そも/\)” の例文
人の才は猶鉄の如し、鍛錬一たび成ればつひに変ずべからざる乎。そも/\亦修養の工夫くふう一簀いつきに欠かれて半途にして進歩を中挫せしか。
明治文学史 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
そも/\本朝の朝廷は、神代の初めより、殊なる御子細まします御事にて、異国の王の比類にあらず。下万民に至るまで、格別に有りがたき道理あり。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
そも/\将門少年の日、名簿を太政大殿に奉じ、数十年にして今に至りぬ。相国摂政しやうこくせつしようの世におもはざりき此事を挙げんとは。歎念の至り、言ふにからず。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
そも/\われは寄辺よるべない浮浪学生ふらうがくしやう御主おんあるじ御名みなによりて、もり大路おほぢに、日々にちにちかてある難渋なんじふ学徒がくとである。おのれいまかたじけなくもたふと光景けしき幼児をさなご言葉ことばいた。
そも/\、事業といふ字の普通の意義の中には、文学者が文章を書く事業の外のものを含みてあるなり。故に事業を以て文人を論ずるは、其真相を誤るの恐なき能はず。
賤事業弁 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
わたくしかんがへではこれそも/\生活せいくわつづくべきものだらうと。また有機體いうきたい下等かとうればけ、よりすくなものかんずるのでらうと、其故それゆゑによりよわ刺戟しげきこたへるのである。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
そも/\、此山と申すは、南は野山漫々まん/\として百餘里に及び、北は身延山高く峙ちて白根が嶽につづき、西には七めんと申す山峨々がゝとして白雪絶えず、人の住家一もなし、たま/\
そも/\燧山は岩代国にぞく巍峩ぎがとして天にひいで、其麓凹陥おうかんして尾瀬沼をなし、沼の三方は低き山脈を以て囲繞ゐげうせり、翻々たる鳧鴨ふわう捕猟ほりやうの至るなき為め悠々いう/\として水上に飛しやう
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
「わたくしの柏軒先生は死所を得たものだと云ふのは、そも/\理由のある事である。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そも/\此事の由来を尋ぬるに、んぬる弘治こうじ三年の秋薬師寺家の家老馬場和泉守石山本願寺の勢を頼みて主家を横領しければ、淡路守政秀公父祖代々の領地を被逐おはれ堺の津より中国へ落延おちのび給ひ
あの投機師やまし大洞おほほら利八と知り合におなりなすつたのがそも/\で、大洞も山木様の才気に目を着け、演説や新聞で飯のくへるものぢや無い、れからの世の中は金だからつてんでネ、御馳走ごちそうはする
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
そも/\、平和は吾人最後の理想なり。墳墓のほか吾人に休神せしむる者つひこれなからんか、吾人即ちまむ。
「平和」発行之辞 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
そも/\醍醐帝頃は後世から云へばまことに平和の聖世であるが、また平安朝の形式成就の頂点のやうにも見えるが、然し実際は何に原因するかは知らず随分騒がしい事もあり
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
きみ彼等かれらしんじなさるな。うそなのです。わたし病氣びやうきふのはそも/\うなのです。二十年來ねんらいわたしまちにゐてたゞ一人ひとり智者ちしやつた。ところれは狂人きちがひるとふ、是丈これだけ事實じゝつです。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
追記に所謂「昌平辺先生」とはそも/\誰をして言つたものであらうかと問ひたい。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そも/\此日や秋季皇霊祭にして満天まんてん晴朗せいらう、世人はさだめて大白をげて征清軍しんぐん大勝利だいしやうりしゆくするならん、余等一行も亦此日水源すいげん確定かくていするを得、帝国万歳のこえは深山にひびわたれり、水源の出処すであきらかなれば
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
此志保の生父はそも/\誰であらうか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)