通人つうじん)” の例文
私たちの若い時は羽織のもんが一つしきゃないのを着て通人つうじんとか何とかいって喜んでいた。それが近頃は五つ紋をつけるようになった。
模倣と独立 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
通人つうじんめいた頭巾なんかかぶりやがって、丹三の野郎、おつに片づけやがったなと、まず坊主頭がせいぜいいきり立って突っかかった。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「世間体は良い男だったが、通人つうじんとか、わけ知りとかいう者は、大方こうしたものだろう。お互に野暮ほど有難いものはねえ」
ゑんじゆと云ふ樹の名前を覚えたのは「石の枕」と云ふ一中節いつちうぶし浄瑠璃じやうるりを聞いた時だつたであらう。僕は勿論一中節などを稽古するほど通人つうじんではない。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
通人つうじんが少なくなったのだろう」と、半七も笑った。「おめえなら知っているだろうが、伊勢屋に贔屓ひいきの相撲があるかえ」
半七捕物帳:67 薄雲の碁盤 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しかし目に見えない将来の恐怖ばかりにみたされた女親の狭い胸にはかかる通人つうじんの放任主義は到底れられべきものでない。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ひと口に申しますれば通人つうじんがったり大人物がったりする人々には、余り賞されないのみならず、あるいはクサされる傾きさえある人でありますが
芸妓の芸が音曲舞踊の芸ではなくして枕席ちんせきの技巧を意味せられる時代には、通人つうじんはもはや昔のように優れた享楽人であることを要しないのである。
享楽人 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
これはめしのものである。だから、握りずしで食うのが第一、熱飯あつめしの上に載せて食うのが第二である。まぐろの茶漬けなぞも通人つうじんのよろこぶものである。
鮪を食う話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
尤もこういう風采ふうさいの男だとは多少うわさを聞いていたが、会わない以前は通人つうじん気取りの扇をパチつかせながらヘタヤタラとシャレをいう気障きざな男だろうと思っていた。
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
その時この通人つうじん数多あまたの婦人を呼び出し、友人のためにその経歴を紹介しょうかいしたが、かくするあいだについ三、四ヵ月前に来た新しき女があったが、あれはどうしたかと
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「あの腰付こしつきを御覧なさい」と村での通人つうじん仁左衛門さんが嘆美する。「星合団四郎なンか中々強いやつが向う方に居るのですからナ」と講談物こうだんもの仕入れの智識をふり廻す。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
雲洲うんしゆうの隱居南海殿なんかいどの、次男雲川殿、しばしば遊びたまへり。此處殿は、其ころ大名の通人つうじんなり。諸家の留守居、府下の富高の振舞、みな升屋定席、その繁昌比すべきなし。
花火と大川端 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
私の家は商家だったが、旧家だったため、草双紙、読本その他寛政かんせい天明てんめい通人つうじんたちの作ったもの、一九いっく京伝きょうでん三馬さんば馬琴ばきん種彦たねひこ烏亭焉馬うていえんばなどの本が沢山にあった。
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
「ひろはゞ消えなむとにや、これもけしかるわざかな」と随身ずいじんの男に祝儀しゅうぎをおつかわしになったりした院の御様子はどこか江戸の通人つうじんに似たようなふしもあるではないか。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「……成程なるほど、心意気かえ。……じゃあ他人から何もおせッかいはらない事。おまえさんも、二、三年辰巳へ商いに来たおかげで、たいそう深川の水にみた通人つうじんにおなりだね。じゃあ来年またおいで」
春の雁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ガーツルード。芝居の通人つうじんは、そんなわかり切った事は言わぬものです。さあ、皆もお坐り。うむ、なかなか舞台もよく出来た。ポローニヤスの装置ですか。意外にも器用ですね。人は、それでも、どこかに取柄とりえがあるものだ。」
新ハムレット (新字新仮名) / 太宰治(著)
「世間體は良い男だつたが、通人つうじんとか、わけ知りとか言ふ者は、大方斯うしたものだらう。お互に野暮ほど有難いものはねえ」
芸妓、紳士、通人つうじんから耶蘇ヤソ孔子こうし釈迦しゃかを見れば全然たる狂人である。耶蘇、孔子、釈迦から芸妓、紳士、通人を見れば依然として拘泥こうでいしている。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし目に見えない将来の恐怖きようふばかりにみたされた女親をんなおやせまい胸にはかゝ通人つうじん放任はうにん主義は到底たうていれられべきものでない。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
