利根とね)” の例文
矢張りそんなところから大正七年の秋に、ひとつ利根川のみなかみを尋ねて見ようとこの利根とねの峽谷に入り込んで來たことがあつた。
みなかみ紀行 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
「鎌倉表の同勢五十人ほどの一隊が、これへまいるとの知らせです。いや、すでに利根とねの渡しへかかっているよしにございますが」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
千葉ちば埼玉さいたま、あの大河たいが流域りうゐき辿たど旅人たびびとは、時々とき/″\いや毎日まいにちひとふたツは度々たび/″\みづ出會でつくはします。これ利根とねわすぬまわすみづんでる。
人魚の祠 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
一方は茫々ぼうぼうたる平原さ、利根とねがはるかに流れてね。一方はいわゆる山また山さ、その上から富士がちょっぽりのぞいてるなんぞはすこぶる妙だ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
利根とねの上流の川場附近でミズハカリドリというのは(川口氏)、あるいは雨降る中を飛びまわるからの名であろうが。
正保図には利根とね勢多せた二郡及下野しもつけとの境に「さく山」と記入してある。貞享元年九月二十九日の序ある古市剛の『前橋風土記』には、山川部の根利諸山の項に
皇海山紀行 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
利根とね水源すゐげん確定かくていし、越後えちごおよ岩代いわしろ上野かうずけの国境をさだむるを主たる目的もくてきとなせども、かたは地質ちしつ如何いかん調査てうさし、将来しやうらい開拓かいたくすべき原野げんやなきやいなや良山林りやうさんりんありやいなや
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
お伝は、上州沼田というところの御家老の落し種で、利根とねの方の農家おひゃくしょうのところで生れたのだそうだから。
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
大きな川の鮎は、それとはちがふ。利根とね川、荒川、那珂なか川のやうに河口から上流数里乃至二三十里の間に潮の影響のある川は、川底が小砂であるから水垢がつかない。
水垢を凝視す (新字旧仮名) / 佐藤垢石(著)
それに人気もあまりよいほうではない、発戸ほっと上村君かみむらぎみ下村君しもむらぎみなどいう利根とね川寄りの村落では、青縞あおじま賃機ちんばたが盛んで、若い男や女が出はいりするので、風俗もどうも悪い。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
平野を流れる利根とねなどと違い、この川の中心は岸のどちらかに激しく傾いている。私達は、この河底のあらわれた方に居て、溝萩みぞはぎの花などの咲いた岩の蔭で、二時間ばかりを過した。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この鞘は主に利根とね白沢しろさわ高平たかひらの産だといいます。ごく小型のものなどに特に愛すべき品があります。沼田では金物にも火箸ひばし灰均はいならしなどの野鍛冶のかじの技で野趣あるものを見かけます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「海上潟」は下総しもうさ海上うなかみ郡があり、即ち利根とね川の海に注ぐあたりであるが、この東歌で、「右一首、上総国かみつふさのくにの歌」とあるのは、いにしえ上総にも海上郡があり、今市原郡に合併せられた
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
田舎いなかに婚礼があり帰っていたが、またしても利根とね河原かわらで馬を駆り、石につまずいて馬が前踣まえのめりに倒れると同時に前方へ投げ出され、したたか頭を石塊いしころに打ちつけ、そのまま気絶したきり
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
又信濃越中出羽陸奥也、常陸ひたちにもありときゝつ。これらの国の鮏はその所の食にあつるにるのみ、通商つうしやうするにたらず。江戸は利根とね川にありといへどもまれなるゆゑ、初鮏はつさけ初鰹はつかつをあたひすとぞ。
三十一日は利根とねわたしを越えて、中田の駅を過ぎる。
寄席と芝居と (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
利根とね(唯円の娘) 九歳
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
したがつて越後と上野の国界とすべき所もさだまり、利根とね山奥の広袤こうばう概算がいさんするを得たり、此上は上越二国の間によこたはれる利根とねの山脈に攀登はんとうし、国界をさだめて之を通過つうくわ
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
その翌年の一月には、時雄は地理の用事で、上武の境なる利根とね河畔かはんに出張していた。彼は昨年の年末からこの地に来ているので、家のこと——芳子のことがことに心配になる。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
例えば上総かずさから北へ、利根とね川を渡って茨城県の一部まで、雀をノキバという村が沢山たくさんある。
利根とねわたし
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
私は前かた上州の利根とねの奥に遊んでいて、偶然に路傍にこの草の一群を見たことがある。
かつく沼岸には岩代上野の県道即ち会津あいづ街道かいどうありて、かたはらに一小屋あり、会津檜枝岐村と利根とね戸倉村とくらむらとの交易品を蔵する所にして、檜枝岐村より会津の名酒を此処にはこけば
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
そこからは利根とね渡良瀬わたらせの二つの大きな河が合流するさまが手に取るように見える。栗橋の鉄橋の向こうに中田の遊廓の屋根もそれと見える。かれはしばし立ちどまって、別れて来た女のことを思った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
利根とね鬼怒川きぬがわとのはげしい浸蝕によって、下流の地盤を低めた結果、この辺一帯のヤチの水がこれに誘われて、その跡を水田とすることができた。五行川・蚕養川はいわば排水きょである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
後に大阪府でも奈良県でも、同じ言葉があることを聴いて、むしろ遠方の一致を珍らしく感じたことである。下総の利根とね川べりに来て見ると、子供は皆この草をヨッパライと呼んでいた。
ほかの地方ではまったく例を知らぬけれども、下総しもうさ利根とね川両岸の谷原には、往々にしていわゆる特殊部落の占めている者がある。よく彼は何村の谷原だなどといって餌取を意味していた。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
(郷土研究一編。群馬県利根とね郡川場村川場湯原)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)