駒形こまがた)” の例文
打てばひびく、たたけば応ずるというので、つづみの名を取ったほど、駒形こまがたでも顔の売れた遊び人。色の浅黒い、ちょいとした男。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
駒形こまがたまで回ってみやげに買ってまいりましたところ、いかほど呼んでも、ととさまのご返事がござりませなんだゆえ、捜すうちにこの庭先で
前の年の暮に露領の方へ行く中根の送別会が駒形こまがた鰻屋うなぎやであった折なぞは未だ嫂はピンピンしていた。岸本はそのことを兄の前に言出して見た。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
駒形こまがたの、何とか云う一中の師匠——紫蝶ですか——あの女と出来たのもあの頃ですぜ。」と小川の旦那も口を出した。
老年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
銀座ぎんざ駒形こまがた人形町通にんぎょうちょうどおりの柳のかげに夏のの露店にぎわう有様は、煽風器せんぷうきなくとも天然の凉風自在に吹通ふきかよう星のしたなる一大勧工場かんこうばにひとしいではないか。
で、そこまでくと、途中は厩橋うまやばし蔵前くらまえでも、駒形こまがたでも下りないで、きっと雷門まで、一緒にくように信じられた。
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
岩手県では一般にこれをシットギと謂い、風の神送りの日に作って藁苞わらづとに入れてそなえ、または山の神祭の際に、田のくろに立てる駒形こまがたの札に塗りつけた。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その人は、吾妻橋あずまばしを渡って並木の方から東雲師の店(当時は駒形こまがたに移っていた)を差してやって来たのでした。
駒形こまがたの並木倶楽部で派手にやろうと云う人もいたが、近いところで三の輪の新世界でやることにきまった。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
そのおよんちゃんの間借りしている煙草屋からの帰りみち、駒形こまがたの四つ辻まで来ると、ある薬屋の上に、大きな仁丹じんたんの看板の立っているのがのあたりに見えた。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
駒形こまがたのあたりまで走るうちに、その失敗の動かしがたさが、しだいにはっきりとわかってきた。佐平は金を持って家へゆくであろう、そして父がこの話を聞いたら。
雪と泥 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
浅草橋から駒形こまがたへ出、そして吾妻橋あづまばしのかたわらを過ぎて、とうとう彼等の愛の巣のある山の宿に入った。所はかわれども、荒涼たる焼野原の景は一向かわらずであった。
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
駒形こまがたの材木問屋で、当時江戸長者番付の前頭から二三枚目に据えられた布袋屋万三郎、馴染の芸妓奴げいしゃやっこと、町内の踊りの師匠お才をつれて、その晩駒形から涼み船を出しました。
枳園はしばしば保を山下やました雁鍋がんなべ駒形こまがた川桝かわますなどに連れて往って、酒をこうむって世をののしった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
私は、この女の為に、本所区東駒形こまがたに一室を借りてやった。大工さんの二階である。肉体的の関係は、そのとき迄いちども無かった。故郷から、長兄がその女の事でやって来た。
……いろいろお話いたしたいことがございますから、使つかいの者とごいっしょに、眼だたないようにそっとおでを願います……などと書いてあった。それは駒形こまがたの女から来たものであった。
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
うすく陰った空はひるから少しずつ剥げて来て、駒形こまがた堂の屋根も明るくなった。
半七捕物帳:05 お化け師匠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
駒形こまがたの、静かな町を、小刻みな足どりで、御蔵前おくらまえの方へといそぐ、女形おやま風俗の美しい青年わかもの——鬘下地かつらしたじに、紫の野郎帽子やろうぼうしえり袖口そでぐちに、赤いものをのぞかせて、きつい黒地のすそに、雪持ゆきもち寒牡丹かんぼたん
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
駒形こまがたのどじょう屋の近く、ホウリネス教会の隣りの隣り、ちもとと云う店。まず家の前を二三度行ったり来たりして様子をうかがってみる。昨夜の塩の山が崩れてみじん。薄陽の射した板塀。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
勢多郡の駒形こまがたという処だ。前橋から二里ばかりの処さ。
一本刀土俵入 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
