“とうじ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
湯治26.8%
当時19.7%
東寺11.8%
冬至11.8%
蕩児9.4%
杜氏6.3%
當時3.1%
藤次1.6%
悼辞1.6%
盗児1.6%
陶瓷1.6%
陶磁1.6%
冬時0.8%
答辞0.8%
蕩兒0.8%
酒造人0.8%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
云うのであろうそのうちには本音をくであろうともうそれ以上の詮議せんぎめて取敢とりあえず身二みふたつになるまで有馬へ湯治とうじにやることにした。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
勝氏は真実しんじつの攘夷論者に非ざるべしといえども、当時とうじいきおいむを得ずして攘夷論をよそおいたるものならん。その事情じじょうもって知るべし。
こうして若宮は髪を落し、法師の姿となって仁和寺にんなじ御室おむろの弟子になった。後に東寺とうじの一の長者安井宮の大僧正道尊といわれた人は、実にこの若宮であった。
それがこの自分じぶんでもひどいやであつたが、冬至とうじるから蒟蒻こんにやく仕入しいれをしなくちやらないといつて無理むりたのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
弴も花柳小説を昔ながらの花柳で描く恐らく最後の作者であろうが、荷風を比べると、その蕩児とうじぶりがちがう。
長男の隼太も任地の高松で嫁を貰っているし、長女のミチは醤油会社の杜氏とうじをしている男に嫁入り、広島で世帯を持っていた。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
だがこのひとうた全體ぜんたいに、かならずしも世間せけんでいふようなものばかりでなく、やはり當時とうじ流行りゆうこうの、はでなこせ/\したものもないではありません。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
藤次とうじ吉岡流小太刀よしおかりゅうこだち使つか
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
能勢五十雄は、中学を卒業すると間もなく、肺結核はいけっかくかかって、物故した。その追悼式ついとうしきを、中学の図書室で挙げた時、制帽をかぶった能勢の写真の前で悼辞とうじを読んだのは、自分である。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
いやでも応でも、宇宙は刻々にかわるという法則に立つ易学を生んだ隣邦りんぽう中国では、さすがに世の転変てんぺんには馴れぬいていたものか、古来盗児とうじに関する挿話そうわは今の日本にも負けないほど多い。
人間山水図巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唐宋の醇美な彫刻絵画に対して、明は宣徳せんとく嘉靖かせい万暦ばんれき陶瓷とうじ剔紅てっこう填漆てんしつの類を特徴とする。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
かねて顔見知りの主人は、平次の出した陶磁とうじの破片を見て
冬時とうじこのかは灌水くわんすゐおこなふには、あらかじ身體しんたいるゝに孔穴こうけつこほりやぶりてまうき、朝夕あさゆふこの孔穴こうけつぼつして灌水くわんすゐおこなふ。
命の鍛錬 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
北海道ほくかいだう移住後いぢゆうご冬時とうじ服裝ふくさうは、内地ないちりしときほとんどことならず。しかして當地たうち寒氣かんき左程さほどかんぜざるのみならず、凍傷とうしやうとう一度いちどをかされたることあらず。
命の鍛錬 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
あるいは音楽とか卒業生総代そうだい答辞とうじとか、あるいは卒業生の演説えんぜつとかいろいろあるが、大学卒業式にして独り当時学校のみならず国民全般にとって重要と思うことは式場における名士の演説である。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
思えば思うほど、悲しき寂しき人生であった。学びに勉めず、仕事に励まず、蕩兒とうじの姿が私の過去のすべてであった。
利根川の鮎 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
地體、荒削の不器用に出來たからだで、酒造人とうじでなかつたら兵隊、人間に生れなければ馬にでもなつた男だ。
五本の指 (旧字旧仮名) / ルイ・ベルトラン(著)