慄然りつぜん)” の例文
眼が見えなくなったのではないと決まったら、はじめて慄然りつぜんとした。すっかりこの建物が倒壊して生き埋めになったにちがいない。
長崎の鐘 (新字新仮名) / 永井隆(著)
それを除去してみて、検屍の医師はじめ警官一同は慄然りつぜんとしたのである。陰部から下腹部へかけて柘榴ざくろのように切り開かれている。
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
なにより怖れたことは真実のわかる時である、菊千代の気性でもし自分が女だと知ったら……それは想像するだけでいつも慄然りつぜんとした。
菊千代抄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
大隅学士は、カーテンの蔭に慄然りつぜんと身震いした。あの洋杖は太すぎると思ったが、やはりこのように恐ろしい仕掛けがあったのである。
地球盗難 (新字新仮名) / 海野十三(著)
旅人が慄然りつぜんとして頭をあげると、姿はもはや見えないが頭上のくさむらをわけ灌木かんぼくの中をくぐって逃げて行く者の気配がはっきり分った。
禅僧 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
ラスコーリニコフは慄然りつぜんとして、枘の中でおどり回る栓のかぎを見つめながら、今にも栓がはずれるかと、鈍い恐怖をいだいて待っていた。
ああこの世には、いかに多くの猛獣がいることか、いかに多くのわしが、ああいかに多くの鷲がいることか! 僕は慄然りつぜんたらざるを得ない。
又八道心は慄然りつぜんとした。新しく建った江戸町奉行所の牢獄と役宅である。沢庵はそのどっちか分らないが一つの門の中へはいって行った。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は、なにかしら慄然りつぜんとしたように息を詰め、聴耳ききみみを立てはじめたのであるが、やがて法水に、幽かなふるえを帯びた声でささやいた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そして、それに不気味な笑いが伴うのであった。私は思わず背後うしろの花子を振返ると、恐怖の号びをたてて慄然りつぜんとしてしまった。
バルザックの寝巻姿 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
折しも向かいの船に声こそあれ、白由党員の一人いちにん甲板かんぱんの上に立ち上りて演説をなせるなり。殺気凜烈りんれつ人をして慄然りつぜんたらしむ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
が、もし、この目の光りが語る真の意味を、読み取るものがあったとすれば、慄然りつぜんとして、肌えに粟を生ぜずにはいられなかったであろう。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
そして恐怖の念に慄然りつぜんとした。最後に会った時フリッツと握手したことを、そして今日も彼の家の前を通ったことを、思い出したからである。
せたげても頓着とんじゃくせず、何とか絶えず独言ひとりごちつつ鉄葉ブリキ洋燈ランプ火屋ほや無しの裸火、赤黒き光を放つと同時に開眸かいぼう一見、三吉慄然りつぜんとして「娑婆しゃばじゃねえ。」
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
などと機嫌きげんのいい時には、手さぐりで下の男の子と遊んでいる様を見て、もし、こんな状態のままで来襲があったら、と思うと、また慄然りつぜんとした。
薄明 (新字新仮名) / 太宰治(著)
しかも、その前へ三方にうちのせて、供物のごとくにささげ供えられてあるものは、見るだに慄然りつぜんとぶきみにとぐろを巻いた一匹の白へびでした。
種彦は慄然りつぜんとしてわが影にさえ恐れを抱く野犬のいぬのように耳をそばだてたが、すると物音はそれなり聞えず二階の夜は以前の通り柔かな円行燈の光ばかり。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
こう思って、何も知らずに、無心に遊びつゝある子供等の顔を見る時、覚えず慄然りつぜんたらざるを得ないのであります。
のみならず、その疑いをまた弁解しようとしている。彼は必竟ひっきょう正気なのだろうか、狂人なのだろうか、——僕は書物を手にしたまま慄然りつぜんとして恐れた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
宮は慄然りつぜんとして振仰ぎしが、荒尾の鋭きまなじりは貫一がうらみうつりたりやと、その見る前に身の措所無おきどころな打竦うちすくみたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ただ、あれから二三日目にちょっとした夕立があった時、彼女はざあざあと云う雨の音を聞くと慄然りつぜんとした。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
二つのもののにぶつかったように、広太郎は慄然りつぜんと身ぶるいしたが、はたして大事件が持ち上がった。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
また幻聴が起ったのかと、慄然りつぜんとして耳を澄ますと、つい障子の外の廊下の辺で、シクシクと人の泣いている声がする。さもさも悲しげに、いつまでも泣きつづけている。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
恐怖にうちのめされ、慄然りつぜんたる悪寒おかんに身体を震わせながら、それからの四、五日間を、私は、自分の前に現われた自分の姿のことばかし考えながら、過ごしたのでございました。
両面競牡丹 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
『この下に鞭の痕がにじんでゐるのぢやないだらうか?』少年は、ふと考へて慄然りつぜんとする。
地獄 (新字旧仮名) / 神西清(著)
