内裏だいり)” の例文
これからそっと自分が御所の吏員りいんへ訴えに行き、ふたりの身を穏便のうちに内裏だいりへ帰してもらうように頼もう——というのであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「昔、奈良の帝様みかどさまがおうつりになったところで、それから奈良田と申します、今でもその帝様の内裏だいりの跡が残っているのでございます」
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かようにして内裏だいりの東西とも一望の焼野原となりました上は、細川方は最早や相国寺を最後の陣所と頼んで、立籠たてこもるばかりでございます。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
楠正成、名和長年ながとし以下の凱旋がいせん諸将を従えられ、『増鏡』に依ると、其の行列は二条富小路の内裏だいりから、東寺の門まで絡繹らくえきとして続いたとある。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
これを大黒天の使い物とする事、『源平盛衰記』一に清盛内裏だいりで怪鼠を捕うる記事中、鼠は大黒天神の仕者なり、これ人の栄華の先表なりとある。
阿媽港甚内あまかわじんないのほかに、誰が内裏だいりなぞへ忍びこみましょう? わたしはこの言葉を聞くと、必死にもがいているあいだでも、思わず微笑びしょうを洩らしたものです。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しばの里に、芝の庄司という人がいた。娘を一人もっていたが、長年、都の内裏だいり采女うねめとして御奉公にあげてあった。
内裏だいりさまは子供雑誌のふろくの、五人ばやしまでがそろっている厚紙の模型ひな段をそっくりそのまま一段高いところに置き、両側に桃と菜の花を飾ろうというのである。
雑居家族 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
「異国の例では三条の大路を開き、十二の洞門を立つと書物にある。土地検分では五条あるという、五条の都に内裏だいりが建てられぬ道理はない、まずさと内裏をつくるべきだ」
烈風に乗じて火を内裏だいりに放ち、中川宮および松平容保の参内を途中に要撃し、その擾乱じょうらんにまぎれて鸞輿らんよ叡山えいざんに奉ずる計画のあったことも知らねばならないと言ってある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
天平宝字元年十一月十八日、内裏だいりにて肆宴とよのあかりをしたもうた時、藤原朝臣仲麿の作った歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
十七の時にはもう国司の宣旨せんじが下った。ところが筑紫へ赴任する前に、ある日前栽せんざいで花を見ていると、内裏だいりを拝みに来た四国の田舎人たちが築地ついじの外で議論するのが聞こえた。
十六で皇太子のになって、二十で寡婦になり、三十で今日また内裏だいりへはいったのである。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
聖武天皇即位六年の後、五位以上、諸司の長官を内裏だいりに集めて、光明皇后冊立をちょくせられたが、他に何人かの意志があったにしても、最も多く聖武天皇の意志であったに相違ない。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
と、いうことを大塔宮様には、告ぐる者あってお知りになり、ただちに内裏だいりへ密奏した。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
若水といふ事は去年こぞ御生気の方の井をてんして蓋をして人にくませず、春立つ日主水司もんどのつかさ内裏だいりに奉れば朝餉あさがれいにてこれをきこしめすなり、荒玉の春立つ日これを奉れば若水とは申すにや云々
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
後醍醐ごだいご天皇の延元えんげん元年以来五十余年で廃絶はいぜつしたとなっているけれども、そののち嘉吉かきつ三年九月二十三日の夜半やはんくすのき二郎正秀と云う者が大覚寺統だいかくじとうの親王万寿寺宮まんじゅじのみやほうじて、急に土御門つちみかど内裏だいりおそ
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
倭節用集やまとせつようしゅう、京師俟野通尚簒補)万人がそれを認めていた。天皇の名称は、「禁裡きんり」、「内裏だいり」、「御門みかど」などとも、いわれている。それは「主権者ではないこと」を、はっきり示した文字である。
まちて仮の内裏だいり司召つかさめし 碩
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
して内裏だいり拝まん朧月おぼろづき
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
「そうれみろ。庶民から上層の女まで、念仏に帰依きえした女性というものはたいへんな数だ。内裏だいりの女官のうちにも、公卿くげの家庭にも」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かやうにして内裏だいりの東西とも一望の焼野原となりました上は、細川方は最早や相国寺を最後の陣所と頼んで、立籠たてこもるばかりでございます。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
周到な勝元は早くも幕府に参候し、義政に請うて宗全追討の綸旨りんしを得て居る。時に西軍が内裏だいりを襲い、天子を奉戴して幕府を討伐すると云う噂が立った。
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
おりおりは音楽の会などを世間の評判になるほど派手はでにあそばして、院の陛下の御生活はきわめて御幸福なものであった。ただ恋しく思召すのは内裏だいりにおいでになる東宮だけである。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
