他処よそ)” の例文
旧字:他處
雲雀ひばりが方々の空で鳴いている。多くはこれも自分の畠を持っていて、他処よそへ出て行かぬ時ばかり、最も自由にさえずり得るものらしい。
友と最後の親しい時を過ごすさいに、心を他処よそにしてたことを見て、みずから悲しくなった。しかしクリストフは彼の手を握りしめた。
かぢ「おう/\大層黒血が流れる、私のうちはツイ一軒いて隣だが、すぐに癒る粉薬こぐすり他処よそから貰って来てあるから宅へおいで」
何だか自分と関係もない他処よその女を見ているような気がした。お前は誰だときいてみたいようにも思った。そしてこう云った。
恩人 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
「……そんなことがございますかしら、他処よそのむすめを欲しいからといって、親をも通さずじかに気持を訊くなどということが」
彩虹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
一体、のらくら者と云うものは、家の者からこそ嫌がられますけれども、他処よその人々は、誰にでも大抵気に入られると云う得を持っています。
このまむしのタレや鮒の刺身のすみそだけは他処よその店では真似が出来ぬなどと、板場らしい物の云い振りをしたかったのだ。
放浪 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
東京の町に降る雪には、日本の中でも他処よそに見られぬ固有のものがあった。されば言うまでもなく、巴里パリー倫敦ロンドンの町に降る雪とは全くちがった趣があった。
雪の日 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そこにはカフェーの女給が情夫と一しよに住んでゐるのだが、男はしよつちゆう家をあけて他処よそに寝泊りしてゐる。それは他に女をこしらへるからである。
日本三文オペラ (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
「お前はいつでも今のように母様に尽さなければなりません。そしてパパが居ない時には、だれでも他処よその人に、母様がいじめられないようにするんですよ」
少年・春 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
此地には長寿ちょうじゅの人他処よそに比べて多く、女も此地生れなるは品よくして色うるわしく、心ざま言葉つきも優しき方なるが多きよし、気候水土の美なればなるべし。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
店という店他処よそから来た「くだもの」ばかりで、土地の人は地のものを愛さない。当然とも想えるが、時代が過ぎれば取り返しのつかぬ感じをめるであろう。
現在の日本民窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
己れがもう少し大人に成ると質屋を出さして、昔しの通りでなくとも田中屋の看板をかけると楽しみにしてゐるよ、他処よその人は祖母さんをけちだと言ふけれど
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「とまあ、見せかけてゐるだけですよ。主人は他処よそ行きと不断とを、はつきりさせるんですよ。日本人に向つては日本式でやれ、これがプリンシプルなんです」
落葉日記 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
人々の騒ぎを他処よそにして、床の間の大きな花瓶に活けてあった桜の花が、一ひら二ひら静かに下に散った。
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
このとんぼはその当時でも他処よそではあまり見たことがなく、その後他国ではどこでも見なかった種類のものである。この濠はあまり人の行かないところであった。
郷土的味覚 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
見なれている幽谷ゆうこくのしらべをつくる松柏しょうはくたぐいは、少しも経之に常日頃つねひごろのしたしい風景にならずに、どこか、素っ気ない他処よその庭を見るようなはなれた気持であった。
野に臥す者 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
例の登山家は一寸他処よそ行きの顔をして、実は、先刻おはなし申しました通り、友達が腹痛で苦しんで居りますので、是非どうぞ御診察をって掛け合いだ、懐中には
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
老婆はその花束を裏の縁側へ置いて、やっとこしょと上へ昇り、他処よそ往きの布子ぬのこに着更え、幅を狭くけた黒繻子の帯を結びながら出て来たところで、人の跫音がした。
地獄の使 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
此の世に自分と息子とだけいればいいと思っているような排他的な母のもとで、妻まで他処よそいやって、二人して大切そうに守って来た一家の平和なんぞというものは
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
千世子はよく他処よその親の話が出たりすると母親に話したり肇になんかも一寸云った事もあった。
千世子(二) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
他処よそから来ている工女達は多くその中に混って踊った。頬冠りした若者は又、幾人いくたりかお春の左右を通り過ぎた。彼女は言うに言われぬ恐怖おそれを感じた。丁度そこに若旦那も来ていた。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼の顔は、初めの挨拶の時は極めて他処よそ行きであったが、進んで、ツシタラが彼等の獄中での唯一の友であったことを語る段になると、急に、燃える様な純粋な感情をあらわしたかに思われた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
しかし、軍曹殿が、鉱山やま餓鬼がきどもを気にするのは変ですよ。奴等やつらはああいう風に生れついてるんでさ、放してやったって、又、他処よそで同じようなことをしなきゃア、結局食えないんですからね。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
この国家興亡の大戦を他処よそに見て、もはや海軍軍人としてもまた一国民としても、何ら祖国に尽すことのできぬ私は、せめてその方法によってなりと、故国の学会へ寄与することができたならば
