雲泥うんでい)” の例文
すなわち花はまこと美麗びれいで、つ趣味にんだ生殖器であって、動物のみにくい生殖器とは雲泥うんでいの差があり、とてもくらべものにはならない。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
そして女世帯らしい細やかさとにおいとが、家じゅうに満ちていて、どこからどこまで乱雑で薄汚ない彼の家とは雲泥うんでい相違そういだった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
されどよほど彩色等丁寧になり、昔わが子供(六十年前)時代の浅草紙にて張れる疎雑そざつなる色彩のものとは雲泥うんでいの相違にて上等となつた。
江戸の玩具 (新字旧仮名) / 淡島寒月(著)
四畳の座敷に六人がいる格で一ぜんのお膳に七つ八つの椀茶碗わんぢゃわんが混雑をきわめてえられた。他目よそめとは雲泥うんでいの差ある愉快なる晩餐ばんさんが始まる。
水籠 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
義伝毒害の宿怨を忘れぬ阿波や、塩をめて皇学を起さんとしつつある公卿とは、その意気なり境遇なりが、あまりに雲泥うんでいな相違である。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲寅の歳、航海一条の口書に比する時は、雲泥うんでいの違というべし〔死に際して、なお口実の可否を論ず、これ死をいとしまずして、名を愛む所〕。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
菊五郎と鴈治郎とはもとより雲泥うんでいの相違あるものなれば並べていひいづるは誤りなれども近頃鴈治郎を見馴れし目より当年の菊五郎を思へば幕明きし時定木じょうぎ
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
東京に出てはわしも立派な田舎者だが、田舎ではこれでもまだ中々ハイカラだ。儂の生活状態も大分変った。君が初めて来た頃のあのあばら家とは雲泥うんでいの相違だ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その元日も此雪国の元日もおなじ元日なれども、大都会たいとくわい繁花はんくわ辺鄙へんひの雪中と光景ありさまかはりたる事雲泥うんでいのちがひなり。
なお金銭におけるごとく、プラスマイナス出入でいりの相違は天地懸隔けんかく月鼈げつべつ雲泥うんでい、駿河台の老婦人もまたこの般の人なりき。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「どうして、そうでねえ。」新吉は目眩まぶしそうな目をパチつかせた。「君にゃよくしてるし、客にも愛想はいいし、己ンとこの山の神に比べると雲泥うんでいの相違だ。」
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
不満のはなはだしきなり。甲寅の歳、航海一条の口書に比するときは雲泥うんでいちがひといふべし。
留魂録 (新字旧仮名) / 吉田松陰(著)
そして其の頃は若殿と草履取とはお羽振が雲泥うんでいの違いであります、源次郎はずっと出て来て
これは何人なんぴとでも経験あることであろう。同一の人を評するに敵意をもってすると好意をもってするとはその結果において実に雲泥うんでいの差がある。すぐれた人を評するにつけても
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
図のこなし方に大時代おおじだいの風があって、近頃の小器用な弱々しいものとは雲泥うんでいの差があります。雑器の一つではありますが、今描く漆絵うるしえとしては最も立派なものといえましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
なんと云っても、むかしは万事が鷹揚おうようであったから、今日のように柚湯とは名ばかりで、風呂じゅうをさがし廻ってわずかに三つか四つの柚を見つけ出すのとは雲泥うんでいの相違であった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
時々図抜ずぬけた大きな声で先生とう。先生にはこたえた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥うんでいの差だ。何だか足の裏がむずむずする。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ケチなやつからお説教されて、眼がさめたなんて者は、古今東西にわたって一人もあったためしが無えんだ。姉と弟でも、ママとあいつとではまるで、雲泥うんでいのちがいなんだからなあ、いやになるよ
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
もとより行友君という人がそういう人だから内容精神に触れるというわけには行かないが、それにしても練れば練るだけのことはある、最初の原稿とは雲泥うんでいの相違ある巧妙な構図が出来上って来た
生前身後の事 (新字新仮名) / 中里介山(著)
これらの選び方によって効果には雲泥うんでいの差が生じるのである。
映画芸術 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
死体をゴミ箱へ隠したりした手際とは雲泥うんでいの相違だ。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ここの大局では、戦場の規模きぼ、戦いのかけひき、雲泥うんでいのちがいです。すべて堂上方のみでなく、世上の武士も、ちと楠木の名を
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その元日も此雪国の元日もおなじ元日なれども、大都会たいとくわい繁花はんくわ辺鄙へんひの雪中と光景ありさまかはりたる事雲泥うんでいのちがひなり。
帰路きろ闇川橋やみがはばしとほりけるに、橋姫はしひめみやのほとりにて、たけたかくしたゝかなる座頭ざとうばう、——としてあるが、宇都谷峠うつのやたふげとは雲泥うんでい相違さうゐのしたゝかなるとばかりでも一寸ちよいとあぶみくぼませられる。
怪力 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
身を売る時はじつにあわれむべく、また尊敬すべき動機に基づくも、爾後じご三年ないし五年の後、彼らの心理を統計に現すことを得たなら、その性格の一変し、当初とは雲泥うんでいの差あるを発見するであろう。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
亀井さんの御主人は、本当にまめで、うちの主人とは雲泥うんでいの差だ。
十二月八日 (新字新仮名) / 太宰治(著)
羅門のさばきは、いつも奥床おくゆかしかった。得手勝手な東儀与力とは、その実力はもちろん、人格においても、雲泥うんでいの差である。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
至善しぜん大道たいだう遊芸いうげい小技せうぎ尊卑そんひ雲泥うんでいは論におよばざれども、孔子七十にして魯国ろこく城北しろのきた泗上にはうふり心喪こゝろのもふくする弟子でし三千人、芭蕉五十二にして粟津の義仲寺にはうむる時まねかざるに来る者三百余人
その品質ひんしつと、同僚どうりょうに及ぼす感情には雲泥うんでいの差を起こす。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
問「では話をかえて。——当今の武士のすたれは嘆かわしい。裏切り、偽セ降参などは朝飯前。これを源平時代の武士にくらべると、雲泥うんでいのちがいですが」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
至善しぜん大道たいだう遊芸いうげい小技せうぎ尊卑そんひ雲泥うんでいは論におよばざれども、孔子七十にして魯国ろこく城北しろのきた泗上にはうふり心喪こゝろのもふくする弟子でし三千人、芭蕉五十二にして粟津の義仲寺にはうむる時まねかざるに来る者三百余人
あれから、何処かでたっぷりと米の飯が腹におさまったものとみえて、次郎は、昼間ここの甘酒の釜の前でションボリしていた元気とは雲泥うんでいの差であります。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雪のため種々しゆ/″\遊楽いうらくをなす事枚挙あげてかぞへがたし。雪をしやうするのはなはだしきは繁花はんくわのしからしむる所也。雪国の人これを見、これをきゝうらやまざるはなし。我国の初雪を以てこれにくらぶれば、たのしむくるしむ雲泥うんでいのちがひ也。