親鸞しんらん)” の例文
村は加波山事件の加波山の東麓にあたり、親鸞しんらん聖人の旧蹟として名高い板敷いたじき山のいただきは北方の村境であり、郡境ともなっている。
加波山 (新字新仮名) / 服部之総(著)
私も親鸞しんらん聖人のこの心の歩みの過程に、しみじみと同情を感ずる。すなわち親鸞聖人は念仏によって完全な愛の域に達せんと望んだ。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
検事は親鸞しんらんの熱烈な信者かどうか知らないが、善人なおもて往生をとぐ云々のロジックが起訴のクロマクだとも思われないね。
チッポケな斧 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
古美術の本を携えて夢殿見物に出かける人は多いが、たとえば親鸞しんらんの太子奉讃の和讃を心にとなえつつ参詣さんけいする人はまれであろう。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
わたくしのふるまずい句である。こんな月並にふけっていた青年ごろから、自分の思索にはおぼろげながら親鸞しんらんがすでにあった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四百年前西洋に親鸞しんらん上人を生じ、日本にマルチン・ルーザを生じ、上人は西洋に行なわるる仏法を改革して浄土真宗をひろ
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ことにも祖母の信仰は異常といっていいくらいで、家族の笑い話の種にさえなっている。お寺は、浄土真宗じょうどしんしゅうである。親鸞しんらん上人のひらいた宗派である。
苦悩の年鑑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そういう不調和の結合から来るいろいろの苦悩は早くから亮の心を宗教に向かわせた。始めはキリストの教えを通ってついには親鸞しんらんの門にはいった。
亮の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
然し私のようには藻掻かなかった。親鸞しんらんのようには悟った。然し私のようには悟らなかった。それが一体何になろう。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その点からいって、かれは、おそらく、親鸞しんらん他力信心たりきしんじんをそのまま素直すなおに受けいれていたとは言えなかったであろう。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
唯我独尊を称したる釈迦如来しゃかにょらいは、絶対に自らを尊べり、絶対他力を唱えたる親鸞しんらんは絶対に他をたっとんで自個をむなしゅうせり、孔子こうし耶蘇ヤソとは他を尊んでまた自個を尊べり
絶対的人格:正岡先生論 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
キリストもシャカも老子ろうし孔子こうし空海くうかい日蓮にちれん道元どうげん親鸞しんらんもガンジイも歩いた。ダヴィンチも杜甫とほ芭蕉ばしょうも歩いた。科学者たちや医者たちも皆よく歩いています。
歩くこと (新字新仮名) / 三好十郎(著)
上方かみがたへ行って本願寺のお説教を立聞きした時も、ほかのところの有難味はよくわからなかったが、「親鸞しんらんは弟子一人も持たず候」といった一句に、ヒドク共鳴して
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それ故仏はどうしても救おうと誓いを立てたのである。正覚を果したその慈悲は、ひとえに凡夫のためであったともいえる。だから親鸞しんらん上人は進んで「悪人正因」の教えを述べた。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
この隱し念佛は伽藍がらん佛教になつた淨土眞宗に對立し、同じく親鸞しんらんを祖師とする宗旨であり乍ら、非僧非俗を健前として、職業化した僧侶を否定し、土藏又は密室の中に信徒を集め
ありがたや阿弥陀あみだ様。おありがたや親鸞しんらん様も、おありがたや蓮如れんにょ様も、それ、この杖に蓮華の花が咲いたように、光って輝いて並んでじゃ。さあ、見さっしゃれ、拝まっさしゃれ。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それでも彼等の夢に見える、大日如来の姿のうちには、印度ぶつ面影おもかげよりも、大日孁貴がうかがわれはしないでしょうか? わたし親鸞しんらん日蓮にちれんと一しょに、沙羅双樹さらそうじゅの花の陰も歩いています。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
たとえば我々は親鸞しんらんにおいても聖霊によって高められた一人の仲保者を認め得よう。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
本官らの下船をみとめて、家をもぬけに致し、くだんの山峡やまかいに逃げこんでおりましたです、戦さは無常の風じゃと申しとります、生臭さ坊主の親鸞しんらんめが、おどろくべし、津々浦々まで
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
……始めて海鼠なまこを食いいだせる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚ふぐきつせるおとこは其勇気において重んずべし。海鼠をくらえるものは親鸞しんらんの再来にして、河豚ふぐを喫せるものは日蓮にちれんの分身なり。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかしそれは自力作善さぜんの道徳的行為を媒介として宗教に入るということではない。親鸞しんらんが『歎異抄たんにしょう』においての善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をやという語、深くあじわうべきである。
絶対矛盾的自己同一 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
九州の南の方では性空上人しょうくうしょうにん、越後の七不思議の話では親鸞しんらん上人、甲州の御嶽みたけの社の近くには日蓮上人などが、竹の杖を立ててそれが成長したことになっていますが、水が湧き出した話には
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
宗祖親鸞しんらんも戦って戦いぬいて、苦悩の中に救いを見出みいだし大成したのではなかろうか、良致氏が外国で家庭生活をもっていたことが、かえって武子さんを小乗的しょうじょうてきにしてしまったのかもしれない
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
親鸞しんらんさまの石ぢや。」
さがしもの (新字旧仮名) / 土田耕平(著)
