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ぞうにん
ふりがな文庫
“
雑人
(
ぞうにん
)” の例文
旧字:
雜人
しばらくすると、光秀は、手に一
挺
(
ちょう
)
の
鍬
(
くわ
)
と、それから
雑人
(
ぞうにん
)
の着る着物や
山袴
(
やまばかま
)
など、一抱えもかかえて、檜林の奥からもどって来た。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
喧嘩の片われは、
下様
(
しもざま
)
な
雑人
(
ぞうにん
)
だと見えて、言葉つきにどことなく自ら卑下したところがあった。他の一人がすぐ後を引取った。
艸木虫魚
(新字新仮名)
/
薄田泣菫
(著)
世の盛衰、時の転変、歎ずるに叶はぬ習とは知りながら、今の如くにして
公家
(
こうけ
)
一統の天下ならば、諸国の地頭御家人は皆奴婢
雑人
(
ぞうにん
)
の如くにてあるべし
四条畷の戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
雑人
(
ぞうにん
)
どもの
争擾
(
そうじょう
)
を防ぐために、衛府の侍は申すにおよばず、源平の武士もことごとく河原をいましめと言い渡された。その日は八月八日と定められた。
玉藻の前
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
たとえば大きな
櫃
(
ひつ
)
長持
(
ながもち
)
の
類
(
るい
)
、なかにはいった物をかたむけたり曲げたりしてはならぬ場合、ことに
清浄
(
せいじょう
)
をたもって
雑人
(
ぞうにん
)
の身に近づけたくない品物などは
母の手毬歌
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
▼ もっと見る
鉢巻ヲシテ、片肌ヌギデ座敷ヘ来ル故ニ、知ラヌ顔シテ居タラ、直ニオレガ向ウヘ立ッテジタバタシオルカラ、オレガイウニハ、大竹ハ気ガ違ウタソウダ、
雑人
(
ぞうにん
)
ノ喧嘩ヲミタヨウニ
大菩薩峠:40 山科の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
そこへ妙な蛇使いの男、物もらい、風車売り、風船屋、いろんな
雑人
(
ぞうにん
)
たちもがやがやと寄ってしまう。制止しても、手がつけられない。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
またもや
麓
(
ふもと
)
にでて飲酒の戒を破って大酔のまま帰山せしのみならず、山門において、例のごとく暴勇をふるい、番僧
雑人
(
ぞうにん
)
十数名を殺傷し
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかるに
雑人
(
ぞうにん
)
ばらの
讒言
(
ざんげん
)
を信じて、故意に、この孫堅に敗軍の憂き目を見せたことは、味方同士とはいえ、ゆるしておき難い。
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
箭四郎
(
やしろう
)
は、牛小屋の牛を世話したり、厨や湯殿の水汲みをする
雑人
(
ぞうにん
)
だったが、やはり心配になって、井口の
筧
(
かけひ
)
に、水桶を置きはなしたまま
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
転法輪寺の門前には、兵といわず、すべて半歳の籠城を共にしてきた
雑人
(
ぞうにん
)
から老幼男女まで群れ立って、どれも狂喜の顔をくずし合っていた。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それから供人の縫殿介なる若党の骨がらもよく、いわゆる
雑人
(
ぞうにん
)
ずれのした渡り奉公人とはちがって、
子飼
(
こがい
)
からの
躾
(
しつけ
)
がみえる。
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それに、もっとも、いやなことには、職掌がら、配下に「
放免
(
ほうめん
)
」だの「
走
(
はし
)
り
下部
(
しもべ
)
」などという、
札
(
ふだ
)
つきの
雑人
(
ぞうにん
)
を、手あしに使っていることだ。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、
馭者
(
ぎょしゃ
)
や人夫らはみな車をとび降りて車の下に
這
(
は
)
い込んでしまう。元々、
賃雇
(
ちんやと
)
いで連れて来たこれらの
雑人
(
ぞうにん
)
はぜひもない。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
従来も日野資朝や、一味の若公卿は、身を山伏にやつしたり、医師
雑人
(
ぞうにん
)
に姿を変えて、諸地方へ潜行をこころみてはいた。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
小机のまえに、
葛布
(
くずぬの
)
の
単衣
(
ひとえ
)
をはだけて、へそもあらわにすわりこみ、往来の旅人や、
界隈
(
かいわい
)
の
雑人
(
ぞうにん
)
たちをつかまえては
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
