かた/″\)” の例文
わたしは一新築しんちくのS、Hうちたいかた/″\、いつかはつてもいゝとおもつたが、せわしいときだしすここゝろ準備じゆんびをとゝのへたをりのことにしようとおもつた。
微笑の渦 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
壽阿彌は怪我の話をして、其末には不沙汰ぶさた詫言わびことを繰り返してゐる。「怪我かた/″\」で疎遠に過したと云ふのである。此詫言に又今一つの詫言が重ねてある。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
その麦飯主義もまだ十分で無いと見えて、高木氏はその後「裸頭跣足らとうせんそく」主義を標榜してゐるが、近頃また関西地方へお説教かた/″\出掛けて来るといつてゐる。
あにの云ふところによると、佐川の娘は、今度ひさぶり叔父おぢれられて、見物かた/″\上京したので、叔父の商用が済み次第又れられてくにへ帰るのださうである。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
やが父親てゝおやむかひにござつた、因果いんぐわあきらめて、べつ不足ふそくはいはなんだが、何分なにぶん小児こどもむすめはなれようといはぬので、医者いしやさひはひ言訳いひわけかた/″\親兄おやあにこゝろもなだめるため
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
いづれ參上仕候とくと可申上筈御座候得共、纔なか兩日之御滯留に而、とても罷出候儀不相叶候に付、以書面申上候間、かた/″\御汲取可下候。頓首。
遺牘 (旧字旧仮名) / 西郷隆盛(著)
さらば、なつかしきK先生、三国一の善光寺参拝かた/″\昔を偲ぶ虎之助さんの墓でも見に御出かけになりませんか。何もありませんけれども、蕎麦でも御馳走いたします。
田舎からの手紙 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
「実は……」夫人は、微笑を含みながら、一寸云ひ澱んだが、「今晩、演奏が済みますと、あの兄妹の露西亜ロシア人を、晩餐かた/″\帝劇へ案内してやらうと思つてゐましたの。 ...
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
これが多数の予想である。いづれ四月の各雑誌に流行服の写真が幾種もおほやけにせられ、其れを見て米国の贅沢ぜいたく女が電報で註文し、仮縫を身に合せかた/″\巴里パリイ見物に続続ぞくぞく遣つて来ると云ふ段取だんどりである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
ことわりのみにて今日けふ御入来おいでるまいとぞんじましたが、はからざるところ御尊来ごそんらい朋友ほういうもの外聞ぐわいぶんかた/″\誠に有難ありがたい事で恐入おそれいります……うもお身装みなり工合ぐあひ、おはかま穿はきやうからさらにおかざりなさらん所と
にゆう (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
かた/″\征伐の議は篤と御思案あってしかるべしとぞ申しける。
そのほか迎年げいねん支度したくとしては、小殿原ごまめつて、煑染にしめ重詰ぢゆうづめにするくらゐなものであつた。大晦日おほみそかつて、宗助そうすけ挨拶あいさつかた/″\屋賃やちんつて、坂井さかゐいへつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
仲のいゝ地主友達が意見かた/″\容子ようすを訊いてみると、長次郎氏はいつものやうに手首の珠数を爪繰つまぐりながら
そのうち刀が出來て來たので、伊織はひどく嬉しく思つて、恰も好し八月十五夜に親しい友達柳原小兵衞等二三人を招いて、刀の披露かた/″\馳走をした。友達は皆刀を褒めた。
ぢいさんばあさん (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
今度、閣下に対する債権を、私が買ひ占めましたことに就ても、屹度私をしからん奴だと、お考へになつたゞらうと思ひましたので、今日はお詫びかた/″\、私の志のある所を、申述べに参つたのです。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
聞き合せかた/″\行つて見様と云ふ気になつて、午後四時頃、高等学校の横を通つて弥生町の門から這入つた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
先書状延引御断かた/″\早々申上残候。恐惶謹言。八月二日。菅太中晋帥くわんたいちゆうしんすゐ。伊沢辞安様。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
三千代をれて国へ帰る時は、娘とともに二人ふたりの下宿を別々にたづねて、暇乞いとまごひかた/″\礼をべた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
出るには足がかりもなく、釜は熱く成かた/″\にて死に候事と相見え申候、母と嫁と小兒と丁穉一人つれ、貧道弟子杵屋きねや佐吉が裏に親類御坐候而それ立退たちのき候故助り申候、一つの釜へ父子と丁穉一人
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)