ぎょう)” の例文
というが、人格を示すものに独り文のみならんやで、政治も人なり、実業も人なり、学問も人なり、人をいては事もなくぎょうもない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
不沙汰ぶさた見舞に来ていたろう。このばばあは、よそへ嫁附かたづいて今は産んだせがれにかかっているはず。忰というのも、煙管きせるかんざし、同じ事をぎょうとする。
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一百姓となっても、大日本史のぎょうがまだあの通り若いではないか。年の数で、若いとか老人とか区別するのはちがっておる。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
医師の免状も取って、ぎょうも開き、年頃の娘を持つくらいの年になってから、重症にかかって、ながらく病床に呻吟しんぎんした。
取り交ぜて (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
思うにこれは決して困難なるぎょうでない。このごとくほとんど毎晩お目にかかっているのだから、中倉君の眼底には、歴然と映刻せられておるだろうと思う。
号外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
雪江さんの引き込んだあとは、双方無言のまま、しばらくの間は辛防しんぼうしていたが、これではぎょうをするようなものだと気がついた主人はようやく口を開いた。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
早朝に氏神うじがみさまにおまいりして、しばらくすわっているくらいがその日の勤めであって、なにも積極的に働く用はなかったらしいのだが、それでもなお、この日ぎょうを休まずに
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
安政二年に長崎におい和蘭オランダ人から伝習したのがそもそも事の始まりで、そのぎょうなって外国に船を乗出のりだそうと云うことを決したのは安政六年の冬、すなわち目に蒸気船を見てから足掛あしかけ七年目
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
故のペンが無言のぎょうをさせられた口惜しまぎれに折を見て元利共取返そうという勢でくるからたまらない。一週間無理に断食をした先生が八日目に御櫃おひつを抱えて奮戦するのママがある。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
我身ひとつのゆえりせばいかゞいやしきおりたちたるぎょうをもして、やしなひ参らせばやとおもへど、母君はいといたく名をこのみ給ふたちにおはしませば、賤業をいとなめば我死すともよし
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
彼処かしこに到り此処ここい、ぎょうにありかんと欲する時、我貧なるが故に彼より要求さるる条件多くして我の受くべき報酬はすくなく、我は売人うりてにして彼は買人かいてなれば直段ねだんを定むるは全く彼にあり
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
衛生とは人のいのちぶるがくなり、人の命ながければ、人口じんこうえてしょくらず、社会しゃかいのためにはあるべくもあらず。かつ衛生のぎょうさかんになれば、病人びょうにんあらずなるべきに、のこれをとなうるはあやまてり云々。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
要するに、われらお互いの者と同じように、織田家そのもののぎょうもまだ若いのだ。考えても見られい。つい桶狭間おけはざまの一戦あって以来の織田家だ。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
実業家がそのぎょうにつくに、個人の利益をむねとして差支さしつかえないと断言するについても、読者の曲解きょっかいなきことをせつに望む。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
そのころ渡船おろしぎょうとなすもの多きうちにも、源が名は浦々うらうらにまで聞こえし。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
山には木樵唄きこりうた、水には船唄ふなうた駅路うまやじには馬子まごの唄、渠等かれらはこれをもって心をなぐさめ、ろうを休め、おのが身を忘れて屈託くったくなくそのぎょうに服するので、あたかも時計が動くごとにセコンドが鳴るようなものであろう。
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
聡明そうめいなるそなたにこれ以上いじょう多言たごんようすまいと思う。せつに、そなたの反省はんせいをたのむ。そしてそなたが祖父そふ機山きざんより以上いじょう武士もののふぎょうをとげんことをいのる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おのれはろくな教育を受けなかったといったからとて、自分が一人前に足らぬぎょうをすれば世間は斟酌しんしゃくせぬ。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「日ごと、そちと共に、大坂城のおふすまを描きには通うておるが……。権門けんもんの壁に生涯のぎょうをそそぐのは、時にふと、味気あじけない気がしないでもないのう」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
根は百姓、御府外ごふがい多摩郡たまごおり阿佐あさヶ谷村の産でして、ぎょうとするところは練馬大根の耕作にありますが、いわゆる武蔵野名物は草神楽くさかぐら、阿佐ヶ谷囃子ばやしのおはやしの一人でして、柄にもなく笛が上手。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大衆のなかに机をおき、大衆の精神生活と共にあろうとする文学のぎょうは、孤高ここうの窓でらんを愛するようなわけにゆかないのがほんとだろう。ほんとに権化ごんげしたらもっとこわい宿命の文学かも知れないのだ。
宮本武蔵:01 序、はしがき (新字新仮名) / 吉川英治(著)