おまえたちは、名もない
雑人
(
ぞうにん
)
のくせにして、
呼
(
よ
)
びすてにしたり、
縄目
(
なわめ
)
にかけるというのはなんという情けしらず、けっして、ご
無礼
(
ぶれい
)
してはなりませぬぞ
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「——といって、従四位藤原
朝臣
(
あそん
)
と、痩せても枯れても、位階があれば、
雑人
(
ぞうにん
)
や、
凡下
(
ぼんげ
)
の娘を、妻にも持てず……」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
でもなお、ここにいる諸職諸芸の
雑人
(
ぞうにん
)
たちが、高時を慕う眼には変りもなかった。すがりつかんばかりですらある。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
で、
雑人
(
ぞうにん
)
たちが落ちついた一番最後に、竹屋三位卿と啓之助とは、四国屋の
提灯
(
ちょうちん
)
に
囲繞
(
いにょう
)
されて、送りこまれてきた。
鳴門秘帖:04 船路の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「お目どおりいたすものは、根来小角ともうすものです。
今日
(
こんにち
)
は
雑人
(
ぞうにん
)
どもが、
礼
(
れい
)
をわきまえぬ
無作法
(
ぶさほう
)
をいたしましたとやら、ひらにごかんべんをねがいまする」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
空地が半分以上も
占
(
し
)
めている六条の
延寿院
(
えんじゅいん
)
附近は、
千種町
(
ちぐさまち
)
というのが正しいのであるが、京の者は、源氏町と俗に
称
(
よ
)
んだり、また、平家方の
雑人
(
ぞうにん
)
たちになると
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼らはその場ですぐ
甲冑
(
かっちゅう
)
を脱ぎすて、師直が用意させておいた雑多な小袖や
雑人
(
ぞうにん
)
支度にそれぞれ着かえた。
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ここは島第一の港の西郷や
八尾
(
やび
)
川にも沿っていて、出船入船、あらゆる
雑人
(
ぞうにん
)
の耳目に近すぎる。のみならず、あきらかな宮方分子が、すでに配所とむすばれている形だ。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、往来に群れて指さすもあり、輦についてぞろぞろ指さしながら来る
雑人
(
ぞうにん
)
たちの跫音も聞える。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして
叡山
(
えいざん
)
の
根本中堂
(
こんぽんちゅうどう
)
あたりには、かつてこの峰々で焼き殺された無数の僧侶、
碩学
(
せきがく
)
、
稚児
(
ちご
)
、
雑人
(
ぞうにん
)
たちの
阿鼻叫喚
(
あびきょうかん
)
もたしかに聞え、或いは
哭
(
な
)
き、或いは笑い、或いは闘い
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
第一、地の理を見ても、吉良の邸に近いし、この
河岸筋
(
かしすじ
)
には小番所があり、人家も多い。一声
喚
(
わめ
)
けば、
雑人
(
ぞうにん
)
がわっと殖える。おそらく、飛道具を用いても、難かしかろう。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すると、配所の門前に、何事が起ったのか、大勢の
雑人
(
ぞうにん
)
たちが群れて、わいわい騒いでいた。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
捕手方も
無慮
(
むりょ
)
七、八十人はかぞえられた。だが内部の浪人群だけでなく、散所街の
雑人
(
ぞうにん
)
たちはみな出屋敷の味方だったから、彼らはたちまちいたる所で、袋だたきの目にあった。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
茶は、まだ
稀品
(
きひん
)
であり、めったに、
雑人
(
ぞうにん
)
の家では用いもしなかった。で、長屋のてまえ
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
正成は一同をつれて、そのまま
水分
(
みくまり
)
ノ
館
(
たち
)
へと歩いた。館の前の“駒つなぎ桜”はもうわずかな日のうちに散り
褪
(
あ
)
せていて、その下には、領下の
雑人
(
ぞうにん
)
たちの直訴でもあるのだろうか。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
推参ぞっ、
雑人
(
ぞうにん
)
ども。——柴田
修理亮勝家
(
しゅりのすけかついえ
)
の身に、
汝
(
おの
)
れらの槍が立とうや。鬼柴田の名はあだには持たぬぞ。——われに立ち向わん程の者は、小川土佐(佐平次
祐忠
(
すけただ
)
)か
木下美作
(
きのしたみまさか
)
