私語ささや)” の例文
舷側に私語ささやく海の言葉を聞き乍ら、美しい日輪の下で久し振りにボルトの頭へスパナアを合わせたりするのが此の上なく嬉しかった。
上海された男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
優美なお新の風俗は人の眼を引きやすかった。湯治場行の客らしい人達の中には二人の方を振返って、私語ささやき合っているものも有った。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
何方どつちいたツて、人の影が一つ見えるのではない。何處どこまでもくらで、其の中に其處そこらの流の音が、夜の秘事ひめごと私語ささやいてゐるばかり。
水郷 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
そうして明るい家のうちに陰気な空気をみなぎらした。母はまゆをひそめて、「また一郎の病気が始まったよ」と自分に時々私語ささやいた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「帰ってみて、もしくところがなくて困るような時には、いつでも遣って来るさ」浜屋は切符をわたすとき、お島に私語ささやいた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
時雨しぐれ私語ささやく。こがらしが叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かのごとく遠く飛び去る。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
なんに致しましても、わたくしがあの雪の大野ヶ原の中に立ちすくんでおりました時に、ふと、わたくしの耳許みみもと私語ささやく声がいたしました。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「奥坐舗は」と聞耳を引立てれば、ヒソヒソと私語ささやく声が聞える。全身の注意を耳一ツに集めて見たが、どうも聞取れない。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
稚い緑りの草の葉は、時々微風にそよいでかすかに私語ささやくことさへあるが、マルゲリトは何時も静かに深い沈黙に耽つて居る。
土民生活 (新字旧仮名) / 石川三四郎(著)
奎堂は追い詰められたごとく、やむなく矢沢の耳へ何ごとか私語ささやく。矢沢は卒然として色をなし、にわかに恐怖昏迷の体。
稲生播磨守 (新字新仮名) / 林不忘(著)
互いの挨拶あいさつが済むか済まないうちに、一同は田川夫人によりそってひそひそと私語ささやいた。葉子は静かに機会を待っていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
出る時、女が送って出て、「ぜひ近いうちにね、きっとですよ」と私語ささやくように言った。昨夜、床の中で聞いた不幸ふしあわせな女の話が流るるように胸にみなぎった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
小使こづかい看護婦かんごふ患者等かんじゃらは、かれ往遇ゆきあたびに、なにをかうもののごと眼付めつきる、ぎてからは私語ささやく。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
そうだ! 何と便利なことばを思いついてくれたろう!——と私がよろこんでいるうちに、むこうでさっさとそうきめてアルチスト・アルチストと私語ささやきあっている。
踊る地平線:01 踊る地平線 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
「とうとうやってきましたよ」しばらくすると男は私の肩を叩いて、低声こごえで私の耳に私語ささやいた。
動物園の一夜 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
その声の終るか終らないうちに表の方で急に拍手の音がして、楽屋口から四五人の男女がどやどやと入って来たが、団長の姿を見ると皆隅の方へかたまってこそこそと私語ささやいていた。
鉄の処女 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
これは皆村人にてしかも阿園の葬式の帰りなりき、佐太郎は再びがくとしてあたりのはぜの樹蔭に身を隠したり、群は何の気もつかず、サヤサヤと私語ささやきあいつ緩々ゆるゆるその前を通りすぎたり
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
暮れて行く空や水や、ありやなしやの小島の影や、山や蜜柑畑や、森や家々や、目に見るものがことごとく、藤さんの白帆が私語ささやく言葉を取り取りに自分に伝えているような気がする。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
耳許で嘲笑あざわらいされたり、私語ささやかれるような気がする。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
老博士は、僕の耳元へ、秘策を私語ささやいた。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
にぎやかな笑声が起った。隠し芸が始まったのである。若い娘や女中達は楽しそうに私語ささやき合ったり、互に身体を持たせ掛けたりして眺めた。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
やがてはねるころになって、瀬川は土産物みやげものなどを棧敷へ持ちこみ、銀子が独りでいるところを見て、にやにやしながら私語ささやいた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
かれは木の葉一つ落ちし音にも耳傾け、林を隔てて遠く響くわだちの音、風ありとも覚えぬに私語ささやく枯れ葉の音にも耳を澄ましぬ。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ついに、土地の甲乙丙丁はいつしか集まり集まって道庵先生の挙動に眼をとめつつ指差し合って、しきりに私語ささやくのを見る
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
奥さんは私の耳に私語ささやくような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「光りの髪のクララが行く」そういう声があちらこちらで私語ささやかれた。クララは心の中で主の祈を念仏のように繰返し繰返しひたすらに眼の前を見つめながら歩いて行った。