或はサガレンまで行ったチェーホフや、奥の細道という殺風景きわまるところを歩いて行った芭蕉ばしょうの姿や、また越後に流された親鸞しんらんのことなどであった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
昨夜ふと真如しんにょの月を仰ぎながら、親鸞しんらんという名もよいと思うたゆえ、その二つをあわせ、愚禿ぐとく親鸞とあらためた。——愚禿親鸞、なんとふさわしかろうが
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぼくの心に、そうした気持ちがうずをまいている限り、ぼくは、親鸞しんらんのあとに従って、自分を煩悩熾盛ぼんのうしじょう罪悪深重ざいあくしんちょうの人間だと観念するよりしかたがないのではないか。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
老荘や道教や禅や真言、それから道元どうげん日蓮にちれん親鸞しんらんなどのメトーデ、それから茶道の歴史上にあらわれている巨大な師匠たちの様式など、その、代表的なものでありましょう。
抵抗のよりどころ (新字新仮名) / 三好十郎(著)
静かな田舎いなかで地味な教師をして、トルストイやドストエフスキーやロマン・ローランを読んだりセザンヌや親鸞しんらんの研究をしたり、生徒に化学などを授けると同時に図画を教えたり
亮の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
法然ほうねん親鸞しんらん、日蓮といったように、法燈赫々ほうとうかくかく旗鼓堂々きこどうどうたる大流でなく、草莽そうもうかん、田夫野人の中、或いはささやかなるいなかの神社の片隅などから生れて、誤解と、迫害との間に
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
親鸞しんらんは「総じてもって存知せざるなり」と言った。それは、悪をも恐れず、善をも願わず、南無阿弥陀仏の一道を生活して行こうと言う所まで到達してこそはじめて発せられる言葉である。
念仏と生活 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
そこから余り遠くない等々力とどろき村の万福寺まんぷくじという寺にも、親鸞しんらん上人の御箸杉という大木が二本あって、それ故に、また杉の御坊とも呼んでおりましたが、二百年以上も前の火事に、その一本は焼け
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
が、少なからず北国の十夜の霜と、親鸞しんらんの故跡の近さを思わせた。
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
平家の落人おちゅうどたちが近江おうみ越えにさまようた昔から、また親鸞しんらんや、叡山えいざんの大衆が都へ往来ゆききした昔から——何百年という間をこの辻に根を張って来た下り松は今
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「たとへ法然上人ほうねんしょうにんにすかされまゐらせて念仏して地獄じごくにおちたりとも、さらに後悔こうかいすべからずさふらふ」という親鸞しんらんの言葉と、一脈いちみゃく相通あいつうずるところがあるからなのかもしれない。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
日本書紀、続日本紀しょくにほんぎ等を夢中で読みはじめたのもこの頃からで、それが後に「聖徳太子」「親鸞しんらん」などの著作となってあらわれた。この本の発展したものと云ってもいいだろう。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
青丹あおによし、奈良の都に遊んだこともなく、聖徳太子を知らず、法然ほうねん親鸞しんらんとを知らず、はたまた雪舟も、周文も、兆殿司ちょうでんすをも知らなかった十九世紀の英吉利イギリス生れの偉人は、僅かに柳川一蝶斎の手品と
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
人物 親鸞しんらん 唯円ゆいえん 僧二人 小僧一人
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
法然ほうねんの弟子親鸞しんらんも、同じなやみを持っていた。古来、事を成す人間ほど、生きる力の強い人間ほど、同時に、この生れながら負って来る苦しみも強くそして大きい。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人物 善鸞ぜんらん親鸞しんらんの息) 三十二歳
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
それも、親鸞しんらんがいったような“——仏と二人づれ”でもなかった。仏をも加えれば、彼女はいつも三人づれといってよい。その一人は彼女が腹をいためて生んだ覚一だった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人物 親鸞しんらん 唯円ゆいえん 僧三人
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「こよい御霊廟みたまやに参籠していた善信御房ぜんしんごぼう親鸞しんらん)のすがたが見えませぬぞ」と、告げ廻った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法然上人ほうねんしょうにんのようなお方ですら、御自身、十悪の凡夫だと云っておられる。親鸞しんらん上人は又——善人なおもて往生おうじょうを遂ぐ、いわんや悪人をや——とすら明言しているのではないか。
鍋島甲斐守 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この辺から黒谷や吉水よしみずのあたりは、念仏門発祥の地であるので、祖師親鸞しんらんの遺跡が多いし、念仏行者の法然房が讃岐さぬきへ流されるその前夜は、たしかこの小松谷の御堂とやらにあって
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
浮華軽佻ふかけいちょうな時代のあとには、人はおのずから静思せいしを求めて、遠い弘法こうぼうをしたい、親鸞しんらんをおもい、道元どうげんのあとをさがすのだ——飢饉ききんとなれば、無名な篤農家の業績をあらためて見直したり
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
例へば親鸞しんらんなどでもその像といへば、端麗な貴族出の人、聰明と信念をもつた美僧に描かれてゐるがね、本願寺にある親鸞のほんたうの肖像は、とても怖い頑固な容貌をしてゐるさうです。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
祖師そし親鸞しんらんでさえしたことです』
御鷹 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また宗祖しゅうそ親鸞しんらんのことば
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)