駒形こまがたのどぜうやであります。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
云ならば二三年以前に出て何所いづこ住居すまひいたせしぞと尋問たづねられしかば庄兵衞は何處迄も云張いひはる了見れうけんにてハイ國者の所にりしと云にその所は何所にて名は何と云やと尋問たづねられしに淺草へんなりしが其の淺草は駒形こまがたにて名は兵右衞門と申すとかシテ其の兵右衞門は只だいま以つて其の所ろに住居いたすやと問つめられしに庄兵衞ヘイ其者そのもの當時は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
軒堤燈のきぢょうちんがすうっとならんで、つくり桜花ばなや風鈴、さっき出た花車だしはもう駒形こまがたあたりを押していよう。木履ぽっくりの音、物売りの声、たいした人出だ。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
種夫に着物を着更えさせて、電車で駒形こまがたへ行った時は、橋本とした軒燈ガスが石垣の上に光り始めていた。三吉は子供を抱きかかえて、勾配こうばいの急な石段を上った。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
学校の事もなにも忘れて、駒形こまがたから蔵前くらまへ蔵前くらまへから浅草橋あさくさばし………れから葭町よしちやうの方へとどん/\歩いた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
自分は浅草駒形こまがたの「大平」に住込んでいるが、とあって終りに、おさんのことが書いてあったのだ。
おさん (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
或る時も三枝未亡人が駒形こまがたの師匠の宅へ見えられ、娘のことについて師匠に相談をされている。
駒形こまがたに屋敷を持っている、旗本大村兵庫。
三々五々人の往来する蔵前の通りを、はるか駒形こまがたから雷門かみなりもんをさしていそぐ栄三郎の姿が、豆のようにぽっちりと見える。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
駒形こまがたから川について厩橋うまやばしの横を通り、あれから狭い裏町を折れ曲って、更に蔵前の通りへ出、長い並木路を三吉叔父の家まで、正太は非常に静かに歩いた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
五人はぐずぐずとそこをはなれ、なにかあくたいをつきながら、駒形こまがたのほうへ逃げていった。
落葉の隣り (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
何処どこの店も、大小料理店いずれも繁昌はんじょうで、夜透よどおしであった。前にいい落したが、その頃小料理屋で、駒形こまがた初富士はつふじとか、茶漬屋であけぼのなどいった店があってこんな時に客を呼んでいた。
「おれは駒形こまがたの者だ、おふくろが神田にいるんでゆくところだが、焼けているのはおうまやの渡しからこっちで、あれから向うは、煙も立っちゃあいない、逃げるんならあっちだ」
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
同じ河の傍でも、三吉や直樹の住むあたりから見ると、正太の家は厩橋うまやばし寄の方であった。その位置は駒形こまがたの町に添うて、小高い石垣の上にある。前には埋立地らしい往来がある。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
浅草あさくさ駒形こまがた兄哥あにい、つづみの与吉とともに、彼の仲間の大姐御おおあねご、尺取り横町の櫛巻くしまきふじの意気な住居に、こけ猿、くだらないがらくたのように、ごろんところがっているんです。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
現今の浅草橋(浅草御門ごもんといった)に向って南に取って行くと、最初が並木(並木裏町が材木町)それから駒形こまがた、諏訪町、黒船町くろふねちょう、それに接近して三好町みよしちょうという順序、これをさらに南へ越すと
猪之は手を振りながらさえぎった。たしかに自分はそう思った、ところがこのあいだ、お松に暇が出たので、さそい合わせて浅草寺へ参詣にゆき、その帰りに駒形こまがた鰻屋うなぎやで飯をべた。
「はい。駒形こまがたのほうでございましょう。何でも、小間物のほうでは老舗しにせだとか——」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そうか、おせい様はな、駒形こまがた猿屋町さるやちょう陸尺ろくしゃく屋敷のとなりにあった、雑賀屋さいがやと申した小間物問屋の後家なのだ。いまは、 下谷同朋町したやどうぼうちょうの拝領町屋まちやに、女だけの住まいをかまえておる。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「へっへっへっへっ」すみ頓狂とんきょうに笑い出したのは、駒形こまがたの遊び人与吉だ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)