。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「昨年、殿と同船して帰国した時は、
厳
(
いか
)
めしいお
関船
(
せきぶね
)
で、船中も住居とかわらぬ
綺羅
(
きら
)
づくしであったが、旅はむしろこうした
商船
(
あきないぶね
)
で、
穀俵
(
こくだわら
)
や
雑人
(
ぞうにん
)
たちと乗合のほうが興味深いものだ」
鳴門秘帖:04 船路の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この計数家の企画的にはすぐれた頭脳も、数千の人員の——しかも度し難いあぶれ者まで
交
(
ま
)
じっている
雑人
(
ぞうにん
)
たちの心理から——誠意と汗をひき出す方法は割り出すことができなかった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いまも
月輪殿
(
つきのわどの
)
の
長築土
(
ながついじ
)
まで来ると、路傍の物売りや尼や
雑人
(
ぞうにん
)
たちの中に
交
(
ま
)
じって、旅笠に
垂
(
た
)
れ
衣
(
ぎぬ
)
した若い女性と、そのそばに年ごろ八、九歳の可憐な少年が寄り添っているのが見えた。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
するとはじめて、そこらの木の間から、百人ほどな兵や
雑人
(
ぞうにん
)
たちが、ぞろぞろ姿をあらわした。また、一ト張りの粗末な
童輿
(
わらべごし
)
も見え、一人の老武者は、すぐこっちへ向けて駈け降りてきた。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
本阿弥光悦ともある人の
母子
(
おやこ
)
が、なんでこの山里の人も
訪
(
と
)
わぬ
伽藍
(
がらん
)
などに来て、しかも寺の
雑人
(
ぞうにん
)
すら怠っている山の朽葉などを、
竹箒
(
たけぼうき
)
を持って、こんな暗くなるまで掃除しているのだろうか?
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
城内
(
じょうない
)
の
長屋
(
ながや
)
というのは、
館
(
たち
)
につめている
常備
(
じょうび
)
の
侍
(
さむらい
)
や
雑人
(
ぞうにん
)
たちの
住居
(
すまい
)
で、
重臣
(
じゅうしん
)
でも、一
朝
(
ちょう
)
戦乱
(
せんらん
)
でもあって
籠城
(
ろうじょう
)
となるような
場合
(
ばあい
)
には、城下の
屋敷
(
やしき
)
からみな
妻子眷族
(
さいしけんぞく
)
を引きあげてここに住まわせ
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
駕輿丁
(
かよちょう
)
の
雑人
(
ぞうにん
)
をつれていたわけでもないので、そのおん
輿
(
こし
)
は、大膳ノ大夫
重康
(
しげやす
)
、
楽人
(
がくじん
)
の豊原兼秋、随身の
秦久武
(
はたひさたけ
)
などが、馴れぬ肩に、
舁
(
か
)
きまいらせたとのことであるから、途上の難行苦行のていも
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
宦官
(
かんがん
)
的な側用人、無能で
佞智
(
ねいち
)
ばかりもつ
賄賂
(
わいろ
)
好きな役人、それにつながる御用商人やら、腐れ儒者やら、大奥と表を通う穴道の
雑人
(
ぞうにん
)
やら、どしどし罷免したり、入れ
更
(
か
)
えたりしたが、それらの前代
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
……いや
雑人
(
ぞうにん
)
どもをよく使うことは、用兵以上、むずかしいもので
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「これらはみな、土岐、多治見の下郎、
雑人
(
ぞうにん
)
ではないか」
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いや、
無態
(
むたい
)
も相なりません。兵どもに聞かれるのは、まだしもですが、そこらの山寺の僧や
雑人
(
ぞうにん
)
どもが、はや、何事かと知って、あわれ、北畠ノ源中納言でおわすぞよと、ものめずらに、寄りたかっておりますれば」
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「こら、
雑人
(
ぞうにん
)
ども」
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“雑人”の解説
雑人(ぞうにん)とは、平安時代から鎌倉時代において使われた用語で、「身分が低い者」を意味する。だが、用法としては一般庶民を指す場合と主家に隷属して雑事に従事して動産として売買・譲渡の対象とされた賎民を指す場合がある。
鎌倉時代に入ると、公家及び武士・侍・郎党身分を持たない全ての者(庶民・賎民)を一括して「雑人」もしくは凡下(ぼんげ)・甲乙人(こうおつにん)と称して区別するようになり、後に問注所の下に雑人同士の訴訟のみを扱う雑人奉行という役職が設置された。
(出典:Wikipedia)
雑
常用漢字
小5
部首:⾫
14画
人
常用漢字
小1
部首:⼈
2画
“雑人”で始まる語句
雑人輩
雑人門
雑人共
雑人態
雑人町