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とうじ
ふりがな文庫
“
東寺
(
とうじ
)” の例文
そして或る時などは——義貞自身、一万の精兵をひッさげて、敵中をけちらし、尊氏の本営、
東寺
(
とうじ
)
の門前までせまって、弓に矢をつがえ
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
こうして若宮は髪を落し、法師の姿となって
仁和寺
(
にんなじ
)
御室
(
おむろ
)
の弟子になった。後に
東寺
(
とうじ
)
の一の長者安井宮の大僧正道尊といわれた人は、実にこの若宮であった。
現代語訳 平家物語:04 第四巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
八坂
(
やさか
)
の塔だの、
東寺
(
とうじ
)
の塔だの、
知恩院
(
ちおんゐん
)
だの、
金閣寺
(
きんかくじ
)
だの
銀閣寺
(
ぎんかくじ
)
だのがきらきらと映ります。
私の生ひ立ち
(新字旧仮名)
/
与謝野晶子
(著)
東寺
(
とうじ
)
の
卿公
(
きょうのきみ
)
と云う
修験者
(
しゅげんじゃ
)
にお
符
(
ふだ
)
をもらって来て
貼
(
は
)
ると、怪しい物も来ないようになったので、五十日ばかりして東寺に往って卿公に礼を云って酒を飲み、その帰りに女のことを思いだして
牡丹灯籠 牡丹灯記
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
ほとんど
凡
(
すべ
)
ての大本山がここに集ります。浄土宗の
知恩院
(
ちおんいん
)
や
百万遍
(
ひゃくまんべん
)
、
真言
(
しんごん
)
宗の
東寺
(
とうじ
)
や
智積院
(
ちしゃくいん
)
、真宗の両
本願寺
(
ほんがんじ
)
、禅宗の
南禅寺
(
なんぜんじ
)
や
妙心寺
(
みょうしんじ
)
や
大徳寺
(
だいとくじ
)
、時宗の
歓喜光寺
(
かんきこうじ
)
、天台宗の
妙法院
(
みょうほういん
)
や
延暦寺
(
えんりゃくじ
)
。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
▼ もっと見る
日次
(
ひなみ
)
記事に依れば、
東寺
(
とうじ
)
などで花摘といったのはこの日花御堂を結構して、
小釈迦
(
こしゃか
)
の銅像を安置することで、この日また比叡山
戒壇堂
(
かいだんどう
)
の
仏生会
(
ぶっしょうえ
)
に、女人等の常は登拝を許されざる者も参詣し
年中行事覚書
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
御供養
(
みくやう
)
の
東寺
(
とうじ
)
舞楽
(
ぶがく
)
の日を見せて桜ふくなり京の山かぜ
恋衣
(新字旧仮名)
/
山川登美子
、
増田雅子
、
与謝野晶子
(著)
「冬が来れば、寒かろうとて、わしらばかりでなく、
東寺
(
とうじ
)
や、
八坂
(
やさか
)
の床下に
棲
(
す
)
む子らにまで、古いお着物は恵んで下さるしの」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
こうして田の神への信仰から発生した稲荷信仰が、後になって京都の
東寺
(
とうじ
)
と結んで勢力を大きくしたこともあり、信仰を悪用した人々により、いわゆる狐つきという迷信をも生むに至ったのである。
故郷七十年
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
加茂へも、
東寺
(
とうじ
)
へも、それはあったが、しげしげのお出ましは、おおむね二条高倉の新地で、古典には、こうみえる。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
だから、公綱の隊が、
東寺
(
とうじ
)
を過ぎて
四塚
(
よづか
)
にかかる頃は、はやくも四百人をこえていたし、なお行く行くの途中でも
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
雑賀隼人の手勢は、五月十一日のあけがた、
法勝寺
(
ほっしょうじ
)
の
円観上人
(
えんかんしょうにん
)
を引ッ
縛
(
くく
)
って、獄へ持ち込み、南条左衛門は、
東寺
(
とうじ
)
を襲って、
文観僧正
(
もんかんそうじょう
)
を、捕縛して来た。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
つづいて、尊氏も、その
居
(
きょ
)
を、
東寺
(
とうじ
)
から移して、三条坊門ノ
御池
(
おいけ
)
におき、
高
(
こう
)
ノ
師直
(
もろなお
)
は一条今出川に住みついた。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
東寺
(
とうじ
)
の長者、
文観
(
もんかん
)
上人の
侍者
(
じしゃ
)
です。それが浄土寺と
東寺
(
とうじ
)
のあいだを、ひそかに往来いたしたもようなので」
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また、いくばくもなく、南都に遊び洛内に
住
(
じゅう
)
し、いつか
東寺
(
とうじ
)
の
長者
(
ちょうじゃ
)
、醍醐の
座主
(
ざす
)
にまで補せられて、
四曼三密
(
しまんさんみつ
)
の
棟梁
(
とうりょう
)
と、人もゆるし、みずからも
持
(
じ
)
すこの
文観
(
もんかん
)
。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
西の宮から先、
鹵簿
(
ろぼ
)
は、正成以下の
畿内
(
きない
)
の兵数千が露ばらいして進み、六月五日の夕、
東寺
(
とうじ
)
に着いた。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
寄手は
東寺
(
とうじ
)
を本陣とするわずか四、五千の赤松勢であったのだが、これがすばらしく強いのだった。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その日、
東寺
(
とうじ
)
の前でのこと。先帝お見送りの大群集が押しあっているちまたであった。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
東寺
(
とうじ
)
の
鴉
(
からす
)
みたいに、ガアガア反対する奴もあるが、そいつら自身は、どうだ!」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
六波羅より、七条を西へ、大宮を南に折れて、
東寺
(
とうじ
)
の門前に、車をおさへらる。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「前の月には、その赤松勢のほうが勝ち色で、一時は桂川、
東寺
(
とうじ
)
の線をつき破り、大宮、
猪隈
(
いのくま
)
、堀川、油小路いちめん、火の海だったそうですよ。都のすがたもまるで変っているらしい」
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そしておそらくこれは
東寺
(
とうじ
)
から九条口へかかるだろう。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
東寺
(
とうじ
)
は」
宮本武蔵:05 風の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“東寺”の解説
東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある、東寺真言宗総本山の日本の仏教寺院。山号は八幡山。本尊は薬師如来。真言宗の根本道場であり、教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。寺紋は雲形紋(東寺雲)。食堂(本尊・十一面観音)は洛陽三十三所観音霊場第23番札所。
(出典:Wikipedia)
東
常用漢字
小2
部首:⽊
8画
寺
常用漢字
小2
部首:⼨
6画
“東”で始まる語句
東
東京
東雲
東風
東山
東南
東屋
東方
東路
東叡山