これはどうしたこと、また自分には物思いが一つふえることになったのかと慄然りつぜんとした。
源氏物語:28 野分 (新字新仮名) / 紫式部(著)
奇怪な神秘の顕現けんげん慄然りつぜんとしながら、今、彼の魂は、北国の冬の湖の氷のように極度に澄明ちょうめいに、極度に張りつめている。それはなおも、埋没まいぼつした前世の記憶の底を凝視ぎょうしし続ける。
木乃伊 (新字新仮名) / 中島敦(著)
このご説法のころは、われらの心も未だ仲々善心もあったぢゃ、小禽せうきんの家に至るとお説きなされば、はや聴法の者、みな慄然りつぜんとして座に耐へなかったぢゃ。今は仲々さうでない。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
そうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざまざ省みて、慄然りつぜんとした。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
私はそんな風に酔った桂子が、深夜おそく、新宿のマーケット街を放浪する光景を想像すると慄然りつぜんとなる。酔うとバカに気が強くなり、警官でも与太者でも見境なく食ってかかる彼女。
野狐 (新字新仮名) / 田中英光(著)
幸いに事なく過ぎて私はかえりみた、そして帰途再びこの冒険を敢てしなければならぬと思うて、慄然りつぜんとして恐れたのである。ゆくこと四、五丁、山角を廻ると、太く大なる山毛欅の木がある。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
あんなに恐ろしい毒草が、案外の身近にあるかと思うと、慄然りつぜんとする。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
と圭一郎は、慄然りつぜんと身顫ひして兩手で机を押さへて立ち上つた。
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
他人ひとごとならぬ慄然りつぜんたる思いを味わわれるに違いあるまい。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
森鬱しんうつとして、巨人のごとき大きな山が現前したとき、吾人は慄然りつぜんとして恐愕の念に打たれ、その底にはああ大なる力あるものよとの弱々しい声がある。しかしその声に応じてすがりつくものが欲しいではありませぬか」
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
その人は慄然りつぜんとして、先生の前に懴悔ざんげした。
僕は覚えず慄然りつぜんとした。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
思わず慄然りつぜんふるえた。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
けさがけに斬り放された浪人が、根株ばかりの泥田へ、横ざまに顛落てんらくするのを見ながら、道の上にひしめいていた人々は慄然りつぜんと色を喪った。
松風の門 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
テナルディエは慄然りつぜんとした。しばらくすると、脱走が発見された後に起こる狼狽ろうばいし混雑した騒ぎが監獄のうちに起こってきた。
一同は慄然りつぜんとしてその場に立ちすくみ、この不気味な鋼鉄の怪物をこわごわ見やった。人造人間は、ピクリとも動かなかった。
人造人間事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼は机にってうとうとと居眠っているところを、王妃おうひの呉氏に呼び起され、今ふと見た夢に、慄然りつぜんとあたりを見まわした。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、以前のへやに戻ってその一冊を開くと、法水は慄然りつぜんとしたように身をすくめた。けれども、その眼には、まざまざと驚嘆の色が現われた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
大学教授といっても何もえらいわけではないけれども、こういうのが大学で文学を教えている犯罪の悪質に慄然りつぜんとした。
如是我聞 (新字新仮名) / 太宰治(著)
彼は、従容しょうようとして席に復した。が、あまたたび額の汗をぬぐった。汗は氷のごとく冷たかろう、と私は思わず慄然りつぜんとした。
革鞄の怪 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
然るに復之を植えざるは何ぞや。虫を除くの労多きを知るが故なり。ただに労多きのみにあらず害虫の形状覚えず人をして慄然りつぜんたらしむるものあるが故なり。
偏奇館漫録 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
空費してる時間、投げ出してる仕事、駄目だめになってる未来、そういうことをこの虚無の間にふと思い起こすと、恐ろしくて慄然りつぜんとした。しかし少しも反抗しなかった。
妾も覚えず慄然りつぜんたりしが、さりながら、と鋭敏の性なりければ、く獄則を遵守じゅんしゅして勤勉おこたらざりし功により、数等を減刑せられ、無事出獄して、大いに悔悟かいごする処あり
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
その黒い怪物が、かよわい、二十歳の娘なのかと考えると、現実家の北森氏も三島刑事も、地底の冷たい風が運んでくる一種異様の鬼気に、慄然りつぜんとしないではいられなかった。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
このご説法のころは、われらの心もいまだ仲々善心もあったじゃ、小禽の家に至るとお説きなされば、はや聴法ちょうほうの者、みな慄然りつぜんとして座にえなかったじゃ。今は仲々そうでない。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)