“歸宅(きたく)” の例文
新字:帰宅
余(よ)は、毎電(まいでん)、東京毎日(とうきやうまいにち)、やまと、日本(にほん)の記者(きしや)と共(とも)に、山越(やまごし)をして、駒岡貝塚(こまをかかひづか)、末吉貝塚(すゑよしかひづか)の遺跡(ゐせき)を過(す)ぎ、鶴見(つるみ)に出(で)て歸宅(きたく)した。
申立なば定めし其和尚(をしやう)をも呼出(よびいだ)し九助が寺へ參りし刻限(こくげん)歸宅(きたく)の時刻(じこく)等も取糺(たゞし)ありしならんと申さるゝに藤八然(され)ば其儀を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
三日(みつか)の間(あひだ)城内(じやうない)へ詰(つ)め切(き)りでございまして、漸(やうや)う歸宅(きたく)いたしますと町方(まちかた)の病家(びやうか)から、見舞(みまひ)の催促(さいそく)が矢(や)を射(い)るやうで、其處(そこ)をどうにか切(き)り拔(ぬ)けてまゐりました。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
處(ところ)へ……せり上(あが)つておいでなすつた先生(せんせい)は、舞臺(ぶたい)にしても見(み)せたかつた。すつきり男(をとこ)ぶりのいゝ處(ところ)へ、よそゆきから歸宅(きたく)のまゝの、りうとした着(き)つけである。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
宗助(そうすけ)は斯(か)ういふ風(ふう)に、何(なん)ぞ事故(じこ)が出來(でき)て、役所(やくしよ)の退出(ひけ)からすぐ外(ほか)へ回(まは)つて遲(おそ)くなる場合(ばあひ)には、何時(いつ)でも其(その)顛末(てんまつ)の大略(たいりやく)を、歸宅(きたく)早々(さう/\)御米(およね)に話(はな)すのを例(れい)にしてゐた。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
手(て)にとりつ淺(あさ)からぬお心(こゝろ)辱(かたじ)けなしとて三郎(らう)喜(よろ)こびしと傳(つ)たへ給(たま)へ外(ほか)ならぬ人(ひと)の取次(とりつぎ)こと更(さら)に嬉(うれ)しければ此文(このふみ)は賜(たま)はりて歸宅(きたく)すべしとて懷中(ふところ)に押(おし)いれつゝ又(また)こそと坐(ざ)を
五月雨 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
吉兵衞に渡(わた)されたり吉兵衞は悠々(いう/\)と金子を改め一禮(れい)述(のべ)て懷中(くわいちう)し歸宅(きたく)の上主人利兵衞へは四十七兩二歩を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それから十町(ちやう)と隔(へだ)たつて居(を)らぬ加瀬(かせ)の貝塚(かひづか)に廻(まは)つて、小發掘(せうはつくつ)を試(こゝろ)み、相變(あひかは)らず失敗(しつぱい)して歸宅(きたく)した。
取次(とりつ)ぐ母(はゝ)が詞(ことば)も待(ま)たず儀右衞門(ぎゑもん)冷笑(あざわら)つて聞(き)かんともせずさりとは口賢(くちがしこ)くさま/″\の事(こと)がいへたものかな父親(てゝおや)に薫陶(しこま)れては其筈(そのはず)の事(こと)ながらもう其手(そのて)に乘(の)りはせぬぞよ餘計(よけい)な口(くち)に風引(かぜひ)かさんより早(はや)く歸宅(きたく)くさるゝが宜(よ)さゝうなもの誠(まこと)と思(おも)ひて聞(き)くものは
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
上(あげ)私し儀日頃より右平兵衞とは兄弟同樣に仕つる者に候へば然樣(さやう)の儀は毛頭(もうとう)覺(おぼ)え御座なく殊(こと)に其節は私し事他出(たしゆつ)いたし八九日外に逗留(とうりう)仕つり居(をり)歸宅(きたく)致せし機(をり)其事柄を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)