年来ねんらい)” の例文
旧字:年來
、三このいのりをりかえしてうちに、わたくしむねには年来ねんらいみこと御情思おんなさけがこみあげて、わたくし両眼りょうがんからはなみだたきのようにあふれました。
しかし同病相憐あいあわれむという、僕自身もはなはだ気弱いことを感知し、これにつき年来ねんらい少しく工夫をらしている。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
耶蘇やそほど霊力れいりょくがあるなら、巳代吉の唖は屹度きっとなおる。年来ねんらい眼の前に日々此巳代吉にあらわるゝなぞを見ながら、かなしいかな不信ふしん軽薄けいはくの余には、其謎をき其舌のしばりを解く能力ちからが無い。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
愚僧は芝山内しばさんない青樹院せいじゅいんと申す学寮の住職雲石殿うんせきどの年来ねんらい父上とは昵懇じっこんの間柄にて有之候まゝ、右の学寮に寄宿つかまつり、従前通り江戸御屋敷おやしき御抱おかかえの儒者松下先生につきて朱子学しゅしがく出精罷在まかりあり候処
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
先生、諭吉に序文じょぶんめいず。諭吉は年来ねんらい他人の書にじょするをこのまずして一切そのもとめ謝絶しゃぜつするの例なれども、諭吉の先生における一身上しんじょう関係かんけいあさからずして旧恩きゅうおんの忘るべからざるものあり。
きみ彼等かれらしんじなさるな。うそなのです。わたし病気びょうきうのはそもそもこうなのです。二十年来ねんらいわたしはこのまちにいてただ一人ひとり智者ちしゃった。ところがそれは狂人きちがいであるとう、これだけの事実じじつです。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
しまひには泣出なきだすと、外聞ぐわいぶんもあり、少焦すこぢれで、医者いしや可恐おそろしかほをしてにらみつけると、あはれがつてきあげるむすめむねかほをかくしてすがさまに、年来ねんらい随分ずゐぶんひとにかけた医者いしやつて腕組うでくみをして
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
くちにこそしませんが、わたくしこころでそうおもって、会釈えしゃくして洞窟いわや内部なかあゆりますと、はやくもそれとさっしておくかたからおましになられたのは、わたくし年来ねんらいしたもうしていた弟橘姫様おとたちばなひめさまでございました。
エヒミチははじめの一分時ぷんじは、なん意味いみもなく書物しょもつはなれ、ダリュシカと麦酒ビールとにわかれて、二十年来ねんらいさだまったその生活せいかつ順序じゅんじょやぶるとうことは出来できなくおもうたが、またふかおもえば、市役所しやくしょでありしこと
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
 年来ねんらい 多病たびょうにして前因ぜんいんを感じ
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)