脱兎だっと)” の例文
なにをするうちか、誰の住いか、見さだめるひまもなかった。脱兎だっとのように三人は、小屋から飛び出して、その木戸の中へ駈けこんだ。
流行暗殺節 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
「おれはあいつにあやまらなきゃならない」巌は脱兎だっとのごとくはだしのままで外へでた。そうして突然チビ公の前に立ちふさがった。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
匕首あいくちをつかみ、解けかけた帯の端を左の手で持ちながら、あざみの芳五郎は、脱兎だっとのように、木場きばの材木置場の隅へ逃げこんで行った。
魚紋 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうなると奇妙にも勇気が出て来て、私は脱兎だっとの如く、駈けつける近所の人の袖の下をくぐって、喫茶店の中に飛び込みました。
三角形の恐怖 (新字新仮名) / 海野十三(著)
と、一番後に居た一人二人が、脱兎だっとごとく元来た道に逃げ出した。機銃は、その物音に再び火を吐いた。が、それは死角だった。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
頭から掻巻かいまきかぶったお銀様が、内から戸を押開いて、脱兎だっとの勢いで、その燃えさかる火の中へ飛び出したのはこの時であります。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
身を躍らしてその花束をひったくり脱兎だっとの如くいま来た道を駈け戻り喫茶店の扉かげに、ついと隠れて、あの子を呼びました。
兄たち (新字新仮名) / 太宰治(著)
隠れていた社殿のを押し開き脱兎だっとのように走り出て、オンコッコのそばへ近寄るや否ややにわにジョンを横抱きにして林の中へ逃げ込んだ。
さすがに馴れたもので、その動きは間髪を容れず、椽の下から飛び出した小僧は、真に脱兎だっとの如く、低い生垣を飛び越えるのが精一杯でした。
稽古が済むと、脱兎だっと何のそのという勢いでいきなり稽古場を飛び出したが、途中で父の組下の烏山からすやま勘左衛門に出遇ッた。
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
と思うと、乱れた髪もつくろわずに、脱兎だっとのごとく身をかわして、はだしのまま、縁を下へ、白い布をひらりとくぐる。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
もすそを乱して一旦は倒れたが又たちまね起きて、脱兎だっとの如くに表へ逃げ出そうとするのを、𤢖は飛びかかって又引据ひきすえた。お葉もう見てはられぬ。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
迷亭もここに至って少し蹰躇ちゅうちょていであったが、たちまち脱兎だっとの勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思うもなく
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
静岡県……なにがし……校長、島山理学士の夫人菅子すがこ、英吉がかつて、脱兎だっとのごとし、と評した美人たおやめはこれであったか。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
始め処女の如きはやがて脱兎だっとの終を示す謎とやいふべき。席料その他一切の勘定三円を出ざる事既に述べたり。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
それから内野君が脱兎だっとの如く天井裏へ駈け込んだ鋭さ。彼は先生の研究の最後の結果が天井裏の電気仕掛けと共に隠されている事を咄嗟とっさに見破ったのです。
ニッケルの文鎮 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
二人をとり巻いていた若侍たちは、それを聞くなりぱっと四方へ散った。そしておなじ刹那に、秀之進の相手も脱兎だっとのように身をひるがえして闇のなかへ逸走した。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そのときふと私はその四五日前に見た、加藤家の半白の猫が私の家のうさぎの首をくわえたと見る間に、垣根かきねくぐりり脱けて逃げた脱兎だっとのような身の速さを何となく思い出した。
睡蓮 (新字新仮名) / 横光利一(著)
そう云うT刑事の笑い声が終るか終らないかに、頭を下げていた私は突然、脱兎だっとのように若い刑事の横をスリ抜けて、二階廊下の欄干てすりに片足をかけて飛び降りようとした。
冗談に殺す (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ヒルガードは一礼して脱兎だっとのように壇を下りただ一つあいた席にぴたっと座ってしまいました。
ビジテリアン大祭 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
かように法王が始めは処女のごとく終りは脱兎だっとのごとき意気込みを示した所以ゆえんは、ロシア政府と条約を結び必ず英国政府に対し一致の働きをるという約束が成立ちましたのと
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
懐中に隠し持った匕首あいくち、逆手に握ると見るまに、寄ってきた一人の脇腹をえぐるが早いか、櫛まきお藤は脱兎だっとのごとく稲荷の境内に駈けこんで、ほこらをたてに白い腕を振りかぶった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
と新太郎君は脱兎だっとの如く駈けだして、部屋へ飛び込む早々周囲あたりを片付け始めた。両親が来るとは思わなかったから、見せたくないものも取り散らしてあった。続いて寛一君も手伝って
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
言い捨てて脱兎だっとのごとくけ出した。あとの三人もそのあとに従った。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
