剥落はくらく)” の例文
うす暗い中庭を抱いたどの部屋も、剥落はくらくした金泥絵きんでいえふすまだの、墨絵の古びたのばかりである。奥の方で、喘息ぜんそくもちらしい咳の声がして
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御領地内の錠前じょうまえ金具ことごとく破損仕り、塗壁ぬりかべ剥落はくらく仕り候云々という、ドイツ人の管理人がよこした滑稽な手紙を読み上げた。
イオーヌィチ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
なるほどなるほど、味噌はうまく板に馴染なじんでいるから剥落はくらくもせず、よい工合に少しげて、人の※意さんいもよおさせる香気こうきを発する。
野道 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
少しの剥落はくらくも損傷もなく、この仏像を転がし落された不釣合に高い木製の蓮台にも、不思議なことに、大した傷も見付からなかったのでした。
そして、幼年時代の消耗ししぼみはてた魂が剥落はくらくするのを見ながらも、より若くより力強い新しい魂が生じてくるのを、彼は夢にも知らなかった。
遂に望みを達し得ざるのみならず、舎弟は四肢しし凍傷とうしょうかかり、つめみな剥落はくらくして久しくこれに悩み、ち大学の通学に、車にりたるほどなりしという。
石黄色の胡粉ごふんで塗られた壁は、所々大きく剥落はくらくしていた。奥の方に黒塗りの木の暖炉が一つあって、狭いたながついていた。中には火が燃えていた。
今はこの画の毀損きそん剥落はくらくした個所によって妨げられることなしにこの画を鑑賞している。しかしこの毀損し剥落した個所が眼にうつらないのではない。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
自分たちの信用が剥落はくらくしたかの如く残念がり、その宣伝を有効ならしめようとあせりつつ、榊新田さかきしんでんの陣屋跡までやって来て、陣屋の中をのぞき込みました。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
こういう風に自分の村の信仰がだんだん剥落はくらくして来たので、尼は生活の必要上、かのすすき原を遠く横切って、専ら隣り村の方へ托鉢に出るようになった。
探偵夜話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
崖の上の小家は父の歿後に敗屋となって、補繕し難いためにこぼたれた。反古張りの襖も剥落はくらくし尽していた。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかし大分年代もので、紋の白味が黄ばんでいた。横たえている大小も、紺の柄絲つかいとあぶらじみ、鞘の蝋色は剥落はくらくし、中身の良否はともかくも、うち見たところ立派ではない。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この本尊を中心にして、両脇りょうわきには周知のごとく日光菩薩ぼさつ月光がっこう菩薩とが佇立している。いずれも鮮かに彩色されていたそうだが、いまは剥落はくらくして灰白色になってしまった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
一方に小さな窓が一つあるばかりの暗い室だから善くは見えないが、僕は望遠鏡を取出して眺めた。模写コツピイで見て居たのとちがつて剥落はくらくを極めて居る。基督キリストの顔が女の様にかれて居た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
そこの天平好みの化粧天井裏を見上げたり、半ば剥落はくらくした白壁の上に描きちらされてある村の子供のらしい楽書を一つ一つ見たり、しまいには裏の扉口からそっと堂内に忍びこんで
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
信条的構造と見られる、建築の手法、細故さいこのテクニックにわたっての是非は知らず、楼門廻廊の直線と曲線が、あるいは並び下り、あるいは起き伏すうねりにつれて、丹碧たんぺき剥落はくらくしたりとはいえ
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
汗の乾かぬうちに、シャツと洋服とオーバーを着て、ちょっとの用達ようたしと散歩をして帰るのであるが、途中で湯冷ゆざめがして、全身の皮が一枚剥落はくらくしてしまったくらいの寒さを感じたものであった。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
猪熊のばばに別れると、次郎は、重い心をいだきながら、立本寺りゅうほんじの門の石段を、一つずつ数えるように上がって、そのところどころ剥落はくらくした朱塗りの丸柱の下へ来て、疲れたように腰をおろした。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
すでに所々に剥落はくらくしていたし、それを隠すために貼付はりつけた外国映画のポスタアは、いつも端ののりが乾き割れるので、ただ一つ並木街へ面してひらいている小さな窓から、吹きこんでくる風にあおられては
溜息の部屋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
されば物凄ものすごい相貌の変り方について種々奇怪きかいなる噂が立ち毛髪もうはつ剥落はくらくして左半分が禿げ頭になっていたと云うような風聞も根のない臆説おくせつとのみはいし去るわけには行かない佐助はそれ以来失明したから見ずに済んだでもあろうけれども
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
剥落はくらく褪色たいしよくとは
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
侍医はあらゆる薬餌やくじを試みたが、病人の苦悩は少しも減じない。そして日のるに従って、曹操の面には古い壁画の胡粉ごふん剥落はくらくしてゆくように、げっそりとやつれが見えてきた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いづれも天竺てんぢくの名木で作つたものでせう、色彩しきさい剥落はくらくしてまことに慘憺さんたんたる有樣ですが、男女二體の彫像てうざうの内、男體の額にちりばめた夜光の珠は燦然さんぜんとして方丈はうぢやうの堂内を睨むのでした。
剥落はくらくはずいぶんひどいが、その白い剥落面さえもこの画の新鮮な生き生きとした味を助けている。この画の前にあってはもうなにも考えるには及ばない。なんにも補う必要はない。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
もう何処もかも痛いたしいほど剥落はくらくしているので、殆ど何も分からず、ただ「かべのゑのほとけのくにもあれにけるかも」などという歌がおのずから口ずさまれてくるばかりだった。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
たとえば三重塔のうちに、平安時代の釈迦如来像一躯が安置されているが、衆生しゅじょうに向って挙げたその右の御手は中指が一本残っているだけで、他の指はことごと腐蝕ふしょく剥落はくらくしてしまっている。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
ジワリジワリと柔かな剣のうち測り知られぬ力がこもって、もしも当の相手が不遜ふそんな挙動をでも示そうものなら、その柔かな衣が一時に剥落はくらくして、鬼神も避け難き太刀先が現われて来るので
ふと見ると、内陣の深くは、赤い蜘蛛くもの巣がかがやいている。そして、剥落はくらくした金泥きんでい薬師如来やくしにょらいか何かの仏像の足元から、朱金の焔がメラメラと厨子ずしの一角をなめ上げているのでした。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金堂も講堂も天井は破れ、壁は剥落はくらくし、とびらは傾いたまま風雨にさらされている。昼間でもねずみが走りまわっている。法隆寺のすぐ近くにあるだけ、その対照がきわだって一層貧しくみえるのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
菩薩の顔は表面に塗ったものが剥落はくらくしているきりで、形は完全に残っているから、その夢みるようなまぶたの重い眼や、端正な鼻や、美しい唇などが、妨げられることなしにわれわれに魅力を投げかける。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
ここに至ると、神楽師かぐらしの仮面は、遠慮なく剥落はくらくしてしまい
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
長やかな腰刀だけにさやりの剥落はくらくしているのが目にたつ。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)