クララの出家 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「顔じゅうに毛の生えている女」のまえで、私がセ・ビアン! トレ・ビアンと大声を発したら、見物の善男善女ほおをかがやかしてトレ・ビアン! と和唱し私語ささやきあった。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
女などは、ベラ・キスは魔法を使うのだとひそひそ私語ささやき合っている。星占学を信ずる婦人を集めて、その一人ひとりに各自の算命天宮図という不思議なものを描いてやっているという。
生きている戦死者 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
それが、お妙にコソコソ私語ささやいている壁辰へ聞えてくる。壁辰は、早くいけッ! とお妙を白眼にらみつけてき立てながら、感づかれないように、喬之助のほうとも、言葉を合わせなければならない。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
群集はこの様子を見てまたザワザワと私語ささやき初めぬ
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
主人は或百姓家の庭の、藤棚ふじだなの蔭にある溝池どぶいけふちにしゃがんで、子供に緋鯉ひごいを見せているお島の姿を見つけると、傍へ寄って来て私語ささやいた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「オイ倉蔵、誰だな今怒鳴られているのは?」村長は私語ささやいた。倉蔵は手を以てこれを止めて、村長の耳のそばに口をつけて
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
隣の室では人が入ったり出たり、廊下を駈けたり、階段をけったり、私語ささやいたりしかったりする。思い合わすれば、たしかに変事があったに相違ない。
そして、家を持った年にはこういうことが有った、三年目はああいうことが有った、と平素ふだん忘れていたようなことを心の底の方で私語ささやいて聞かせた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチでみがき始めた。この男はこれが道楽である。赤シャツ相当のところだろう。ほかの連中は隣り同志で何だか私語ささやき合っている。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と祈るように私語ささやくのは、盲目の老婆の手を引いた、ベズイン族の少女である。両頬に三本細く文身いれずみしてるのが、青い鬚のように見える。「モハメッドのために」幾らかくれと言うのだ。
倉地が切符きっぷを買って来るのを待ってる間、そこに居合わせた貴婦人というような四五人の人たちは、すぐ今までの話を捨ててしまって、こそこそと葉子について私語ささやきかわすらしかった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
千浪も、私語ささやくように
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そうすると、問屋場の方から五六人かたまって私語ささやきながらこっちへ来る者があります。それは例の折助連おりすけれんであります。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
頬の肉付は豊麗ふっくりとして、眺め入ったような目元の愛くるしさ、口唇くちびるは動いて物を私語ささやくばかり、真に迫った半身の像は田舎写真師のわざでは有ませんのです。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
若林とお神は、次ぎの六畳で何か私語ささやいていたが、お神はやがて箪笥たんすのけんどんの錠をあけ、銀子の公正証書を取り出して来て、目の先きで引き裂いて見せた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
家をめぐりてさらさらと私語ささやくごとき物音を翁は耳そばだてて聴きぬ。こはみぞれの音なり。源叔父はしばしこのさびしきを聞入りしが、太息ためいきして家内やうちを見まわしぬ。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
自分の隣に坐っていたお重が「大兄さんの時より淋しいのね」と私語ささやいた。その時はしょうや太鼓を入れて、巫女の左右に入れう姿もちょうのように翩々ひらひら華麗はなやかに見えた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
中には男に孅弱しなやかな手を預け、横から私語ささやかせ、軽く笑いながら樹蔭を行くものもあった。妻とすら一緒に歩いたことのない原は、時々立留っては眺め入った。
並木 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのおかみさんが今、店頭の賑わいを前にして帳合ちょうあいをしている横の方から、若い女中が一人出て来て、おかみさんに向って私語ささやきましたから、おかみさんが
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
私語ささやくごとき波音、入江の南の端より白きすじて、走りきたり、これにしたり。潮は満ちそめぬ。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
お増は階下したへ降りると、奥へ引っ込んでいるお今に私語ささやいたのであったが、お今は応じなかった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私のそばへ来て、お前は卑怯ひきょうだと一言ひとこと私語ささやいてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私語ささやく声、軽く笑う声が、そこにも、ここにも起った。知らない男や女は幾群となく皆なの側を通過ぎた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「そんなものは一向、心当りはございません、ただわたくしのこの頭が、関ヶ原、関ヶ原と何か知らず私語ささやいて、見えない指さしが行先を指図してくれているんですね」
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)