まつ)” の例文
損といえば損な人、不徳といえば不徳な人、いずれにしても入道の心事には、寂しいものが一まつ常に横たわっていた事は争えなかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あとには、一まつの土埃が細く揺れ昇って、左馬之介のおちた崖の端に、名もない雑草の花が一本、とむらい顔に谷をのぞいている。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
汽船きせんがいくとみえて水平線すいへいせんに、一まつけむりのぼり、おき小島こじまには、よるになると煌々こうこうとしてひかりはな燈台とうだいが、しろとうのようにかすんでいます。
薬売りの少年 (新字新仮名) / 小川未明(著)
この曲には一点一画の無駄もなく、一まつの不足もない。達人ブラームスが技巧の粋を傾けて書いたと言ってもいい。
焦慮瘠身そうしん幾時間ののち、やがて、ミューレの平場プラトオへ届こうとするころ『グーテの円蓋ドオム』の頂きに、ふと一まつの雪煙りが現われた。驚きあわてたガイヤアルが、その凶徴を指さしながら
恋愛は各人の胸裡きようりに一墨痕を印して、ほかには見ゆ可からざるも、終生まつする事能はざる者となすの奇跡なり。然れども恋愛は一見して卑陋ひろう暗黒なるが如くに其実性の卑陋暗黒なる者にあらず。
厭世詩家と女性 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
彼がはいって来る足音を聞いて、ぞっと身を震わした。その白いほおに一まつの赤味が上った。本能的な動作で、もってる品物を隠そうとした。そして当惑したような微笑を浮かべてつぶやいた。
しかし、それとほとんど同じ瞬間に、彼の顔はまじめな、気がかりらしい表情になったばかりでなく、ラスコーリニコフの驚いたことには、なんとなく一まつの憂愁の陰すら帯びたかに見えた。
その上かならず一まつの哀愁を帯びているものだ。
大事の曙光しょこうに一まつの黒き不安をすってしまった! もし向後こうご渭山いやまの城に妖異のある場合はいよいよ家中の者に不吉を予感さするであろう。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
チョビ安は無言……お藤も、今はもう言葉もなく、うなだれているばかり、はだけた襟の白さが、この場の爆発的な空気に、一まつの色を添えて。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
平次は經机の上の香爐かうろに一まつの香をひねつて、暫らく拜んでから、靜かに娘の死骸に近づきました。
正吉しょうきちは、こうして、人間にんげんがことごとく平和へいわあいするなら、このなかはどんなにたのしかろうとおもいました。しかしこのとき、かれには一まつ不安ふあんが、こころにわきがったのです。
春はよみがえる (新字新仮名) / 小川未明(著)
この夜の興味はまつすべからざる我生涯の幻夢なるべし。
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
まつの浪しぶきが、横に砕けて舟影をくるんだかと思うと、どうなったか、その最後は分らずに、周馬の舟は征矢そやのように流されていった。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孤独を訴える坤竜丸の気魂きこんであろうか。栄三郎のうしろ姿には一まつのさびしさが蚊ばしらのように立ち迷って見えた。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
さり氣ないうちに漂ふ一まつの怪奇さがあります。
宋憲は欣然きんぜんと、武者ぶるいして、馬を飛ばして行ったが、敵の顔良に近づくと、問答にも及ばずその影は、一まつの赤い霧となってしまった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵太郎の大鍔おおつば南蛮鉄、ガッ! と下から噛み返して、強打した金物のにおいが一まつの闘気を呼んで鼻をかすめる。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
みるみるうちに、一まつ水蒸気すいじょうきとなって上昇じょうしょうしてゆく……そして松並木まつなみき街道かいどうは、ふたたびもとののどかな朝にかえっていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
碧空へきくうをかすめた一まつの煙を見ると、盤河の畔は、みな袁紹軍の兵旗に満ち、を鳴らし、ときをあげて、公孫瓚の逃げ路を、八方からふさいだ。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが——しかもなおどこやらに、去りやらぬ一まつうれいがともすれば沈みかけるのは、どうしようもないことだった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新城陥落の一報は、孔明の心に、一まつの悲調を投げかけた。彼はその報をうけた時、左右の者へいった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の得意な足蹴のわざで、卓上の器や酒や肉片は、まるで一まつ飛沫しぶきのように武松の姿をくるんで散った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もちろん扈従こじゅうの臣や公卿などはけっこうはしゃいでひきあげたが、なんといっても尊氏、直義、義詮よしあきらの心から溶けきれない容子ようすは、衆目にも映って、その一まつな危惧は
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なお、はるかにあなたののはてには、一まつかすみのように白い河原かわらがみえる。あとは、西をあおいでも、北を見ても、うっすらした山脈さんみゃくのうねりが黙思もくししているのみだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まつ墨気ぼっきいたような冷たいきびしさが、古い巨大な建物の全面にただよい、内部の吟味所、書記溜り、与力控え、また奉行の居室を初め、どこをうかがっても、しいんと
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忠利が、なお一まつあきらめかねたものをもって、そういうと、ほとんどが、異口同音いくどうおん
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
短檠たんけいの灯がボッといぶって、一まつの不安がしょくをかすめ、なんとなくいやな空気がみちた。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ一まつのさびしさは、この頃すでに、曹操時代の功臣たる張遼ちょうりょう徐晃じょこうなどという旧日の大将たちは、みな列侯に封ぜられて、その領内に老後を養っている者が多かったことである。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしその青い面色に一まつ凄気せいきは見せたものの、依然、言葉はしずかに。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀麗しゅうれいな富士の山肌やまはだに、一まつすみがなすられてきた、——と見るまに、黒雲のおびはむくむくとはてなくひろがり、やがて風さえ生じて、みわたっていた空いちめんにさわがしい色をていしてきた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まつの水けむりと共に、女の影も、権叔父のすがたも見えなくなると
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、一まつの不満と淋しみを噛む顔でない者はない。
たれにも、それは一まつの疑惑となっているらしい。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし一まつの淋しさがないでもない。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まつのさびしさを覚えたのである。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)