古跡こせき)” の例文
初君が古跡こせき寺泊てらどまりり、里俗りぞく初君屋敷やしきといふ。貞享ぢやうきやう元年釈門万元しやくもんまんげんしるすといふ初君が哥のいしぶみありしが、断破かけやぶれしを享和年間きやうわねんかん里入りじん重修ちようしうして今にそんせり。
雑草の中から、のぞいてみると、下は、関の古跡こせきの裏街道、峨々ががたる岩の根に添って、海のような竹林がつづいている。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おもむきちがふけれども、そのは、名所めいしよにも、古跡こせきにも、あんな景色けしきはまたあるまいとおもところを、前刻さつきも一とほつてた。
続銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
境内けいだい石碑せきひがあつて、慶長けいちょう五年せきはらえきの時に、山内一豊やまのうちかずとよがこゝに茶亭ちゃていを築いて、東海道をのぼつて来た徳川家康をもてなした古跡こせきであるといふことが彫刻されてゐる。
小夜の中山夜啼石 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
獨逸等ドイツとうおと名高なだか國々くに/″\名所めいしよ古跡こせき遍歴へんれきして、其間そのあひだつきけみすること二十有餘箇月いうよかげつ大約おほよそまん千里せんり長途ながたびあとにして、つひ伊太利イタリーり、往昔むかしから美術國びじゆつこく光譽ほまれたか
彼等はどうせひとこしらえたものだという料簡りょうけんで、ごうも人力に対して尊敬を払わない引き方をする。海城かいじょうというところで高麗こま古跡こせきを見に行った時なぞは、尻が蒲団ふとんの上に落ちつく暇がないほど揺れた。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
も見たるついでに名所古跡こせきをも見物爲べし江戸へ下りては重て見物に上るも難かるべしと云ばお花もよろこび見物いたし度といふにぞ友次郎はお花を連て人のあとに付行程に頓て京都九條通りへいで此處ここにて宿屋を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
日蓮上人、為兼卿ためかねきやう、遊女初君はつきみとう古跡こせきもたづねばやとおもひしに、越後に入りてのち気運きうんじゆんうしなひ、としやゝけんしてこくねだん日々にあがり人気じんきおだやかならず。
船藏ふなぐらがついちかくつて、安宅丸あたかまる古跡こせきですからな。いや、ういへば、遠目鏡とほめがねつたで……あれ、ごろうじろ——と、河童かつぱ囘向院ゑかうゐん墓原はかばら惡戲いたづらをしてゐます。
深川浅景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
初君が古跡こせき寺泊てらどまりり、里俗りぞく初君屋敷やしきといふ。貞享ぢやうきやう元年釈門万元しやくもんまんげんしるすといふ初君が哥のいしぶみありしが、断破かけやぶれしを享和年間きやうわねんかん里入りじん重修ちようしうして今にそんせり。
日蓮上人、為兼卿ためかねきやう、遊女初君はつきみとう古跡こせきもたづねばやとおもひしに、越後に入りてのち気運きうんじゆんうしなひ、としやゝけんしてこくねだん日々にあがり人気じんきおだやかならず。
そと百番のうたひに見えし松山かゞみといふも此地也。そのうたひにある鏡が池の古跡こせきもこゝにあり、今は池にもあらぬやうにうづもれたれど、そのあととてのこれり。
蒲原郡かんばらごほり伊弥彦山いやひこさん(弥一作夜)伊弥彦社いやひこのやしろを当国第一の古跡こせきとす。まつるところの御神は饒速日命にぎはやひのみことの御子天香語山命あまのかごやまのみことなり。 元明天皇げんみやうてんわう和銅わだう二年の垂跡すゐしやくとす。