壬生みぶ)” の例文
「まあまあそのお若さで、一人しか女を。……でもお噂によれば、新選組の方々は、壬生みぶにおられた頃は、ずいぶんその方でも……」
甲州鎮撫隊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
私は嵐山電車の窓の中から菜畑を隔てゝ壬生みぶ狂言の舞台を見た記憶があるから、あの寺なども多分野原の中に建つてゐたのであらう。
青春物語:02 青春物語 (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
蓬子よもぎこ(常磐の忠実な召使い)牛若や乙若の子守もりをしていたが、今も壬生みぶ小館こやかたに仕え、文覚とは、保元の焦土で知りあった仲。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
壬生みぶの村から二条城まで、わざと淋しいところを選んで、通りを東に町をい、あてもなく辿たどり行く人影に見覚えがある。
昔もそういう例がたくさんあったのである。たとえば『和名鈔わみょうしょう』の郷名を見ても建部たけべとか壬生みぶとかその地に土着した人の姓をもって郷の名にしている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
切通しを通るまえに、湯島……その鳥居をと思ったが、縁日のほかの神詣かみもうで、初夜すぎてはいかがと聞く。……壬生みぶの地蔵に対するものは、この道順にちょっとない。
白花の朝顔 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あの壬生みぶ浪人と云ふのははゞ新撰組の親類の様なもので、清川八郎がかしらで、京都の壬生村に本陣が有つたのです。それで当時は此浪人をみぶらふ/\と云つて居りました。
壬生みぶ少将のおむすめと二人で、奥羽街道を上っていらっしゃったという、意外な返事だった。
奥の海 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
京都の壬生みぶ念仏や牛祭の記は見た事もあるがそれも我々の如き実地見ぬ者にはまだ分らぬことが多い。葵祭あおいまつり祇園祭ぎおんまつりなどは陳腐な故でもあらうがかへつて細しく書いた者を見ぬ。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
総勢凡そ二百四十名、二十三日に京都郊外壬生みぶに着いたがこれを新徴組と云ふ。隊長格は庄内の清河八郎で、たけのすらりとした面長の好男子、眼光鋭く人を射る男だつたと云ふ。
道は、壬生みぶのお屋敷小路を通りぬけてしまうと、目ざした西本願寺前までひと走りです。
謹慎を命ぜられた三条、西三条、東久世ひがしくぜ壬生みぶ、四条、錦小路にしきこうじ、沢の七卿はすでに難を方広寺に避け、明日は七百余人の長州兵と共に山口方面へ向けて退却するとのうわさがある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
壱岐守は同国壬生みぶの城主だから隣藩のよしみもあり、また明敬が天和二年十六歳で家を継いだのと、ほとんど前後して信継も十五歳で家督した関係から、この年少の両藩主は江戸に於ても国許くにもとにあっても
粗忽評判記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
春の宵壬生みぶ狂言の役者かとはやせど人はものいはぬかな
舞姫 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
流し斯るいやししづ腰折こしをれも和歌のとくとて恐多おそれおほくも關白殿下くわんぱくでんかへ聽えしも有難さ云ん方なきに況てや十ぜんじようの君より御宸筆しんぴつとはと云つゝ前へがツくり平伏へいふく致すと思ひしに早晩いつしか死果しにはてたりしとぞ依て遺骸なきがら洛外らくぐわい壬生みぶ法輪寺ほふりんじはうむり今におかち女のはか同寺どうじにありて此和歌わかのこりけるとかや
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
細作かんじゃの名手、放火つけびの上手、笛の名人、寝首掻きの巧者、熊坂長範くまさかちょうはん磨針太郎すりはりたろう壬生みぶの小猿に上越うえこすほどの、大泥棒もおりまするじゃ」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼が元の道のほうへ駈け出して行こうとすると、ちょうどそのとき、十郎左衛門より一足遅れてここへ来た壬生みぶの源左老人が
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
道すがら町と人家の形勢を見て、そのつもりもなく壬生みぶの地蔵の前まで来ました。地蔵へ心ばかりの賽銭さいせんを投げ、引返して表へ出ると例の南部屋敷の前。
あの、鍋からさらさらと立った湯気も、如月きさらぎの水を渡る朝風が誘ったので、霜がなびいたように見えた、精進腹、清浄なものでしょう。北野のお宮。壬生みぶの地蔵。尊かったり、寂しかったり。
白花の朝顔 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いつであったか四月の末のあたたかい日に壬生みぶ狂言を見に行ったとき、お寺の境内のうらうらとした春の気分が桟敷さじきにいてもうっとりねむけを催して、遊んでいる子供たちのガヤガヤ云う話声や
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
勧学院も大学寮も、またその穀倉院も、みな壬生みぶの一地域なので、遠くはない。しかし、宛名あてなの人は、そこにもいなかった。
この拳骨和尚が京都へ出た時分に、壬生みぶの新撰組を訪ねて、近藤勇こんどういさみを驚かした話はそのころ有名な話であります。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「へえ、こいつア驚いた。いやどうも早手廻しで。ぜっぴ江戸ッ子はこうなくちゃならねえ。こいつア大きに気に入りやした。ははあ題して『壬生みぶ狂言』……ようごす、一つ拝見しやしょう。五六日経っておいでなせえ」
戯作者 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