真っ赤になってうなずいた私を見ると、つぶらにみはったの中から大粒な涙が、ころがり出たと思った次の瞬間、身を翻してスパセニアはたちまち脱兎だっとのごとく、階下へ駈け降りていってしまいました。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
清原、脱兎だっとのごとく、やや左手奥へ駆け下りて行く。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
そして一つかみの酒代を持つと、さながら生れ変った人間のようになって、各〻脱兎だっとのごとく自分自分の仕事の持場へ駈け出していた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「突進だ」古谷局長は、貝谷をうながすと、脱兎だっとのようにけだした。そして船橋につづく狭い昇降階段をするするとのぼった。
幽霊船の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
と叫ぶと覆面の武士すなわち葉之助は踵を返し、脱兎だっとのように逃げ出した。とたんに「かっ」という気合が掛かり、傘の武士の右手から雪礫ゆきつぶてが繰り出された。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
脱兎だっとの如く、兵馬は秋草を飛び越えたのです。そうして、仏頂寺の倒れたのを抱き起して見たのです。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
銀の厚板の一と抱えほどあるのが、笹野新三郎の手に残ると、お小夜は脱兎だっとのごとく身を抜けて
知るや、退屈男は一散走り! 刄襖はぶすま林の間をかいくぐりながら、脱兎だっとのごとくに走りつけると
相手はしばらく支えていたが、そのうちにぱっと四方へ逃去ってしまう、三樹八郎は脱兎だっとのように、娘の悲鳴の聞えたほうへ走って行ったが、そこにはすでに人の影もない。
武道宵節句 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
一髪のかんにこういう疑いをいだいた次郎は、目の前が暗くなるような怒りを感じて、相手の太刀たちの下を、脱兎だっとのごとく、くぐりぬけると、両手に堅く握った太刀を、奮然として
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
途端に糸切歯をきりりとならして、脱兎だっとのごとく、火鉢の鉄瓶を突覆つッかえすと、すさまじい音がして𤏋ぱッと立った灰神楽、灯も暗く、あッという間に、蝶吉の姿はひらひらとして見えなくなる。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
不意に掴まれたのと、その引く力が可なりに強かったのとで、吉五郎は思わず尻餅をついて仰向けに倒れると、その隙をみて忽ち立ちあがったお冬は、いわゆる脱兎だっとの勢いで駈け出した。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ひつじは俄然がぜん虎になった。処女は脱兎だっとになった。いままで湲々えんえんと流れた小河の水が一瀉いっしゃして海にいるやいなや怒濤どとう澎湃ほうはいとして岩をくだき石をひるがえした。光一の舌頭は火のごとく熱した。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
光る手裏剣しゅりけんが欲しかった。流石さすがに、下さい。とは言い得なかった。汗でぐしょぐしょになるほど握りしめていた掌中のナイフを、力一ぱいマットに投げ捨て、脱兎だっとごとく部屋から飛び出た。
古典風 (新字新仮名) / 太宰治(著)
と侍を打据えにかかると、うるさくなったものか侍は大手を拡げて闘意のないことを示したが、それも一瞬、いきなり脱兎だっとのようにげだした。足を狙って辰が杖を投げた。それが絡んでどうと倒れた。
碌さんは腹の痛いのも、足の豆も忘れて、脱兎だっといきおいで飛び出した。
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それから、まるで脱兎だっとのような勢で結論にはいりました。
ビジテリアン大祭 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
と——弦之丞が、次の言葉をかける間もあらばこそ、怪しげな二人の侍——霏々ひひとふる雪のあなたへ、脱兎だっとのごとく逃げだしてゆく——。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二人は、そっと、チャンウーの店の屋根からすべりおりると、ビルディングの非常梯子を、脱兎だっとのごとくかけのぼっていった。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
四人の駕籠屋どもは、申し合わせたように同音にこう言い捨てるや、脱兎だっとの如く逃げ出しました。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
八五郎の手が追っかけた時は、女の身体は見事に飛躍して、八五郎の肩をけって、八五郎が開け放したままにしてあるお勝手の外へ、真に脱兎だっとの如く飛び出してしまったのです。
驚いておゆきが奥へ入ろうとすると、その武士は脱兎だっとのようににげこんで来て
峠の手毬唄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
じきの妹なんざ、随分脱兎だっとのごとしだけれど、母様の前じゃほとんど処女だね。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いまにもかかとをがぶりとやられはせぬかと生きた気もせず、けれども毎度のことであり、観念して無心平生を装い、ぱっと脱兎だっとのごとく逃げたい衝動を懸命に抑え、抑え、ぶらりぶらり歩いた。
意外! 脱兎だっとのごとく消えてなくなったはずのあの町人が、いつのまにかかいがいしいわらじ姿につくり変えて、身ごしらえもものものしいうえに、こしゃくな殺気をその両眼にたたえながら
身をひるがえすと貝十郎、田沼屋敷の方角へ、脱兎だっとのごとく走り出した。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)