もつぱ)” の例文
旧字:
ついでに日本人は平気で鳥打帽をかぶるが、巴里パリイではもつぱら労働者のかぶるものである。シテエ・フワルギエエルの十四番地へ来ると徳永はう起きて居た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
この男はその手紙によると、二十一の年につんぼになつて以来、廿四の今日まで文筆を以て天下に知られたいと云ふ決心で、もつぱ読本よみほんの著作に精を出した。
戯作三昧 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
英国王ノ行ヒヲ論ズレバ不仁惨酷ノ他ニ記スベキモノナク、もつぱラ暴政ヲ以テ我諸州ヲ抑圧セリ。今その事実ヲ枚挙シ之ヲ世界ニ布告シテ其明論ヲ待ツベシ。
唯継は近頃彼のもつぱら手習すと聞きて、その善きおこなひを感ずるあまりに、良き墨、良き筆、良きすずり、良き手本まで自ら求め来ては、この難有ありがたき心掛の妻におくりぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
それから趙州の観音院に移つて、始めて人を得度とくどし出した。さうして百二十の高齢に至る迄化導けだうもつぱらにした。
点頭録 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
もつぱら支那風のしゆう身学を修めさせまして、書物なども、劉向列女伝リユウキヤウれつじよでんなどと申す様なものばかり読ませておりましたから、私もいつとはなくその方にのみ感化されまして
こわれ指環 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
されば日本の百姓たるものは、自らが天皇の大御宝おほみたからたることをかしこみ、もつぱらこの道をつとめ、国に三年の蓄へあり、人に三年のかてあり、而して後に四方経営をさかんにすべきなり。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
訳者は今の日本詩壇にむかひて、もつぱらこれにのつとれと云ふ者にあらず、素性の然らしむる処か、訳者の同情はむしろ高踏派の上に在り、はたまたダンヌンチオ、オオバネルの詩に注げり。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
婀娜あだたる容姿は陽春三月の桜花をして艶を失はしめ、腕のすごさは厳冬半夜のお月様をしておもておほはしめたり、新橋両畔の美形雲の如き間に立ちて、独り嬌名けうめいもつぱらにせる新春野屋の花吉が
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
もつぱら賞勲の公平をつかさどつて
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
もつぱ目的めあては不尽の山
畑の祭 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
東へお立ちなされ候大名衆の人質ひとじちをとられ候よし、もつぱ風聞ふうぶん仕り候へども、如何いかが仕るべく候や、秀林院様のお思召おぼしめしのほども承りたしとのことに有之候。
糸女覚え書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
其間そのあひだ余程よほど文章を修行しゆぎやうしたものらしい、増上寺ぞうじやうじ行誡上人ぎやうかいしやうにん石川鴻斎翁いしかはこうさいおうの所へ行つたのはすべ此間このあひだの事で、してもつぱ独修どくしうをした者と見える、なんでも西郷隆盛論さいごうたかもりろんであつたか
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
此女は愛をもつぱらにする時機が余り短かぎて、親子おやこの関係が容赦もなく、若いあたまうへを襲つてたのに、一種の無定を感じたのであつた。それは無論堅気かたぎの女ではなかつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
満枝はあるじ挨拶あいさつして、さて荒尾に向ひては一際ひときは礼を重く、しかもみづからは手の動き、目のるまで、もつぱら貴婦人の如く振舞ひつつ、むともあらずおもてやはらげてしばらことばいださず。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
与作病死のみぎりより、もつぱら切支丹宗門に帰依きえ致し、隣村の伴天連ばてれんろどりげと申す者方へ、繁々出入でいり致し候間、当村内にても、右伴天連のてかけと相成候由、取沙汰致す者なども有之、兎角の批評絶え申さず
尾形了斎覚え書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
あるじ夫婦をあはせて焼亡しようぼうせし鰐淵わにぶちが居宅は、さるほど貫一の手にりてその跡に改築せられぬ、有形ありがたよりは小体こていに、質素を旨としたれどもつぱさきの構造をうつしてたがはざらんとつとめしに似たり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
さて雑誌を出すについては、前々ぜん/\から編輯へんしうはう山田やまだわたしとが引受ひきうけて、石橋いしばしもつぱ庶務しよむあつかつてたので、三人さんにん署名人しよめいにんとして、明治十九年の春にあらためて我楽多文庫がらくたぶんこ第壱号だいいちがうとして出版した
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)