びょう)” の例文
勿論びょうたる小冊子、紙質が悪いから刷りも善かろう筈はなく、細字は消え失せたりして間違の種を蒔く原因となることもありました。
登山談義 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
大陸のかすみびょうとして果てなく、空ゆく飛鴻ひこうはこれを知らなくても、何で梁山泊の油断なき耳目じもくがこの情報をつかまずにいようやである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この日本を救い、この東洋を白禍はっかの惨毒から救い出すためには、びょうたる杉山家の一軒ぐらい潰すのは当然の代償と覚悟しなければなりませぬ。
父杉山茂丸を語る (新字新仮名) / 夢野久作(著)
よく言う事だが、四辺あたりびょうとして、底冷いもやに包まれて、人影も見えず、これなりに、やがて、逢魔おうまが時になろうとする。
貝の穴に河童の居る事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
基準排水量わずかに七百五十トンびょうたる一駆逐艦の身でありながら科学独逸の粋を集めていかなる秘密装備を施したものか、経済速力二十七ノット
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
びょうたる宇宙に比して、小さな秩序ではあるが、しかし、宇宙のほかのどこにもありえない、創られつつある秩序である。
美学入門 (新字新仮名) / 中井正一(著)
広大なる宇宙の中に真にびょうたる存在であるわが地球、その地球に棲む人類たちが、互いに反目したってそこに何の益があろうか。宇宙は広大である。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
この国家の大事に際しては、びょうたる滄海そうかいの一ぞく自家われ川島武男が一身の死活浮沈、なんぞ問うに足らんや。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
赤壁せきへきというのにありますね、びょうたる蒼海の一粟いちぞく、わが生の須臾しゅゆなるを悲しみ……という気持が、どんな人だって海を見た時に起さずにはいられないでしょう。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
然るにびょうたる河内の一郷士正成が敢然立って義旗を翻すに至った動機には、実に純粋なものがあるのだ。学者の研究に依ると、正成は宋学の造詣ぞうけいが相当深かった様だ。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
びょうたる岩島海豹島こそは彼女らの光栄ある産褥さんじょくであり、新らしき、また盛んなる蕃殖場である。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
ただちにこの渾円球こんえんきゅうを包む大気と連絡して、それと一体を為すものであるが如く、吾人のびょうたるこの五尺の身体はまたかみ億万世の生物に連絡し、しも億万代の人類に連絡するもの
現代の婦人に告ぐ (新字新仮名) / 大隈重信(著)
アジアの大陸、ヨーロッパの大陸、アメリカの大陸等にくらべたらまことびょうたる島であります。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
今日の昼頃、びょう々たる大海原の見えるところへ出た。奇妙な形をした鱗木のたぐい。
地底獣国 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「馬いななきて白日暮れ、剣鳴て秋気来る」と小声で吟じ、さて、何の面白い事もなく、わが故土にいながらも天涯の孤客こかくの如く、心はびょうとしてむなしく河上を徘徊はいかいするという間の抜けた有様であった。
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)
昼ならば、この辺りの高原は、石楠花しゃくなげやりんどうや薄雪草も数あるらしいが、夜はただびょうとして、真綿のような露が地を這っているばかり。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仏様でも大事ない、氏神にして祭礼おまつりを、と銑さんに話しながら見て過ぎると、それなりに川が曲って、ずッと水が狭うなる、左右は蘆がびょうとして。
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
びょうたる滄海そうかい一粟いちぞく、わが生の須臾しゅゆなるを悲しみ、と古人は歌うが、わが生を悲しましむることに於ては、海よりも山だと白雲は想う。海は無限を教えて及びなきことをささやく。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それにしてもびょうたる一少女に過ぎない彼女が、あらゆる通信、交通機関の横溢おういつしている今の世の中に、しかも眼と鼻の間とも言うべき東京と横浜に在る貴下と私の一家を、かくも長い間
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
山岳地帯は、まだ雪どけもしていないとみえ、千曲川の水は少なかった。びょうとして広い河原に、動脈静脈のような水流のうねりを見るだけである。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
拝殿はいでん裏崕うらがけには鬱々うつうつたる其の公園の森をひながら、広前ひろまえは一面、真空まそらなる太陽に、こいしの影一つなく、ただ白紙しらかみ敷詰しきつめた光景ありさまなのが、日射ひざしに、やゝきばんで、びょうとして、何処どこから散つたか
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
湖面がびょうとして展開されているのを見るには見るが、そのあたりは全く人気のない荒涼たる湖岸の地となっているところで、弁信が足をとどめて聞き耳を立てて後、「モシ——」と言ったのは
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
急に再び兵を発して長駆追ってみたが、すでに蜀軍の通ったあとにはびょうとして一さつの横雲が山野をひいているのみだった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
拝殿の裏崕うらがけには鬱々うつうつたるその公園の森を負いながら、広前ひろまえは一面、真空まそらなる太陽に、こいしの影一つなく、ただ白紙しらかみを敷詰めた光景ありさまなのが、日射ひざしに、ややきばんで、びょうとして、どこから散ったか
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その丹波街道を北へ向って、五町ほども走ってゆくと、また、並木の右手にわたって、びょうとしたまま、静かに、春先の陽に伏している広い枯野がある。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左手ゆんでみさき蘆原あしはらまで一望びょうたる広場ひろっぱ、船大工の小屋が飛々とびとび、離々たる原上の秋の草。風が海手からまともに吹きあてるので、満潮の河心へ乗ってるような船はここにおいて大分揺れる。
葛飾砂子 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そのびょうとしてひろい平野の一本杉に、一ぴきの白駒しろこまがつながれていた。馬は、さびしさも知らずに、月光をあびながら、のんきに青すすきを食べているのだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
川の水が少しびょうとして、月が出たのか、日が白いのか、夜だか昼だか分らない。……間がおよそどのくらいか知れないまで遠くなる、とその一段高い女の背後うしろに、すっくと立った、おおきな影法師が出た。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
とまれ、いつか彼はびょうたる水とあしのほとりへ出ていた。それや水滸のはくに近い鴨嘴灘おうしたんとは知るよしもない。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三方みかたはらびょうとして、そこには、ただようようにうすれてゆく夕陽ゆうひの色があるばかりだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それ以外は、びょうとした草原と、近頃、埋めたばかりの広い土だった。もっとも其処此処と、ポチポチあかりの影は見えるが、近づいて見ると、それは皆、木挽こびき石工いしくの寝小屋だった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
右を見ても左をながめても、びょうとして同じような草の波がうねるばかりな女影の迷路を、果てなく、うつつなく、さまよって行く様子では、何処へという、心の目当てもありそうもありません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
びょうとして、ただ霧のみであった海面にも、チカッと、黄色こんじきの光がねた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
石川の本流、餌香川えかがわ、道明寺川、恩智川などが、いわゆる“川ノ辻”をなしており、また、三角洲だの両岸の芦の彼方にも、散所部落の屋根が望まれ、大きな月一つのほか、すべてびょうとしていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が老後に自分のなぐさみに持った画筆のように、墨で一抹いちまついたような東洋的虚無観が、六十年の生涯をびょうとして貫いているすがたなども、僕には、彼の少年時代の家庭が最も重視されるのである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして水は細く太く幾すじにもわかれ、河原はびょうとして広かった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あまりにびょうとして思い出すに骨が折れるらしい。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夜に入っても、びょうとして、仄明ほのあかるかった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あし平沙へいさと、びょうとして、ただ水である。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)