えびす)” の例文
かゝる人なりければ其面貌つらつきも恐ろしげに荒びてえびすなどの如くなりけむ、孔子も貌を以て人を取りつ之を子羽に失しぬと云ひ玉へり。
花のいろ/\ (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
平和にんでいた高原の猛兵は、孔明の名を聞いても、どれほどな者か知らなかったし、その武器は、えびすには似ず精鋭だったので
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この北上川へ来て見ると全く違った感じ——どうやら奥州のえびす——更に遠くは日高見の国をまで眼前に思い浮べ来ったものと見えます。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
子供の時分の記憶をたどると、俗にいふ大黒さまとおえびすさまとが私の生れた木曾の山家などにも飾つてあつたのを覺えてゐる。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
北条泰時は勿論アイヌではありませぬ。しかし武士仲間に這入ったから、自ら謙遜してえびすと云っているのであります。
恋とサアなさけのその二道は、やまと、唐土もろこしえびすの国の、おろしゃ、いぎりす、あめりか国も、どこのいずくも、かわりはしない。さても今度の心中話。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
五十年前といへば、支那人は欧米人をえびす扱ひにして、ひどく毛嫌ひしたものだが、その頃支那に渡つて貿易業を始めたばかりの紐育ニユーヨーク生れの商人あきんどがあつた。
更に流霜りゅうそうふ事半里にしてえびすはなに到り、巌角につて遥かに湾内の風光を望み、雁影を数へつゝ半宵はんしょうに到りぬ。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
この時すぐに目を射たのは、机の向側にえびす麦酒ビイルの空箱がたてに据えて本箱にしてあることであった。
二人の友 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
因果物師の手にかかっている角男、章魚小僧、小あたま、鶏娘、桃太郎、猩々太郎、さては生きているえびす三郎——人力車に乗って絵端書を売って歩く——の類とは違って
奇術考案業 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
「たいへんです、えびす軍勢ぐんぜいが、せてまいりました。」と、おうさまに、おげしました。
春の日 (新字新仮名) / 小川未明(著)
さて『桂林漫録』に日本武尊やまとたけるのみこと駿河の国で向火むかいび著けてえびすを滅ぼしたまいし事を記して、『花鳥余情』に火の付きたるに此方こなたよりまた火を付ければ向いの火は必ず消ゆるを向火という。
それに出羽でわと名づけた地域をふくめ、「奥羽おうう」の名でも呼ばれました。昔はえびす即ち蝦夷えぞが沢山住んでいた地方で、方々から出てくる石器や土器がその遠い歴史を物語ってくれます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
おのがたからをたのみて九六他人ことひとにいきほひをふるひ、九七あらぬ狂言まがごとをいひののしり、あさましき九八えびすごころをも見するは、前生さきのよの善心かくまでなりくだる事はいかなるむくいのなせるにや。
討たれたるわれをあわれと見ん人はきみをあがめてえびす払えよ〔尊王攘夷〕
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
大神宮歳徳の神えびすおの/\餅花一えだづゝ神棚へさゝぐ。
えびすの住んどるけに、女子供は行けぬ」
風琴と魚の町 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
とにかく、このえびすに一泊しようと。
佐渡 (新字新仮名) / 太宰治(著)
人のにくえびすのように。
君を崇めてえびす払へよ
留魂録 (新字旧仮名) / 吉田松陰(著)
李傕りかくは、元来が辺土のえびすそだちで最前のように、礼をわきまえず、言語も粗野なおとこですが、あの後で、心に悔いる色が見えないでもありませんでした。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくて遂には西の宮の産所の様に祝言すなわちホカイを述べるホカイビトになり、次にえびす舞わしから遂にあやつり人形の座ともなるに至ったのでありましょう。
それがためにおうさまとおきさきは、ついにえびす軍勢ぐんぜいのために、浮虜とりことなってしまいました。——
春の日 (新字新仮名) / 小川未明(著)
この『静の岩屋』の中には、「えびす」という古言まで引き合いに出して、その言葉の意味が平常目に慣れ耳に触れるとは異なった事物をさしていうに過ぎないことも教えてある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
衣川ころもがは和泉いづみじやうをめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡やすひらが旧跡は衣ヶ関を隔てて、南部口をさし堅めえびすをふせぐと見えたり。さても義臣すぐつて此城にこもり、功名一時のくさむらとなる。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
唯彼猿はそのむかしをわすれずして、猶亜米利加の山にめる妻のもとへふみおくりしなどいと殊勝しゅしょうに見ゆるふしもありしが、この男はおなじさとの人をもえびすの如くいいなしてあざけるぞかたはらいたき。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
男子なんしにも、六八ずゐ煬帝やうだい臣家しんか六九麻叔謀ましゆくぼうといふもの、小児せうにの肉を嗜好このみて、ひそかに民の小児をぬすみ、これをしてくらひしも七〇あなれど、是は浅ましき七一えびす心にて、あるじのかたり給ふとはことなり。
大神宮歳徳の神えびすおの/\餅花一えだづゝ神棚へさゝぐ。
曹彰は父とはべつに代州たいしゅう烏丸うがん(山西省・代県)のえびすの叛乱を治めに行っていたのであるが、漢水方面の大戦、刻々味方に不利と聞き、あえて父の命もまたず
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
摂津の西の宮えびす神社の近所におった散所部落のものは、えびすの人形を持って各地に徘徊し、これを舞わし、めでたいことを述べて、米や銭を貰って乞食生活しておりました。
えびす大黒として邊鄙な片田舍の神棚にも祀つてある一對の彫刻にもそれがあらはれてゐる。
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
かとりの海と人麿ひとまろは詠みました、かとりといえば、たれしもが当然、下総しもうさ常陸ひたち香取かとり鹿島かしまを聯想いたします、はるばるとえびすに近い香取鹿島の大海原おおうなばらに、大船を浮べて碇泊した大らかな気持
その住民は西の宮の百大夫を祖神と仰ぎ、ホカイをなすにも、西の宮のえびす神の木偶を作ってそれを舞わす。これを古く「恵比須かき」とも、「恵比須舞わし」とも云った。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
俗に「おえびすさま」といへばどんな片田舍の子供でも知らない者のないやうな事代主の神とは、漁業の祖神であるばかりでなく、農業と商業とをつかさどる神でもある。そのことが既に平和の神である。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
おかしい! えびすが今時、何の用あって、この街道を騒がすのだ。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかしもともと武士には蝦夷えぞすなわちエビス出身が多かったから、「徒然草つれづれぐさ」などを始めとして、鎌倉南北朝頃の書物を見ますと、武士のことを「えびす」と云っております。
奥羽両国はえびすの国なりとの理由の下に、田制上の特別の除外例が認められた程であった。
「ケット」と「マット」 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
徳川時代に至るまでも、鬚奴ひげやっこの称ありて、武家の従者はなお余五将軍の郎等、太郎介と同じく、鬚多きをもってしとせしなり。けだしえびすすなわち毛人を理想とせるものなるべし。
武士を夷ということの考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
国史地理学上、本邦の種族調査の一部として、さきに「夷俘・俘囚の考」と「東人あずまびと考」とを発表したる余輩の研究は、ここに中世において武士をえびすと称したることの理由を説明すべき順序となれり。
武士を夷ということの考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)