“州(しう)” の例文
支那(しな)全國(ぜんこく)が道(だう)に分(わか)れ、道(だう)が州(しう)又(また)は郡(ぐん)に分(わか)れ、それが縣(けん)に分(わか)れ、縣(けん)の下(した)に郷(がう)があり郷(がう)の下(した)に里(り)がある。州(しう)には刺史(しし)と云(い)ひ、郡(ぐん)には太守(たいしゆ)と云(い)ふ。
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
私(わたし)は今(いま)、私(わたし)の少年時代(せうねんじだい)の事(こと)を思(おも)ひだす。明治(めいぢ)十九年(ねん)、私(わたし)が初(はじ)めて九州(しう)から東京(とうきやう)に遊學(いうがく)に來(き)た時(とき)、私(わたし)の友人(いうじん)や先輩(せんぱい)の學生間(がくせいかん)に、よく斯(か)ういふ話(はなし)のあつた事(こと)を覺(おぼ)えてゐる。
他(た)に身請する人ありと僞(いつは)りて五十兩の金を騙(かた)り取(とり)種々(しゆ/″\)の惡計(あくけい)を働(はたらき)し其根元(こんげん)を尋(たづぬ)るに國は三州(しう)藤川(ふぢかは)の近在(きんざい)岩井村(いはゐむら)の百姓に作(さく)十と云者あり夫婦の中(なか)に子供兩人有て兄(あに)を作藏舍弟(おとゝ)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
現在(げんざい)に於(おい)ては、九州(しう)、四國(こく)から、陸前(りくぜん)、陸奧(りくおく)、出羽(でば)の方(はう)まで掛(か)けて三十五ヶ國(こく)に亘(わた)り發見(はつけん)されて居(ゐ)るので、加之(しかも)横穴(よこあな)は一ヶ所(しよ)に群在(ぐんざい)する例(れい)が多(おほ)いのだから、穴(あな)の數(すう)を算(さん)したら
また有名(いうめい)なる九州(しう)の有明灣(ありあけわん)を理由(りいう)なしに改竄(かいざん)して島原灣(しまはらわん)などとゝなへてゐるものもある。
国語尊重 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
兎角するうちに、木城氏は關(くわん)八州(しう)の荒地(くわうち)開墾御用係といふものを命ぜられた。そして御勘定奉行(ごかんぢやうぶぎやう)の小栗下總守(をぐりしもふさのかみ)といふ人と一緒に、大阪から江戸に下つて來た。私(わし)もその一行の中(うち)に居た。
兵馬倥偬の人 (旧字旧仮名) / 塚原渋柿園、塚原蓼洲(著)
馬鹿(ばか)な事を云(い)ふな、手前(てめえ)は江戸(えど)ツ子(こ)ぢやアねえぞ、十一の時(とき)三州(しう)西尾(にしを)の在(ざい)から親父(おやぢ)が手を引いて家(うち)へ連(つ)れて来(き)て、何卒(どうぞ)置いてくれと頼(たの)まれる時、己(おれ)が鼠(ねづみ)半切(はんぎれ)へ狂歌(きやうか)を書いて遣(や)つたツけ
にゆう (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
知らねば疑(うたが)はるゝも道理(もつとも)なりいで其譯(そのわけ)は斯々なり宵に御身たちが出行(いでゆき)し跡へ年の頃廿歳許(ばかり)の容顏(ようがん)麗(うるは)しき若者來れり何(いづ)れにも九州(しう)邊(へん)の大盡(だいじん)の子息(むすこ)ならずば大家(たいけ)に仕(つか)はるゝ者なるべし此大雪に道(みち)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)