内裏だいりの様子は、先帝のいた当時と少しも変っていないのが、又、大宮の涙を誘った。
この偉大なる人、高雅なる人、可憐なる人、凜冽たる魂の気品の人の姿がなしに、内裏だいりの虚空に坐したところで、何ものであろうか。彼の心は天皇の虚器を微塵ももとめていなかった。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
声もなく眠っているきょうの町は、加茂川の水面みのもがかすかな星の光をうけて、ほのかに白く光っているばかり、大路小路の辻々つじつじにも、今はようやく灯影ほかげが絶えて、内裏だいりといい、すすき原といい
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
内裏だいり攻めようと意気込んでいたに」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
女倶して内裏だいり拝まん朧月
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
親王、若宮の御ふた方、女官扈従こじゅうを召しつれて、お心もそぞろに、東の御門を出でられ、かしこくも内裏だいりまで徒歩かちでお移りになられた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いきおいを得た山名やまな方は九月朔日ついたちついに土御門万里つちみかどまでの小路の三宝院に火をかけて、ここの陣所を奪いとり、愈々いよいよ戦火は内裏だいりにも室町殿にも及ぼう勢となりました。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
その頃内裏だいりの主上から、鳥羽殿にある法皇の許に、ひそかにお便りがあった。
わたしはこの策を思いついた後、内裏だいりへ盗みにはいりました。宵闇よいやみの浅い内ですから、御簾みす越しに火影ほかげがちらついたり、松の中に花だけほのめいたり、——そんな事も見たように覚えています。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「一昨夜来の猛火、さだめし内裏だいりにおかれても、おおどろきのことと拝しまする。御宸襟ごしんきんをなやまし奉りました罪、おゆるしおかれますように」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いきおいを得た山名やまな方は九月朔日ついたちつひに土御門万里つちみかどまでの小路の三宝院に火をかけて、ここの陣所を奪ひとり、愈〻いよいよ戦火は内裏だいりにも室町殿にも及ばう勢となりました。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
神社、仏閣、貴族の邸宅をみるみるうちになめつくし、京の街々を、はいずり廻った火は、その勢で御所に向い、朱雀門に先ず飛び火し、またたく間に、全内裏だいり中を焼きつくしてしまった。
そのほか内裏だいりの御経済の改良やら、公卿殿上の生活安定から、諸祭事の振興など、あらゆる面にむかって、彼は皇室の復古に心をかたむけた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内裏だいり、室町殿、それに相国寺の塔が一基のこっておりますだけ、その余は上京かみぎょう下京しもぎょうおしなべて、そこここに黒々と民家のかたまりがちらほらしておりますばかり
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
内裏だいりより仲国がお使いに参上いたしました、お開け下さい」
もし内裏だいりなら、今ごろは、藤の花の匂う弘徽殿こきでん渡殿わたどのにこの黒髪もさやかであろうと思うにつけ、妃たちは、ねばよごれ髪にさわってみては、女同士で
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内裏だいり、室町殿、それに相国寺の塔が一基のこつてをりますだけ、その余は上京かみぎょう下京しもぎょうをおしなべて、そこここに黒々と民家のかたまりがちらほらしてをりますばかり
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
陰陽師おんようし安倍泰親あべのやすちか内裏だいりにかけつけて
こよい、夜にまぎれて、内裏だいりを忍び出で給うみかどを山門へお迎えしたてまつるためだ。もし六波羅勢がさえぎらば、討ち払うまでよ。——わかったか
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内裏だいり炎上えんじょう
内裏だいり四面の築土ついじの御修理をなされますやら、また、四千貫文を朝廷へ御献上遊ばし、そのほか、伊勢外宮いせげくうの御造営にもお力をお尽しなされました……。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弥四郎がただ一騎去るのを見送ッてから、正成は扈従こじゅうの一隊と三百騎ほどをつれて、花山院の内裏だいりへうかがった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
となされ、近ごろでは、これまでの尊氏懐柔策はすてて、しばしば、宮将軍との御密談も内裏だいりで行われているなどの事実も、俄に、宮一味をここで気負わせ
仕丁しちょうが大勢してそれをにないまいらせる。主上はまだあかるいうちに、花山院ノ内裏だいりを出られた。……が、天皇お一ト方ではない。女院、ご眷属けんぞくすべてである。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遅々たる牛車ぎっしゃで、内裏だいりから退がって来るには、ぬかるみ、石コロ道、秋草しげき田舎道、さんざんかかる。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とにかく万歳の声くばかりなうちに、還幸のほこりは、やがて二条御所の内裏だいり深くにしずまった。