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全盛
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ぜんせい
小夜衣と改めしか是も
突出し其日より評判
最とも
宜りければ日夜の客
絶間なく
全盛一方ならざりけり茲に神田三河町に
質兩替渡世を
小栗上野介が
全盛の当時、常に政府に
近づきたるは仏国公使レオン・ロセツにして、小栗及び
栗本鋤雲等とも
親しく
交際し政府のために種々の
策を建てたる中にも
王さまは、これまでのごとく
幸福ではありませんでした。そして、
花を
見、
月を
見るにつけて、なんによらず、
全盛の
短い、はかない
運命を
悲しまれたのであります。
おれァ、一
度、
半蔵松葉の
粧おいという
花魁を、
小梅の
寮まで
乗せたことがあったっけが、
入山形に一つ
星の、
全盛の
太夫を
乗せた
時だって、こんないい
気持はしなかったぜ
さあ
到る
処都の
花の評判で、
然しも
全盛を
極めたりし
我楽多文庫も
俄に
月夜の
提灯と
成つた、けれども火は
消えずに、十三、十四、十五、(
翌二十二年の二月
出版)と
持支へたが
廻れば
大門の
見返り
柳いと
長けれど、お
齒ぐろ
溝に
燈火うつる三
階の
騷ぎも
手に
取る
如く、
明けくれなしの
車の
行來にはかり
知られぬ
全盛をうらなひて、
大音寺前と
名は
佛くさけれど
巡らし
段々聞ば丁山小夜衣の兩人共に
追々全盛に成て
朝夕に通ひ來る客も
絶間なく吉原にても今は一二と呼るゝとの
噂さを
二
代目瀬川菊之丞が
全盛を
極めていることとて、その
影は
決して
濃いものではなかった。
夫れよと
即坐に
鋏を
借りて
女子づれは
切拔きにかゝる、
男は三五
郎を
中に
仁和賀のさらひ、
北廓全盛見わたせば、
軒は
提燈電氣燈、いつも
賑ふ五
丁町、と
諸聲をかしくはやし
立つるに
進みて私し江戸に在りし時は
全盛の
土地柄故主人の
光りにて百五十兩の金子に有り附き古郷へ歸り
舊の
田畑を
受戻し家を
姉なる
人が
全盛の
餘波、
延いては
遣手新造が
姉への
世辭にも、
美いちやん
人形をお
買ひなされ、これはほんの
手鞠代と、
呉れるに
恩を
着せねば
貰ふ
身の
有がたくも
覺えず、まくはまくは