坩堝るつぼ)” の例文
しかし、こういう侍もあれば、また、奥村助右衛門のような侍もいてこそ、武門も人間社会の外ではない種々相しゅじゅそう坩堝るつぼだと云い得よう。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここ数旬にして帝都は挙げて睡魔の坩堝るつぼと化し、黒死病の蔓延によって死都と化した史話の如く、帝都もそのてつを踏むおそれなしとしない
睡魔 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
電話のベルが廊下のあなたに三度四度と鳴らされて行きました。「坩堝るつぼたぎりだした」不図こんな言葉が何とはなしに脳裡のうりうかびました。
壊れたバリコン (新字新仮名) / 海野十三(著)
それはともかく、二年後の一八四四年には、フランクはもう一度パリの坩堝るつぼに飛び込んで、独力その運命の開拓に健闘していた。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
歓楽の大劇場は一瞬にして恐怖の坩堝るつぼと化した。幕の外では観客の沸返わきかえる騒ぎ、幕の内側では、——五郎が血まみれの道化ピエロを抱きおこして
劇団「笑う妖魔」 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
犯人は云うまでもなく同一人であり、しかも坑殺された峯吉の燃えたぎ坩堝るつぼのような怨みを継いだ冷酷無比の復讐者だ。
坑鬼 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
焔の色の薔薇ばらの花、強情がうじやうな肉をかす特製の坩堝るつぼほのほの色の薔薇ばらの花、老耄らうまうした黨員の用心、僞善ぎぜんの花よ、無言むごんの花よ。
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
坩堝るつぼの光明等々々が、無数の煙突から吐出す黄烟、黒烟に眼もくらむばかりに反映して、羅馬ローマの滅亡の名画も及ばぬ偉観、壮観を浮き出させている。
オンチ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そして、彼はまるで冶金家やきんかが、坩堝るつぼ金糞かなくその中から何かの金属でも探し出す様に、無雑作に、死人の歯を探し出して、別の小さな容器に入れていた。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
人の内心、そは空想と欲念と企画との混沌界こんとんかいであり、夢想の坩堝るつぼであり、恥ずべきもろもろの観念の巣窟そうくつである。そは詭弁きべんの魔窟であり、情欲の戦場である。
老婆を投げ倒した素戔嗚すさのおは、涙に濡れた顔をしかめたまま、とらのように身を起した。彼の心はその瞬間、嫉妬と憤怒ふんぬ屈辱くつじょくとの煮え返っている坩堝るつぼであった。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
醸造だる中の葡萄ぶどうの実のように、飽満せる魂は坩堝るつぼの中で沸きたつ。生と死との無数の萌芽ほうがが、魂を悩ます。
これが現在、欧米人士を戦争に次ぐの熱狂と興奮の坩堝るつぼに陥れ、全世界を異常なる衝撃ショックとセンセーションとに包み込んでいる、世紀の事件の全貌なのであった。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
開票場である公会堂は、坩堝るつぼのたぎる喧噪に包まれている。二階の講堂の中央で、一票ずつ開かれ、読みあげられているが、そのたびに、拍手や喊声かんせいがおこる。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
試験管なり坩堝るつぼなりおりなりの中に飛び込んで焼かれいじめられてその経験を歌い叫び記録するのである。
科学と文学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
しかし、手は泥をこねるためにだけ作られたように見え、眼は顕微鏡か坩堝るつぼをのぞくために作られたように見えるこの哲学者たちが、それこそ奇蹟を完成したのです。
それだのにこの頃のお姫様ときては、煩悩のかたまり、嫉妬猜疑の坩堝るつぼ! そのようなものに成り下がられ、わたしたちを不安と焦燥とに……のう袈裟太郎、そうではないか?
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
坩堝るつぼ、試験管、——うすあおい蛍石、橄攬石かんらんせき、白い半透明の重晶石や方解石、端正な等軸結晶を見せた柘榴石ざくろいし、結晶面をギラギラ光らせている黄銅鉱……余り明るくない部屋で
狼疾記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
支那から学ばれた知識が日本人の生活の坩堝るつぼの中で熔解せられ、そこから日本人の思想として新なものが形成せられて来ることは勿論あるが、そうなれば、それはもはや支那思想ではない。
日本精神について (新字新仮名) / 津田左右吉(著)
そこは、二十七か国語が話されるという、人種の坩堝るつぼ。極貧、小犯罪、失業者の巣。いかに、救世軍声をらせどイースト・リヴァの澄まぬかぎり、ここのどん詰りデッド・エンドは救われそうもないのだ。
人外魔境:08 遊魂境 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
造られる爆弾はひとつずつ 黒い落下傘でぼくらの坩堝るつぼに吊りさげられる
原爆詩集 (新字新仮名) / 峠三吉(著)
(11)鉱物を溶解するときに炉床または坩堝るつぼの底に沈澱ちんでんするもの。
黄金虫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
そこよりもっと間近に一かたまりの焔が、坩堝るつぼの如く、うごいて見えるのは、出迎えの者が、村の口まで出ているものと思われる。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
無理もない、この海浜都市が、溌剌はつらつたる生気の坩堝るつぼの中に、放り込まれようという、今日きょうがその心もうきたつ海岸開きの日なのだから——。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