先代大隅太夫おおすみだゆうは修業時代には一見牛のように鈍重どんじゅうで「のろま」と呼ばれていたが彼の師匠は有名な豊沢団平俗に「大団平」と云われる近代の三味線の巨匠きょしょうであったある時蒸し暑い真夏の夜にこの大隅が師匠の家で木下蔭挟合戦このしたかげはざまがっせんの「壬生みぶ村」を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
いうまでもなく、遠く離れて、かなり楽観的に、勝負のつくのを待っていた親類の壬生みぶ源左衛門やその他の門人たちだった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「うむ、僕もよくは知らんが、君よりは一日の長があるか知れん、知っているだけ物語って聞かそう。まず、君にも何かと縁故の深い壬生みぶの新撰組だな」
壬生みぶの源左衛門叔父の注意で、門弟たちはみな立ち去ってしまった。足痕あしあとだけが、その後の雪にきわだって黒く数えられる。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
壬生みぶにいては一つ釜の飯を食った仲じゃないか、それに何を間違っておれにやいばを向けるのだろう、わからんな。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
思いつつも、尼の母子おやこは、洛内壬生みぶ神泉苑しんせんえんのほとりに水入らずな世帯をもち、覚一は以前の琵琶の師の許へ。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兵馬とても、理由なしに唆かされて、それに応ずるほどの愚か者でなし、ことに山崎は京都にいた時分には、同じ壬生みぶの新撰組で、同じ釜の飯を食った人である。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
だが、俺が斬ると云った人間ではずした者は一人もない。遅いか、早いかの違いじゃないか。また、俺が手にけなければ、壬生みぶの近藤や土方ひじかたの方で必ずる。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「義理で帰るというわけではないのです、その辺へ落着くより仕方がないじゃありませんか、いまさら壬生みぶへは行けないし、そうかといって十津川入りもできまいから」
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
綾小路あやのこうじの官舎に陣していた少弐頼尚しょうによりひさ壬生みぶ匡遠まさとおの宿所に陣するこう師直もろなお、上杉伊豆、仁木兵部、そのほかの部将も、総力をあげて、敵の宮方を、山上へ追いしりぞけた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それが、その——このお武家をお斬りなはったのは、壬生みぶの新撰組の衆でござりましてなア」
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そこで第三冊「壬生みぶと島原の巻」からは自由活版所の岡君のところへ持ち込んだのである
生前身後の事 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「大江匡房まさふさすえが、壬生みぶにおる。いまでも居るとおもう。ひとまずそこへ送ってくれい」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
拙者は、壬生みぶの屯所の世話になったことがあるけれど、新撰組に同志の誓いを立てたものではない。その新撰組とても、幾つにも仲間割れがして、おのおの意見も違っているではないか。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
常磐ときわ(二十三歳)義朝の愛人、今若、乙若、牛若の三児をかかえ、捕われて、その子たちの助命を清盛に乞う。ちまたには、清盛とのうわさがいろいろ取沙汰され、今は壬生みぶ小館こやかたにかこわれている。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兵馬の頭には、僅か昔の京洛の天地、壬生みぶや島原の明るい天地の思い出が、怪しくかがやいて現われて、あれから新撰組はどうなったか、近藤隊長、土方副長らのその後の消息も知りたい。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そして十二月二日、壬生みぶの六角で、斬罪に処せられた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
壬生みぶの村のその晩はことに静かな晩でした。南部屋敷もさすがに人は寝静まる、勘定方かんじょうかた平間重助ひらまじゅうすけは、井上源三郎とを打っているばかり。井上の方が少し強くて、平間は二もくまで追い落される。
「どうもわしの訪ねる壬生みぶのあたりも心もとないな」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは新撰組の一人で山崎ゆずるという男、かつて竜之助が逢坂山おうさかやまで田中新兵衛と果し合いをした時に、香取流かとりりゅうの棒をふるって仲裁に入った男、変装にたくみで、さまざまの容姿なりをして、壬生みぶや島原の間
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
壬生みぶへ参るとも言えまい。京洛の天地に彼が名乗りかけて、草鞋を脱ごうという心当りは一つもない。ただ、島原だけは万人の家である。あすこには、いかなる人をも許して拒まない女性がいる。
壬生みぶの新撰組にあって山崎は変装に妙を得ていました。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
壬生みぶ浪人、相変らず活躍しとりますかな」
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「その前は壬生みぶにおりました」
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)