鬢髪びんぱつ)” の例文
久しぶりに十兵衛は、父の血色に壮者のような紅味あかみを見た。しかし云い終るとすぐ、鬢髪びんぱつしもをそそげ立てて烈しくった。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山下さんは古い法学士で、鬢髪びんぱつ既に霜を置いているのに、二流会社の一課長に過ぎない。五六年前までは平社員で通して来た。
嫁取婿取 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
年の格好は五十歳あまりで、鬢髪びんぱつに塩をまじえている。太くうねっている一文字の眉は、臥蚕がさんという文字にうってつけである。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
散らし髪同然に、鬢髪びんぱつは乱れ、目はうつろに、顔は歪み、着物の前はすっかりはだかって、何ともかとも言いあらわしようの無いていたらくなのだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
再び頭上を見直すと、さきには忿怒瞋恚ふんぬしんいの形相のみが眼に入ったが、その頭上は人間的に鬢髪びんぱつが黒く、しかもおごそかな七宝瓔珞しっぽうようらくをかけている——
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
鬢髪びんぱついまださいわいにして霜を戴かざれど精魂漸く衰え聖代の世に男一匹の身を持てあぐみ為す事もなき苦しさに、江戸絵図を懐中ふところ日和下駄ひよりげた曳摺ひきずって
非常に年齢としの違った、しかも鬢髪びんぱつの既に半ば白い自分のようなものにむかって、彼女の小さな胸をひろげて見せるということが有り得るであろうかと。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
釈尊は娘をさとして出家せしめた。娘が道に対して始めて尊敬の念を起したのを釈尊が褒め給うと娘の鬢髪びんぱつはたちどころに落ちたと経典には書いてある。
阿難と呪術師の娘 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
六十あまりの小柄なからだつきで、鬢髪びんぱつはもう雪のように白かった、「先生はお留守にみえた方は、どなたに限らずお泊め申して置けとおっしゃってござりました」
内蔵允留守 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
いつか人生の半ばを通り越して鬢髪びんぱつとみに白きを加えた今日も、なお依然として私は分別盛りの情熱を、ただ書物を通して未知の女に憧れているばかりであった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
欄干にもたれて東海道を覗いた三島宿の代表者。……これが生得うまれつき絵を見ても毛穴が立つほど鼠がきらいなんだと言います。ここにおいて、居士が、騎士ナイト鬢髪びんぱつを染めた次第です。
半島一奇抄 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
蹈居ふみゐる土も今にやくづれなんと疑ふところ、衣袂いべい雨濃あめこまやかそそぎ、鬢髪びんぱつの風うたた急なり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
風はそよ吹きてすでに死せるがごとく横たわる浪子の鬢髪びんぱつをそよがし、医はしきりに患者のおもてをうかがいつつ脈をとれば、こなたに立てる看護婦が手中の紙燭ししょくはたはたとゆらめいたり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
(云う声はしだいにうわれて、鬢髪びんぱつそよぎ、顔色すさまじ、下の方の木かげより以前の雨月忍び出で、息をのんで内の様子を窺う。玉虫はかくとも知らず、更に祭壇のかたを指さす。)
平家蟹 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
かつて海舟勝翁に聞く、翁の壮なるや、佐久間象山の家において、一個の書生を見る。鬢髪びんぱつよもぎの如く、癯骨くこつ衣にえざるが如く、しこうして小倉織の短袴たんこを着く。曰く、これ吉田寅次郎なりと。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
青年期には冷厳いやしくもせず、果敢な闘士的風格を備えて、才気縦横、ひとたび論敵を前にすれば否が応でも相手の屈服するまで追いつめねば止まなかった男が、鬢髪びんぱつ霜を加えるに及んで
早稲田大学 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
そう云う場合にはいつも帽子を被らず、長く伸ばして漆のような鬢髪びんぱつを風に吹かせて、六尺近い偉大な体躯をゆらり/\と運ばせる様子が、いかにも立派で堂々として聊か下品でも滑稽でもなく
金色の死 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
生活の試練鬢髪びんぱつ為に白い
智恵子抄 (新字旧仮名) / 高村光太郎(著)
だからひとたび、はなしが藤井紋太夫のことにおよぶと、思わず鬢髪びんぱつはそそけだち、悲涙は滂沱ぼうだとしてとどまることを知らない。憤怒の底から
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二人の目がそそがれるあたりに立った人影は、年のころ、五十あまり、鬢髪びんぱつはそそげ、肩先はげおとろえ、指先がかぎのように曲った、亡霊にも似た男——