が、もし不幸になるとすれば、のろわるべきものは男じゃない。小えんをそこに至らしめた、通人つうじん若槻青蓋わかつきせいがいだと思う。
一夕話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
まぐろはいつ頃、どこでれたのが美味いとか、たいはどうして食べるべきであるとかいうようなことを知っているのが、いかにも料理の通人つうじんのごとく思われている。
味覚馬鹿 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
さてもそののち室香むろかはお辰を可愛かわゆしと思うより、じょうには鋭き女の勇気をふり起して昔取ったる三味しゃみばち、再び握っても色里の往来して白痴こけの大尽、なま通人つうじんめらがあい周旋とりもち
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
通人つうじんである芦船は、求めずしてその道の人たちとも社交まじわりがあったので、むしろ団十郎の方が、新しい思いつきとして、または自分の好きな道を舞台にとりいれたのかもしれない。
平中はそんな気持であった。漁色家の心理と云うものは、王朝時代の搢紳しんしんも江戸時代の通人つうじんと同じようなもので、過ぎ去った女のことに後々までこだわっているつもりはなかった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
いわゆる通人つうじんにはとても成り得そうもない外記は、そこらに迷っている提灯の紋をうかがっても、鶴の丸は何屋の誰だか、かたばみはどこの何という女だか、一向に見分けが付かなかった。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
木母寺もっぽじには梅若塚うめわかづか長明寺ちょうみょうじ門前の桜餅、三囲神社みめぐりじんじゃ、今は、秋葉あきば神社の火のような紅葉だ。白鬚しらひげ牛頭天殿ごずてんでんこい白魚しらうお……名物ずくめのこの向島のあたりは、数寄者すきしゃ通人つうじんの別荘でいっぱいだ。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
二葉亭を何といったらかろう。小説家型というものをあながち青瓢箪的のヒョロヒョロ男と限らないでも二葉亭は小説家型ではなかった。文人風の洒脱しゃだつな風流通人つうじん気取きどり嫌味いやみ肌合はだあいもなかった。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
○○と云う人に今日の会で始めて出逢であった。あの人は大分だいぶ放蕩ほうとうをした人だと云うがなるほど通人つうじんらしい風采ふうさいをしている。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼等通人つうじんはらの中では如何いかに人生の暗澹あんたんたるものかは心得てゐたのではないであらうか? しかもその事実を
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そんなところから、通人つうじんは柳川で一杯などとシャレるに至ったものらしいということだ。
一癖あるどじょう (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
お藏前の札差といへば、私たちは豪富な町人で通人つうじんで、はじめから言ふ目の出た暮しをしてゐたものと、頭から特別階級のやうに思ひこんでゐたが、はじめはさうではなかつたのだ。
花火と大川端 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
通人つうじんを以て自任じにんする松風庵蘿月宗匠しょうふうあんらげつそうしょうの名にはじると思った。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その上そこにいる若槻自身も、どこか当世の浮世絵うきよえじみた、通人つうじんらしいなりをしている。
一夕話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
雑炊の上から煎茶せんちゃのうまいのをかけて食べるのもよい。通人つうじんの仕事である。水戸みと方面の小粒納豆があれば、さらに申し分ないが、普通の納豆でも結構いただけることを、私は太鼓判たいこばんして保証する。
通人つうじんもつ自任じにんする松風庵蘿月宗匠しようふうあんらげつそうしやうの名にはぢると思つた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
むかしの通人つうじんはそんな風流をして遊んだそうだ」
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
現に古風な家の一部や荒れ果てた庭なども残つてゐる。けれども硝子ガラスへ緑いろに「食堂」と書いた軒燈けんとうは少くとも僕にははかなかつた。僕は勿論「橋本」の料理を云々うんぬんするほどの通人つうじんではない。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)