことであろう」
予自身の境地はかわらぬが。「夜とぼし」と云うものが始まった。石油の明りで、田甫の間を泥鰌どじょうを刺して歩くのである。点々として赤い燈の揺れて行くのはロマンティクである。
その後、鮒釣りにも泥鰌どじょう釣りにも伴って行った。六、七歳の頃になると、鰻の穴釣りに、私のうしろを魚籠びくをさげて歩いた。赤城山麓の方から、榛名山麓の細流まで、二人で鰻の穴を捜し歩いた。
桑の虫と小伜 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
水戸の屋敷の大きいしいの木がもう眼の前に近づいた頃に、堤下の田圃で泥鰌どじょうか小鮒をすくっている子供らの声がきこえた。