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
めっきり鬢髪びんぱつも白くなり、起居振舞たちいふるまいは名古屋人に似て、しかも容貌ようぼうはどこか山国の人にも近い感じのする主人公が、続いて半蔵らを迎えてくれる。その人が勝重の父親だ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
銀色の鬢髪びんぱつかすかに震えている、ひき結んだ唇にも、しわを畳んだ赭顔あからがおにも、火桶ひおけの上にさし伸ばした拳の動きにも……老人の心を大きくった感動の色が歴然と刻まれていた。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そして、呂布にえっし、云々しかじかと仔細を告げて、玄徳から曹操へ宛てた返簡を見せると、呂布は、鬢髪びんぱつをふるわせて、激怒した。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
残月は冷やかに、彼の乱るる鬢髪びんぱつの一すじ一すじを照らしていた。霜は彼の涙に溶けても、土は物云わず、風も答えない。
剣の四君子:04 高橋泥舟 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孤高独行、故郷や肉親の縁も薄く、生涯を雲や水にまかせて流寓るぐうをかさねて来た武蔵も、もうその時は五十歳の半ばを過ぎ鬢髪びんぱつには白い霜が見えていたであろう。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしいまは、その当時、世間を騒がせた噂など、誰も忘れて、彼の真っ白な鬢髪びんぱつを見るものは
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一別以来、いつか数年、想わざりき将軍の鬢髪びんぱつ、ことごとく雪の如くなるを。——昔それがし壮年の日、親しく教えをこうむりしこと、いまも忘却は仕らぬ。今日、幸いにお顔を
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さかのぼるので舟脚ふなあしが遅い、おもてかすめる飛沫しぶきの霧! 息づまりそうな川風に鬢髪びんぱつが立つ。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小野寺十内の子、幸右衛門は鬢髪びんぱつを振り乱して働いていた。近習部屋からガバと起きて
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わが鬢髪びんぱつの霜に気づいて、彼が見まわした彼の境遇はそんな中にあったのである。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
問われたことには答えもせず、おもてを振って鬢髪びんぱつのみだれを掻きあげながら
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、まなじりに血をにじませ、藺笠いがさのうちに鬢髪びんぱつをブルブルとふるわせた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ねごうてもない良縁ではありますが、玄徳も大丈夫を以て任じてはいるものの、年すでに五十、ご覧のごとく、鬢髪びんぱつにはやや白いものを呈しておる。聞説きくならく、呉侯のお妹は、なお妙齢佳春の人という。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「雪か、わが鬢髪びんぱつか。思えばちんも老いたが、また帷幕いばくの諸大将も、多くは年老い、冬の陣も耐うるにこたえてきた。しかし関興、張苞ちょうほうの若いふたりが役立ってきたので、朕も大いに気づよく思うぞ」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鬢髪びんぱつさかになでる海風とが、人殺しの快味をあおるのではありますまいか、——また、刀を呼びよせるような女の悲鳴と、刀につられ込んでいくかれの血を好む本能も、因果な一筋の糸になって
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
劉表の鬢髪びんぱつはふるえを見せていた。蔡瑁は今こそと、馬をすすめて
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長坂橋以来の英傑も、ようやく今は老いて、鬢髪びんぱつも白くなっていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
悲憤のあまり彼の鬢髪びんぱつはそそけ立って燈影ほかげにおののきふるえていた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、悪来も本気になって、生涯初めての脂汗あぶらあせをしぼって闘った。しかし許褚はごうも乱れないのである。いよいよ、勇猛な喚きを発して、一電、また一閃、その剣光は、幾たびか悪来の鬢髪びんぱつをかすめた。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
落胆どころの程度でなく、鬢髪びんぱつおののくような怒りをなした。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
白い鬢髪びんぱつはそそけ立つばかりである。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)