東海道の四月、櫻は八重が眞つ盛り、菜の花畠の中を、二人の異樣な御詠歌が、江戸の坩堝るつぼを遠ざかつて行くのです。
皆冷静の理路を辿たどり、若しくは、精練、微を穿うがてる懐疑の坩堝るつぼを経たるものにして「監督ブルウグラムの護法論」「フェリシュタアの念想」等これを証す。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
彼は灼鉄しゃくてつ炎々えんえんと立ちのぼる坩堝るつぼの中に身を投じたように感じた——が、そのあとは、意識を失ってしまった。
英本土上陸戦の前夜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
……のみならず、まだ私の知らない、意外な処に在るスキャンダルの坩堝るつぼまでも発見する事が出来た。
けむりを吐かぬ煙突 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それを取って大なる坩堝るつぼに入るれば、人の豊かなる滋養が流れ出る。平野の養分は人間の養いとなる。
坩堝るつぼの底に熔けた白金のような色をしてそして蜻蜓とんぼの眼のようにクルクルと廻るように見える。まぶしくなって眼を庭の草へ移すと大きな黄色の斑点がいくつも見える。
窮理日記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
各民族がそれぞれ自分の割当を、ユダヤ人はその不安を、アングロ・サクソン人はその沈着を、そこにもち寄っていた。しかしすべては間もなくイタリーの坩堝るつぼの中に溶かされていた。
アヴァス等世界の大通信社の触手という触手は一斉に色めき立って、地元拉丁亜米利加ラテンアメリカ諸国はもちろん、全欧米を熱狂と興奮の坩堝るつぼと化せしめ、世界学界に解けざる謎を与えて輿論よろん囂々ごうごうとして
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
めるだけ撓めていたちからでどっと燃えあがったのだ、ちょうど巨大な坩堝るつぼの蓋をとったように、それは焔の柱となって噴きあがり、眼のくらむような華麗な光のくずを八方へきちらしながら
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
とさわぎ出して、近臣は動揺し、魏帝も色を失って、沿道いたる処、恟々きょうきょうたる人心と、乱れとぶ風説の坩堝るつぼとなってしまった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時は正徳三年八月の初め、七代将軍家継いえつぐの時代、江戸は驕者の坩堝るつぼとなって、何処どこの社会でも、金が慾しくて慾しくてたまらなかった頃のことでした。
大江戸黄金狂 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
パリーと少年、一つは坩堝るつぼであり一つはあけぼのであるこの二つの観念をこね合わし、この二つの火花をうち合わしてみると、それから一つの小さな存在がほとばしり出る。
持っているだけのダイヤを全部坩堝るつぼに入れて融合させようと思ったところが、もともと炭素のかたまりであるダイヤは、たちまち一陣の炭酸瓦斯ガスと変じて、空中にき消えたという昔話があります。
科学が臍を曲げた話 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
高等小学校の理科の時間にTK先生という先生が坩堝るつぼの底に入れた塩酸カリの粉に赤燐せきりんをちょっぴり振りかけたのをむちの先でちょっとつつくとぱっと発火するという実験をやって見せてくれたことを
追憶の冬夜 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
高廉は望楼から下りるまでもなく、脚下いちめん殺戮さつりく坩堝るつぼを見、城中に入った敵の奇功を察し、もうこれまでと観念の目をふさいでいた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
氏子中の町々を興奮の坩堝るつぼにし、名物の十一本の山車だしが、人波を掻きわけて、警固の金棒の音、木遣きやりの声、金屏風の反映する中をねり歩いたのです。
中には種々なものがはいっていた、弾丸の鋳型、弾薬莢だんやくきょうを作るに用いる木製の軸、狩猟用の火薬の粒がはいってるはち、内部には明らかに鉛をとかした跡が残ってる小さな坩堝るつぼ
だからもう一度生れ変ってくることだね。真鍮しんちゅう屑金くずがねとして、もう一度製錬所せいれんじょへ帰って坩堝るつぼの中でお仲間と一緒に身体をかすのだよ。そしてこの次は、りっぱなもくねじになって生れておいで
もくねじ (新字新仮名) / 海野十三(著)
すると、主人の六郎左衛門は、いそいで血判の誓書をひらいてみた。間違いなく、昨年の四月、赤穂城の昂奮の坩堝るつぼのうちで自分の書いたものである。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家の中は、さながらの坩堝るつぼでした。中からはほのおもよくは見えませんが、綿のやうな烟が渦を卷いて、クワツとしたものが引つ叩くやうに顏を打つのです。
それは驚くべき恐るべき試練であって、それを受くる時、弱き者は賤劣せんれつとなり強き者は崇高となる。運命があるいは賤夫をあるいは半神を得んと欲する時、人を投ずる坩堝るつぼである。
一瞬は、歓呼とどよめきの坩堝るつぼであった。彼らにとって、信長こそ、わが子以上のものであり、わが良人つま以上のものであり、恋人以上の恋人であった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸の賑ひを集め盡したやうな淺草の雜沓ざつたふは、この意味もなく見えるさゝやかな事件を押し包んで、活きた坩堝るつぼのやうに、刻々新しいたぎりを卷き返すのです。
愛は男女の融合が行なわれる崇高な坩堝るつぼである。一体と三体と極体と、人間の三位一体がそれから出てくる。かく二つの魂が一つとなって生まれ出ることは、影にとっては感動すべきことに違いない。
どこからとなくきあがった歓呼から歓呼の波をんで、そのまま街中は灯と踊りと酒と歌と音楽の坩堝るつぼになった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大晦日の江戸の街は、一瞬転ごとに、幾百人かずつ最後の足掻あがきの坩堝るつぼの中に、眼を覚さして行くのでしょう。