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
アーホーはこの地方の牧童が馬を集める喚び声であって、他では必ずしもそうは言わぬから、他処よそではもうその話は通用せぬわけである。
彼らが死んだら、それを他処よそへ送ってていねいに腐敗させ、決してまたもどってこないように、その上に石を置いとくことだ。
このまむしのタレや鮒の刺身のすみそだけは他処よその店では真似が出来ぬなど板場らしい物の言い振りをしたかったのだ。
放浪 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
または過去の自分の態度が間違っていたのであろうか、それならば悩んだ富子の魂を他処よそに見るべきであったろうか。或は富子の求むる所が誤っていたのであろうか。
囚われ (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
それはそうだろう、しかし証拠となるとそんなことでは役に立たんよ。どこか他処よその船がおまえのを
お繁 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
繼「嬉しい事ね、あの他処よその子とちがって私はちいさい時からお父様とばかり一緒に寝ましたわ、おっかさんと一緒に寝られるなら何時いつまでもお父様は帰らないでもいの」
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
一日お目にかからねば恋しいほどなれど、奥様にと言ふて下されたらどうでござんしよか、持たれるは嫌なり他処よそながらは慕はしし、一ト口に言はれたら浮気者でござんせう
にごりえ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「わかつてるわよ。どうせ他処よそへ出た娘のことまで心配してたらきりがないからね」
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
その若い男女は、さっき目白署において、博士の姪の秋元千草と博士の助手たる仙波学士と名乗った二人であったが、この二人はこのさわぎを他処よそに自動車を下りもせず、ぽかんとしていた。
鞄らしくない鞄 (新字新仮名) / 海野十三(著)
義隆よしたか千鶴ちづるがチブスになって、入院したものですから、倉知の奥さんに頼んで地所を抵当にして、金を借りてもらったのですが、奥さんは他処よそから借りてやるから、ちょっとした証書を作って
白っぽい洋服 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
私は是非とも、あらたに二度目の飼犬を置くように主張したが、父は犬を置くと、さかりの時分、他処よその犬までが来て生垣いけがきを破り、庭をあらすからとて、其れなり、家中うちじゅうには犬一匹も置かぬ事となった。
(新字新仮名) / 永井荷風(著)
黒人式にむくれ返った唇の周囲をチョビひげが囲んでいて、おまけに、染めた頭髪は(禿はげ何処どこにもないのだが)所によってその生え方に濃淡があり、一株ずつ他処よそから移植したような工合であって
狼疾記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
子供たちは心を他処よそにしてそれに応じ、彼の方へ眼をもあげなかった——アントアネットは仕事に気を取られ、オリヴィエは読書に気を取られていた。
ひると晩とは、自炊をするか他処よそで食べるかしなければならないし、そういう不便を忍んでまで、あの狭い四畳半に落付くというのは、特別な事情のある者ででもなければ
変な男 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
千蔵は眼をつむり他処よそ事を考えていた、子之八の姿を見ず声を聞かぬために懸命の努力をした。
評釈勘忍記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ここと他処よそとではどういうふうにちがうかということに、気がつかずにいるのがふつうである。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
馬鹿をお言ひで無い人のお初穂を着ると出世が出来ないと言ふでは無いか、今つから延びる事が出来なくては仕方が無い、そんな事を他処よそうちでもしては不用いけないよと気を付けるに
わかれ道 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
わし此処こゝにいるお繼の実の伯父で百姓文吉と申します、私は今日他処よそへ行って先刻さっきうちへ帰ると、敵討に行ったと云いますから、家の男を連れて駈けてめえりましたが様子が知んない
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
わたくしは江戸時代から幾年となく、多くの人々の歩み馴れた田舎道の新しく改修せられる有様を見たくなかったのみならず、古い寺までが、事によると他処よそに移されはしまいかと思ったからである。
放水路 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それらの悪口は、晩に食卓へ皆集った時、一家の者の喜びとなった。クリストフは心を他処よそにして聞いていた。
後者はこれに比べると起こりは新しいのだが、今まで親しみの無かった他処よその人たちと、まず共同の飲食にって心身の連鎖を附ける趣意で、必要はかえってこの方が大きかった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その御隠居さま寸白すばくのお起りなされてお苦しみの有しに、夜をとほしてお腰をもみたれば、前垂でも買へとて下された、それや、これや、おうちかたけれど他処よそよりのお方が贔負ひいきになされて
大つごもり (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
此間こねえだ他処よそから法事の饅頭が来た時、お店へも出ると彼奴は酒呑だからあめえ物は嫌えだろう、それだのにさ、清助われがに饅頭をくれてやる、田舎者だから此様こんな結構な物は食ったことは有るめえ
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
第一回は宝永七年、第二回は安永九年、第三回は嘉永三年、——三回とも恐ろしい鬼火が現われてほとんど一家全部を殺生谷へ引込んでしまった。わずか他処よそへ出ていた者がその難をまぬかれて家を継いだのだ。
殺生谷の鬼火 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
彼女は肱掛椅子ひじかけいすの腕木に片肱をつき、身体を少しかがめ、手先で頭をささえて、怜悧れいりなしかも心を他処よそにした微笑を浮かべながら、人々の話に耳を貸していた。