冬至とうじ)” の例文
そこは一年のうちの最も日の短いという冬至とうじ前後になると、朝の九時頃に漸く夜が明けて、午後の三時半には既に日が暮れてしまった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それがこの自分じぶんでもひどいやであつたが、冬至とうじるから蒟蒻こんにやく仕入しいれをしなくちやらないといつて無理むりたのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
わたしも歳末は忙がしいので、冬至とうじの朝、門口かどぐちから歳暮の品を差し置いて来ただけで、年内は遂にこの話のつづきを聞くべき機会に恵まれなかった。
同じ場所へ射す時は、夏至げし冬至とうじの外は、一年に二度しかない。太陽が赤道へ近づくとき、赤道を離れる時、その往復に一度ずつ。ね、分り切ったことだ
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
と、冬至とうじ柚子湯ゆずゆの柚子を描いた紙っ片である、坊主になり切った柳の枝である、一文獅子の太鼓の音である。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
「何でこの風が味方に不吉なものか。思え。時はいま冬至とうじである。万物枯れていんきわまり、一よう生じて来復らいふくの時ではないか。この時、東南の風きそう。何の怪しむことがあろうぞ」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
月の半輪があかつきの空に、傾く頃が冬至とうじであり、またおそらくは西洋のクリスマスでもあった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
博士 (朗読す)——紅蓮ぐれんの井戸堀、焦熱しょうねつの、地獄のかまぬりよしなやと、急がぬ道をいつのまに、越ゆる我身の死出の山、死出の田長たおさの田がりよし、野辺のべより先を見渡せば、過ぎし冬至とうじの冬枯の
海神別荘 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その歳から冬至とうじから百五日目にあたる寒食かんしょくの日には、夫婦で秦氏の墓へいって掃除するのを欠かさなかった。女は翌年になって一人の子を生んだが、抱かれているうちから知らない人をおそれなかった。
嬰寧 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
書記典主てんず故園に遊ぶ冬至とうじかな
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
勘次かんじいよ/\やとはれてくとなつたとき收穫とりいれいそいだ。冬至とうじちかづくころにははいふまでもなくはたけいもでも大根だいこでもそれぞれ始末しまつしなくてはならぬ。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
旧暦十一月の四日は冬至とうじの翌日である。多事な一年も、どうやら滞りなく定例の恵比須講えびすこうを過ぎて、村では冬至を祝うまでにこぎつけた。そこへ地震だ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
去年の暮に、冬坡のおふくろが風邪をひいて、冬至とうじの日から廿六日頃まで一週間ほど寝込んだことがあります。そのときに染吉とお照とが見舞に来て……。
鴛鴦鏡 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
冬至とうじ冬至、とっとの目か」
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ばん年中ねんぢう臟腑ざうふ砂拂すなはらひだといふ冬至とうじ蒟蒻こんにやくみんなべた。おしな明日あすからでもきられるやうにおもつてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
表には師走しわすの町らしい人の足音が忙がしそうにきこえた。冬至とうじの獅子舞の囃子の音も遠くひびいた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それを見るともなしに眺めながら、わたしはまだ風呂のなかに浸っていた。表には師走しわすの町らしい人の足音が忙がしそうにきこえた。冬至とうじの獅子舞の囃子の音も遠く響いた。
ゆず湯 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
冬至とうじ柚湯ゆずゆ——これは今も絶えないが、そのころは物価がやすいので、風呂のなかには柚がたくさんに浮かんでいるばかりか、心安い人々には別に二つ三つぐらいの新しい柚の実をくれたくらいである。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)