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諸矦
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しよこう
此を
以て
(四四)三
世、
名を
諸矦に
顯はせり。
越石父、
賢にして
(四五)縲紲の
中に
在り。
晏子出でて
之に
塗に
遭ふ、
(四六)左驂を
解いて
之を
贖ひ、
載せ
歸る。
是に
於て
闔廬、
孫子の
能く
兵を
用ふるを
知り、
卒に
以て
將と
爲す。
西は
彊楚を
破つて
(一三)郢に
入り、
北は
齊・
晉を
威し、
名を
諸矦に
顯はす。
孫子與つて
力有り。
而して
諸矦、
齊に
朝す。
齊の
威王、
大夫をして
古者の
司馬の
兵法を
(三五)追論せしめ、
而して
穰苴((ノ兵法))を
其中に
附け、
因つて
號して
司馬穰苴の
兵法と
曰ふ。
齊の
桓公以て
霸たり。
諸矦を
(六)九合し、
天下を
(七)一
匡する、
管仲の
謀也。
管仲曰く
管仲の
富、
公室に
(三二)擬し、
(三三)三
歸反坫あり。
(三四)齊人以て
侈ると
爲さず。
管仲卒す。
(三五)齊國其政に
遵つて、
常に
諸矦に
彊かりき。
後百
餘年にして
晏子あり。
起、
妻を
殺して
以て
將たらんを
求む。
夫れ
魯は
小國にして
戰勝の
名有らば、
則ち
(六八)諸矦、
魯を
圖らん。
且つ
魯・
衞は
兄弟の
國也、
而るに
君、
起を
用ひば、
則ち
是れ
衞を
棄つるなり
要は
兵を
彊くし
(一〇六)馳説の
(一〇七)從横を
言ふ
者を
破るに
在るなり。
是に
於て
南は百
越を
平らげ、
北は
陳蔡を
并せ
(一〇八)三
晉を
却け、
西は
秦を
伐つ。
諸矦、
楚の
彊きを
患ふ。
昭矦用て
相と
爲し、
内、
政教を
修め、
外、
諸矦に
應ずること十五
年、
申子の
身を
終るまで、
國治まり
兵彊く、
韓を
侵す
者無かりき。
申子の
學は、
(四二)黄老に
本づき、
(四三)刑名を
主とせり。
韓非は
韓の
諸公子也。
今、
王、
諸矦を
并せんと
欲す。